●1
すごいことを頼んだような気がする。
なんで、オレ、あんなこと言ったんだろう。
こすって、とか。
なめて、とか。
熱に浮かされて見た、マボロシだったらよかったのに。
*
目を覚ましたら、遊戯が隣に寝ていた。しけった布団の中で、ぴったりと城之内にくっついて、すやすやと寝息をたてている。寝起きでぼーっとしながら、赤ん坊みたいなむっちりしたほっぺをつついた。起きなかった。
尿意を感じたので、外の共同トイレに行って戻ってきた。まだ時間は早く、明け方前で、外は暗かった。戻ってきても、遊戯はまだよく眠っている。もう一度布団に入って、しげしげと遊戯の顔をみた。
このちんまい口で、オレのくわえたんだよな。
不思議だった。寝る前に、自分の目でみたし、その感覚もおぼえているのに、現実感がなかった。よく男のチンコ咥えられるよな。オレだったらぜったいイヤだぞ。金もらえばべつだけど。
すっからかんで、明日の飯代もなく、自暴自棄になっていたら、金と引き替えに男のチンコくわえるかもしんない。お仕事でチンコくわえてるおねーちゃんたちはたくさん見てきてる。でも今はそこまで困ってない。遊戯だって、困ってない。
「なーんで、お前はそんなことしちゃうかな」
お前は、ホモなのか。潜在的にホモなのか。
彼女ほしいよーと騒ぐくせに、結婚願望つよいくせに、もしかして男が好きなのか。
それともオレだから特別なのか。
どっちなんだ。
教えろよ。
指先で遊戯のくちびるをなぞる。ぷっくりとして、やわらかかった。何度もなぞってるうちに、遊戯がむにゃむにゃといいながら、寝返りをうった。そっぽを向かれたのが、気に食わなくて、ごろりとひっくり返す。
それから目の前のくちびるに、自分のくちびるを押しつけた。
*
季節はずれの風邪は、週明けにはけろっと治っていた。
いつものように職場に行き、いつものように配達にでた。いつものように遊戯の店に来て、妙なものをみつけた。バイト募集の張り紙が亀のゲーム屋のドアに貼り付けてある。時給はけっこう高めだった。
このオモチャ屋は、ゲームソフトを扱っておらず、トランプみたいなカードばっかりをガラスケースに入れて陳列している。あとはじーさんが道楽で集めてきたらしい妙なオモチャばかりだ。バイト雇うほど儲かってるんだろうか、この店。城之内は首をひねった。
「まいどー」
荷物を持って、入っていく。
あいかわらずこの時間には客が居ない。
いつもとかわらず、遊戯がご苦労様と返してくれたが、様相がすこし違っていた。黒のタンクトップに、鋲をうったふとい黒革のチョーカー、腰にカードケースといった服装自体はあまり変わらない。だが、店のロゴの入ったエプロンもつけてないし、銀色に輝くキャスター付きのスーツケースを手に持っている。まるで、これからどこかへ出かける様子みたいだ。
「どうしたんだよ、遊戯」
「出張」遊戯はわたされた伝票にサインをしながら答えた。「明日っから、しばらくボクいないからね。アメリカいってくんの」
「買い付けは、じーさんの仕事じゃないのか?」
「ちがうよ。デュエルの試合に行くんだ」
「なんだ、そりゃ」
デュエルというのが、カードゲームのことだということぐらいは城之内も知っている。遊戯の店でも町内大会をひらいたりしているらしいし。だが、なんでアメリカくんだりまで行く必要があるのだろう。たかがゲームだろ?
