「は、はじめまして、城之内さん。ボク、武藤 遊戯ですっ!」

 なんだこの小さくてピンクでツンツンしてて、むにゃむにゃした生き物は。
 ふざけんなよ。

 かわいすぎんだろ。



「煙草はお肌に悪いでしょ」
「あー」
 生返事をしたら、煙草をとられた。城之内 克也は、恨めしげに妹をにらんだ。台本を読んでるときは、そいつがないと頭に何も入ってこないのだ。知ってるくせに、静香はそうやって邪魔をする。
 静香は、城之内の隣に足を組んで座り、ぷかりと見事な白い輪を吐き出した。我が妹ながら、きれいな足だ。この足に触れたい、撫でたい、舐め回したい、踏んでほしいという男は星の数ほどいるのだろう。自分はその中の一人ではないが。
「メンソールにしてよ」
「お肌にわるいんじゃないのか?」
「お兄ちゃんが吸ってる煙草じゃなかったら、吸わないもの」
 ああ、そうですか。
 このブラコンめ。
 城之内は台本をほうりなげて、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。静香は台本をひろいあげて、ぺらぺらとめくった。台本の表紙には「遊戯王デュエルモンスターズ」と書かれている。先日始まったばかりのテレビドラマだった。玩具会社がスポンサーで、ストーリーも子供向けだったが、放映期間が1年と長いのは魅力的だった。
「いいなぁ、お兄ちゃん出ずっぱりで。わたしの出番まだずっと先なんだもん。本当の兄妹が兄妹役!って宣伝してるくせに。もっと出番増えないかな」
「まだ、始まったばっかりだろ」
 スケジュールがきついのは妹の方だ。静香は、城之内よりもよっぽど売れっ子だ。テレビや新聞や街頭で、静香の顔を見ない日はない。
「ところで、どうなの。親友とは、うまくやってる?」
「やってますよー」
「小学生と何話してるの?」
「いろいろ」
「かわいいよね、あの子。武藤くんだっけ?」
「遊戯?」
「そうそう。わたしと、どっちがかわいい?」
「遊戯」
 城之内は即答した。
 その返答に不満だったのか、静香は、フライングボディアタックをかましてきた。そのままチョップで攻めてくる。こいつが、世間じゃニッポニアニッポンよりも希少価値の高い、しとやか処女清純派で売ってる女優だなんて詐欺だよな。そう思いながら、城之内は「頼むから首締めだけは勘弁して」と妹に懇願した。



 家庭環境があまりよろしくなかったおかげで、城之内も静香も人間不信が根底にある。
 城之内はありがちだがヤンキーになった。運動神経が良かったせいか、喧嘩も強かった。気が付いたら、実家の周りでは知らない者がいないぐらい、有名な不良になっていた。何の自慢にもならないが。
 一方、静香は自分の本性を隠すことに長けていた。貧乏で父はアル中、母は男狂い、兄は不良。この状況なのにもかかわらず、静香は、汚泥の中の蓮のように、ひとりだけ白く清らかに見えた。口さがない連中にどんなに罵倒をうけても、儚げに微笑むだけで周りの人間が味方についた。中学のときにはすでにパトロンがいた。指一本ふれさせていないのにも、かかわらずだ。
「だって、身体売るとか、そんな安っぽいのやだもん。せっかく美人に産まれたんだから、利用しなくちゃ損でしょ。がんばって玉の輿に乗るから、それまでお兄ちゃん死なないでね」
 ありがたい妹だ。でも女って怖いよな。
 城之内が高校を卒業した頃、酒浸りだった父親が倒れた。母親はとっくの昔に男と行方をくらませていた。死んでくれたら葬式代だけですむのにと考えてしまう自分が情けない。そう城之内は思ったが、「そんなこと考えてるヒマなんてないわよ、お兄ちゃん」と妹に一喝された。
 女は強い。
 とりあえず父を病院に放り込み、アルバイトで生活費はなんとか凌いだ。静香のパトロンからの援助金は、学校に通うだけで消えていた。私学は金がかかるが、城之内は妹に学校を辞めさせる気はなかった。
 そんな頃だった。静香が道を歩いてたらスカウトされたのは。
 金になるかもしれない。もしくはコネに。
 そう考えた静香は兄に頼んだ。
「AVの撮影だったら困るから、お兄ちゃん付いてきてよ」
 もらった名刺にはKCE(Kaiba Corporation Entertainment)と書かれていたが、そのときは2人ともKCが海外でも有名な大企業だなんて知らなかったのだ。興味のないことなんて、毎日目にしてたって覚えていない。

 2人そろって、芸能界デビューするとは思ってもみなかった。



 小学生と共演か。
 顔合わせの日だった。
 城之内は、テレビ局の食堂で、煙草をふかしながら、あらかじめもらっていたプレス用の資料と台本に目を通していた。がやがやとうるさい方が不思議と頭に入るのだ。
 城之内の役は、主人公の親友役だった。生い立ちはステロタイプで、自分とよく似ているが、明るくて人好きのする性格というのは正反対だった。どちらかといえば城之内は口べたで、人と話すのも苦手だ。学生時代は、喋る数より、手が出る数のほうが多かった。
 親友の主人公の高校生は、小学生が演じる。
 ちょっと混乱してきそうだ。
 玩具の販促のために、主役は子供に親しみのもてるように「小さな子」であることを指定されたらしい。納得のいくような行かないような説明だが、スポンサー様には勝てない。
 小学生にまちがえられるような高校生を探すよりも、小学生が高校生を演じる方が手っ取り早かったのだろう。だから小学生を主演に据えた。そこまでは理解できる。
(しっかし、うまくやれんのかなー)
 小さい子をいじめる趣味はないが、何を話していいのか見当も付かない。
 オレが小学生の頃って何考えてたっけ?

