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 妙なことを言われた。
「彼女できたのかよ、城之内」
 なぜイチゴを渡しただけで、そんなことを言われなければならんのだ。



 遊戯とイチゴ狩りに行った翌日、城之内は本田と飲みに行った。駅前の安い居酒屋に入る。冷えたホッピーで枝豆とまだ解凍しきっていないしめさばをやっつけながら、城之内は白いビニール袋に入った箱を本田にわたした。土産のイチゴだった。
「どうしたの、これ」
「昨日、行ってきた」
 遊戯がいそいそと土産用に購入して、城之内に渡してくれたのだ。あのチビっ子は、たまにそうやって城之内の世話を焼く。ボクの方がお兄さんだからね!と、えへんと威張るすがたは小学生にしかみえない。ちなみに遊戯は6月産まれで、城之内は1月だ。この年で、8ヶ月程度の差なんて、ないようなもんだと思うのだが。幼稚園児ならともかく。
 そういや遊戯は、誕生日にまだケーキ食ってそうだよなぁ。
 本田はがさごそと袋の中身をのぞいて、おおイチゴ!とうれしそうな声をあげた。
「意外とよかったぞ、イチゴ狩り。お前も行ったら?」
「イチゴ狩りねぇ」本田は苦笑した。あの城之内がねぇ。「今、付き合ってる女って、そーゆータイプなの?」
 がふっという妙な音がした。城之内は枝豆をのどにつまらせていた。気管支に入ったらしく、しばらくげふげふと咳き込み続ける。本田は大丈夫かよと声をかけながら、城之内の背中を叩いた。
「なに、妙なこと言ってんだよ!」
「だって」
 だって、そういう付き合いすんの初めてじゃん。
 本田と城之内との付き合いは、中学からだ。その当時の城之内は、女は美人ならなんでもいいんだよと、周りにみせびらかすアイテムのように、見た目のいい相手だけを選んでいた。城之内が一番荒んでいた時期だった。食いまくるだけ食いまくって、ぽいぽいと捨てていたひどい男なのに、妙に凄みがあって、ひっきりなしにモテていた。
 高校に入ると、城之内はすこしばかり落ち着いた。いつまでも馬鹿やってらんねーよなーと自分で言い、女との付き合いもかなり減った。巨乳の年上美人とけっこう長いこと続いていた。
 社会に出たころ、父親が亡くなり借金の返済を迫られた。稼ぐために水商売に転ずると彼女はつくらなくなった。仕事で女にヘコヘコしてんのに、これ以上、女の機嫌なんてとってられっかよ――というのが城之内の言い分だった。
 そんな歴史を鑑みると、本田には、健全にイチゴ狩りなんぞに行く城之内の姿がまったく想像できなかったのである。いったい、どんなアットホームな女なんだ。
 城之内は、一緒に行ったのは男だと答えた。
「お、男とつきあってんのか!?」
 さすがに城之内は今度は吹かなかった。かわりに、ジョッキをゆっくりとカウンターの上に下ろすと、本田の後頭部に手刀をたたき込んだ。
「いてぇな!」
「アホなこと言うからだ」
 何が悲しくてオレが男と。しかも、あんなチビっ子と。いや、寝たらしいけど。あれは事故だし。事故に決まってるし。
 城之内は、遊戯のことを本田に話した。
「見合いパーティに来てて、ゲーム屋で、女にモテない子供みたいなチビィ?」
「おうよ」
 そういえば妙に小さいのがいたのは、ぼんやりと覚えている。しかしだ。
「なんで、そんなのと仲よくなったんだよ」
「なんとなく、かな」
 まあ、きっかけは寝てしまったことなんだろうけどさ。
 さすがに城之内もそれは口に出さなかった。
 最初にあんなアクシデントがあったせいで、お互い格好をつける気も、遠慮をする気もおきない。遊戯は酒はやるが、煙草は吸わないし、ギャンブルに手を出すわけでも、ヤクをやるわけでもない。金を無心してきたりしないし、迷惑もかけてこない。つまりは気楽なのだ。理由とすれば、そんなものだろう。
 しかし未だに、解せないことがひとつだけある。
 なんでオレ、あいつと寝たんだろ。