城之内が問い質そうとしたとき、店の外に車がとまった。黒塗りの大仰なセダンだった。ご丁寧に運転手までついている。車から降りてきたのは助手席に座っていた、がたいのいい黒スーツの男だった。ひそやかな歩き方や、重量感のある体付きに、荒事に慣れている人間特有のにおいがする。店に入ってきたその男は、遊戯に向かって深々と礼をした。城之内はあんぐりと口を開けた。いったい、この店で何がおきてるんだ。
「武藤様、お待たせいたしました」
「うん、ごくろうさまです」鷹揚に遊戯がうなずく「じーちゃん、ボクもう行くよー!」
店の奥から、のそのそとでてきた遊戯の祖父が、わかったと返事をする。
「じゃね、城之内くん。お土産買ってくるからねー!」
手を振りながら出ていく遊戯を、城之内は呆然と見送るしかなかった。
*
数日経っても、遊戯は帰ってこなかった。遊戯の祖父の双六に聞くと、あの仰々しいお車は、アメリカでの仕事先が用意してくれたものだそうだ。なんでこんな小さな店の人間が、ご立派な送迎を受けなければならないのだろう。そう訊ねると、双六は、明日になったらすぐにわかるからと、イタズラをたくらんでいる子供のように笑って、それ以上はなにも教えてくれなかった。
遊戯からは、その間も何度か携帯にメールがあった。土産はたべものがいいか、Tシャツがいいかというような、ごく些末な連絡だった。Tシャツがありがたいと返事をうって、城之内はため息をついた。自分の部屋に、ささくれの目立つ黄ばんだ畳にごろりと横になって、染みの目立つ天井をみあげる。
このあいだのことを気にしているのは、自分だけなのだろうか。
男のナニなんてくわえたのオレが初めてのくせに。
たしかにあったことのはずなのに、だんだんと現実感を失っていく。風邪のときに、看病しにきたことも、最初の夜にしてしまったことも、夢なんじゃないかと思えてくる。それとも遊戯にとっては、どうでもいいことなんだろうか。些細なことなんだろうか。毎晩やる自慰とたいしてかわらないものなんだろうか。
オレがこんなに考えてるのに。
「考えたくねぇ……」
気にしなければいい。放っておけばいい。向こうは何も言ってこないのだ。このまま流してしまえばいいだけだ。それなのに、気になるのだ。
擦ってもらうのも、咥えてもらうのも、むらむらしちゃったんだから、仕方ねぇと言い切れる。他の人間はそう思わないかもしれないが、自分ではそう思うのだ。自分でしたんじゃないんだし。それでいい。
だけど、なんでキスなんてしたんだろ。
熱にうなされてたわけでもない。たまって抜きたかったからというわけでもない。
それなのに、オレはあいつにキスをしてしまった。
遊戯にキスしたかった。
なんでだろう。
チンコくわえた口だぞ、オレの。
よくキスしたな、オレ。
女みたいに好きなのか。
そんなことはありえない。
結婚したいわけじゃない。家で飯つくって出迎えてほしいわけじゃない。だいたい料理だったら、オレのほうが得意だ。顔をつきあわせて、たわいのない話をしてるのが好きなだけだ。遊びに連れていってやって、喜ぶ顔をみたいだけだ。それだけだ。
「けどなぁ……、しちまったんだからなぁ」
男らしく、言ったほうがいいのだろうか。
おつき合いというのを、申し込んだほうがいいのだろうか。
なんて言えばいいのだ。
オレたち、付き合わねぇ?とでも言うのか。
そもそも、男同士で付き合うって、なにすんだろ。セックスは最初にしたらしいけど。愛してるぜとでもいうのか。
「お前が帰ってこないからいけねーんだぞ」
バカ。と口のなかで呟く。アメリカにいる男にその言葉が届くわけがない。城之内は、ためいきをついて、布団に入り、目をつぶった。
*
翌日。城之内はいつものように、挨拶をしながら遊戯の店のドアを開けた。まだ昼前だというのに、店が混んでいる。いい年をした大人や、ニキビの目立つ学生や、まだ小学生の子供も、わいわいと騒ぎながら、店にかざられている大きな薄型のテレビを眺めていた。立錐の余地もない。人いきれで、むっとするぐらいだ。
どうしたことだ、これは。
それだけではない。カメラとレポーターの二人組だけらしかったが、テレビ局まできている。カメラマンの機材には地元の童実野TVのシールが貼ってあった。
「おお、城之内くん」
カウンターの向こうで座っている双六がひょうひょうと手をあげて、城之内を招く。城之内は配達の荷物を下ろしながら、一体何があるんですか?とたずねた。ついでに伝票にサインももらう。
「ちょうどよかった。そろそろ始まる頃じゃよ。ライブ映像なんで、日本じゃこんな時間開始じゃがのう」
「始まるって?」
「放送だよ。5分や10分ぐらい、見ていく分には問題ないじゃろ?」
「はぁ……」
遊戯が居るときは、いつもこの店で休憩をいれていたのだし、それぐらいの時間ならたしかに問題はなかった。
そのうち、店の客たちがわっとさざめいた。なにか番組がはじまったらしい。
凝ったOPが終わって、タイトルが画面にでる。日本語の解説がながれる中、カメラはどこかの大きなスタジアムを映し出していた。爆音とともに、ジェット戦闘機の編隊が密集し、うねりながら飛び、空に5本の白い線が描かれていく。