「あ、あの!」

 城之内は顔をあげた。

 目の前に、キャンバス地のバッグを背負った小さな子供が立っていた。顔を半分ぐらい占めてるんじゃないかと思うようなでっかい目と、子供らしいやわらかな頬をしている。
 学校の制服なんだろうか、紺色のブレザーに揃いの半ズボン、ぴかぴか光る茶色の革靴に、白いハイソックスといったお仕着せな出で立ちだった。
 妙なことに、ほっそりした首には、黒革の鋲を打ったごついチョーカーを着けていた。おかげで、妙に印象に残る。

「は、はじめまして、城之内さん。ボク、武藤 遊戯ですっ!」
 ぺこりと頭をさげる。かっきり45度。
「はい、はじめまして」

 煙草を灰皿でひねりつぶしながら、城之内はそう答えた。さすがにガキの前で煙草をふかす気にはなれない。
 子供は、やけに緊張しているようで、もみじのような手をぎゅっと握りしめている。城之内は机にあったお冷やを差し出した。

「す、すいません。緊張しちゃって」
「まあ座んなよ」

 前の椅子にちょこんと座る。両手をそえて、こくこくと水を飲んだ。
 城之内は、めずらしい動物をみるかのように、この少年を観察した。
 子供って、こんなもんだったっけ?
 どこもかしこも、つやつやしてピンク色で、窯から取りだしたパンのように出来たてのふかふかだ。
 妹の静香も小さい頃から美人で自慢だったし、かわいかったけれど、なんというのか、質が違うのだ。静香は「お人形さんみたいね」と子供の頃から言われ続けてきたのだが、城之内はそんなことを思ったことがなかった。あんな凶暴でわがままな人形がいるか。
 それに、この業界に入ってから、奇麗な子ならいくらでも見てきた。
 でも、なんだか違う。
 なんていえばいいんだろう。
 オモチャみたいな。
 ちいさな愛玩動物みたいな。
 見ているだけで、脳みそがのぼせそうな。
 かわいいもの好きな女なら、おもわず声をあげてぎゅっと抱きしめてしまいそうだ。

「あの、ボク、その、こんどドラマで……」
「うん。知ってる」

 城之内は読んでいた台本をみせた。遊戯は、ほっとしたように笑った。
 その笑顔をみた瞬間、城之内の胸はこれまでの人生に一度もなかったときめきを覚えた。酔っぱらった父親に包丁で襲いかかられたときよりも、バイクでかっとんで童実野港に飛び込んだときよりも、童貞を捨てたときよりも、リンチに合って廃工場でぐるぐる巻きにされて吊されて電流をくらっていたときよりも
「キュン」
 としたのだ。
 いや、そんな殺伐とした状況とは内容が違う。
 どこか甘酸っぱい。上等のケーキでもたべたように、ふわっととけてしまいそうだ。なんだか、身体に力が入らなくなる。顔の筋肉がゆるんで、にへらと妙な笑顔をつくってしまいそうな、そんな心持ちだった。
 それなのに、胸がどきどきする。鼓動が早い。
 どうしたんだ、オレは。一体。

「ボク、城之内さんのファンだったんです」
「ファン?」
「はい」
 遊戯はうなずいた。だしてるシングルもアルバムもコンサートのDVDも全部持っているし、テレビも全部録画してあるという。
「だから共演できて、すごくうれしくて」
 頬をピンク色に染めながら、本当にうれしそうに笑うので、城之内は素直にそれを信じてしまった。おかしい。いつもだったらガキが相手だろうとなんだろうと、感謝の言葉を述べつつも、どうせ社交辞令なんだろと皮肉に考えてしまうのに。オレはどうかしている。
「ボク、一生懸命やります。城之内さんのご迷惑にならないようにしますから、よろしくおねがいします」
 またぺこりと頭を下げられる。
 自分だって、そんなに演技の経験はないのだから、かしこまる必要はない。芸歴で言えば、そっちのほうが上だ。こちらこそ、よろしく頼む。城之内はそう告げた。
「そ、そんなことないです」
 遊戯があわてて首を振る。
「ボク、城之内さんみたいにかっこよくなりたいんです」
 かっこいいね。かっこいい。
 きらきらした瞳で見つめられて、城之内はどう反応していいのか、わからなかった。
 有り体に言えば、照れたのだ。
 ファンの女の子になら言われ慣れてる。芸能人になる前にだってよく言われてた。まー誰にでも言うよな、ちょっと見目がよければと醒めた気持ちで聞いていた台詞だ。それなのに、今は、悪くないなと思えた。
 どうしたんだ、オレは。
 机の上に置いておいた携帯電話のアラームが鳴った。集合の時間だった。
「そろそろ行くか」
「はい!」
 カバンを背負い直し、うれしそうにちょこちょこと後を付いてくる。エレベーターホールの前で、城之内は鼻の頭をこりこりと掻きながら「ほら」と、遊戯に手を差し出した。
「え?」
「迷子になんないだろ、この方が」
 何を言ってるんだ、自分は。
「はい!」
 それでも遊戯の笑顔には勝てなかった。すっぽりと城之内の手のひらに包まれてしまうぐらう小さな遊戯の手は、やわらかくて温かかった。きゅっと握りしめると、目がくらみそうな幸福感が城之内を波のように襲った。

 なんなんだろ、これは。
 理解できない。