スタジアムの中央にカメラが写る。見覚えのある姿が、そこに映っていた。
「武藤さんだ!」
「きたよ、デュエルキング!」
客が興奮して騒ぎ出す。城之内はテレビを見つめながら、ぽかんと口をあけた。
まちがいない。遊戯だ。この店で、エプロンをつけて、いらっしゃいませと客を出迎える男が、なぜ、あんな大舞台の真ん中にいるのだ。
スーパーボウルでも使われたことがあるというスタジアムは観客で満員だった。アナウンサーの説明によると、チケットは発売当日にすべて売り切れたらしい。
キング、キングと叫ぶ群衆の声が嵐のように響いている。まばゆいライトと演出のスモークにつつまれて、遊戯はほっそりした姿をさらしている。堂々とした表情だった。覚えている姿よりも、ずっと大きくみえる。
遊戯は光の中で、歓呼に応えている。
知らない人間に見えた。
城之内は、それ以上見ていることができなかった。だまって店を出て、車に乗り込む。さっさと次の配達先に行けばいいのに、どうしてもその気になれなかった。かわりにハンドルを抱え込んで、大きくためいきをついた。
*
年収一千万以上は、どうやら伊達じゃなかったらしい。
仕事が終わったあと、城之内はコンビニに寄った。ふと、雑誌コーナーに目を向けると「デュエル」の文字が目についた。雑誌が数冊置かれている。表紙に遊戯の写真があるものを選んで、城之内はそれを買ってみた。
アパートに戻り、発泡酒を飲みながらページをめくる。
テレビでもそうだったが、雑誌でみると、遊戯はそれほど小さくは見えなかった。写真を撮った人間の腕のせいか、誌面のデザインのせいか、それなりに大人びてみえる。
遊戯は、外人らしい色の薄い髪を肩で切りそろえて片目を隠した外人と対談をしていた。
書いてある内容は、大会への意気込みとか、これからのデュエル界についてとか、そういう話ばかりで、城之内にはよくわからなかった。あとはプロフィールがきれいに並べられている。
誕生日は6月4日。血液型はAB型。好きな食べ物はハンバーガー。
対談だけ目を通したあと、城之内は雑誌を放り投げた。ごろりと寝そべる。
たしかに店に来る客には、遊戯は人気があった。子供どもが騒いでるだけでなく、初老の客が、遊戯とうれしそうにカードゲームをしているのもみたことがある。そのときは、ゲーム好きっていうのは変わってるな、ゲーム屋の店員とゲームしてなにが面白いんだかなと思っただけだった。
なんだよ、遊戯。
すげぇ、有名人だったんじゃねぇか。
毎日顔をつきあわせて、くだらない馬鹿げた話をしていた相手というのが、嘘のようだった。
自分は、アメリカどころか、海外なんて行ったことがない。だけど、遊戯は何度も行ったんだ。そして、あんなたくさんの観衆の前を湧かせている。たかがゲームなのに、なんであんなに人が集まるんだ。馬鹿みてぇじゃん。
いや。バカなのは、オレだ。
冷蔵庫の上においてあったインスタントコーヒーの空き瓶が目に入る。中に小銭が半分ほどたまっていた。遊戯の誕生日に、なんか買ってやろうか、それとも寿司でも食わせてやろうかと、毎日出た小銭をためていたものだった。
我ながら、いじましい。
なにが喜ぶ顔がみたい、だ。あいつは金なら腐るほど持ってるはずだ。あんなにでかい大会に出ているのだ。他の大会にも出ているらしいし、デュエル界(というらしい)では、名前を知らないものがいないほどの有名人だと、さっきの雑誌にも書いてあった。
知らねぇよ、そんなの。
碁や将棋の名人だかなんだかの名前だって知らないのだ。サッカーのチームのどこが強いのかも知らない。野球だって詳しくない。興味ねぇよ、ゲームなんて。
それなのに。
ぎゃーぎゃー騒いで遊んでた相手に、あの子供みたいな男に、今は手が届かない。
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蛇足)
遊戯がでてる大会は
「国際デュエル連盟
(International Duel Federation)主催、
World Duel ChampionShip」です。
一番権威があるデュエル大会
(ということにしてください)。
世界予選枠はこんなかんじ。
ヨーロッパ:2枠
北アメリカ:3枠
南アメリカ:1.5枠
アジア:2枠
アフリカ:1枠
オセアニア:0.5枠
南アメリカの2位と
オセアニアの1位が戦って、勝った方に出場権。
各国の代表>地域枠でのリーグ戦で上位から選出。
国内代表はその国ごとに選出ルールは異なる。
バトルシティやKCグランプリとは別の大会です。
今回で4回目。
遊戯は初代大会(19歳の頃)から無敗。
今年はアメリカですが、開催国は毎回変わります。
大陸間持ち回り。
2年に一度開催。
賞金はあまりでません。
トロフィーとリングがもらえます。
IDFはIOCに承認されており、オリンピックへの参加や
大会の開催などでデュエルの発展に努めています。
元ネタはW杯とFIFAです。
スーパーボウルも入ってるか。