「なあ、本田」
「なんだよ」
「オレ、酒、そこそこ強い方だよな」
「まあ、わりとそうなんじゃねぇの?」
 城之内は、実父がアル中だったせいで、酒にはひどく抵抗があり、水商売をするまでは実は一滴も飲まなかったのだが、ホストとなるとそうも言ってられなかった。だがそれでも意識を失うほど酒を飲んだ記憶はないし、酒量は計れる。前後不覚になるほど飲んだこともない。
「お前と飲んだときにさ、オレ、なんかしたことある?」
「おまえが『ぞうさん』を歌ってるのをみた経験はあるが」
 ホスト始めたとき、ストレスがたまった城之内は、本田の部屋に来て思いっきり飲んで騒いだのだった。城之内は、自分の逸物をぶらぶらとさせながら「ぞうさん」を熱唱していた。
「そーゆーんじゃなくて、酔っぱらって、次の日になったら、となりに誰か寝てたってやつ」
「キモいこというなよ。オレはお前と寝たことねーぞ」本田はげっそりとした顔をして答えた。「仕事先で、それでひっかかって結婚させられたって人なら知ってるけど」
 まだまだ遊び足りない、結婚なんてまったく考えていないよと嘯いていた男だったのだが、焦っていた年上の女に食われて命中、親にどなりこまれてゴールインし、今では立派な二児の父だ。
「怖いな」
「そうだな」
 遊戯が女じゃなくて良かった。城之内はほっとため息をついた。もっとも、あんな小さな女の子の処女を戴いてしまったら、うれしいというよりは、犯罪者の気分になりそうだ。
 子供っぽいのは見かけだけなんだが。



 ピクニックなんて、はじめてだよといって遊戯は笑った。
 城之内と遊戯は、近所の河川敷に来ていた。
 自分とちがって、ごく普通の家庭で育ってるみたいなくせに、妙なところで遊戯には経験がない。別に不登校とかヒキコモリでもなかったらしいのに。
 謎だ。
 給料日前で金がないと城之内は言い、家でゲームでもやらないかと遊戯は提案したのだが、五月のこんなにいい天気に外に出ないのはもったいないと城之内は抵抗した。
 城之内くんはどこか、犬のようだ。遊戯はそう考える。天気がいいと、散歩をねだる。けっこう寂しがりやで一人で居るのが嫌いだ。じゃなかったら、ボクとこんなに遊んだりしてないだろう。遊戯はひとりで居るのが苦にならないタイプだが、こうやって外で遊ぶのも悪くはないと思った。
 河川敷にはサッカー場や野球場がいくつもあり、ユニフォームを着た子ども達がスポーツに励んでいる。その脇を、犬をつれたひとが通りすぎていく。ヘルメットとサングラスを装備した自転車が走りすぎ、遠くの方ではグラウンドゴルフに夢中になっているお年寄りの団体がにぎやかに叫び、川岸では、釣り人が折り畳み椅子に腰掛けて、ひかる水面をにらんでいる。
 抜けるような青空を白い水鳥がつっきっていく。初夏のむっとするような草いきれ。目の前をとうとうと流れていく川。対岸には高層ビルや巨大な工場がみえる。一番高いのはKCのビルだろう。
「すげー、いい天気だよなー」
「そうだよねぇ」
 城之内が、遊戯の家の食材と台所を借りて、はりきって作った弁当はうまかった。まかないの仕事をしていたこともあるらしい。意外と芸達者だ。なんでもやって食って行けそうだ。
「ほれほれ、遊戯。これうまいぞ」
 あーんと言うので口をあけた。ひょいっと、何か放り込まれる。しいたけの利休揚げだった。うまい。弁当の中身は彩りよく、実にうまそうだった。よく家にあったものだけで、これだけ色々作れるものだ。
「女の子だったら、城之内くんお嫁さんにほしいなー」
「おー、専業主婦になるから養ってくれ」
 城之内はけらけらと笑った。遊戯も笑う。
「そういや、お前ってどういう女が好みなんだよ。遊戯」
「なんで?」
「オレのダチに、今度合コンしようって言っておいたからさ」
「合コン?」
「そう」城之内はうなずいた。「オレは、今女っ気のない職場じゃん」
「うん」
「だからダチに頼んだのよ。紹介してくれって。なるべくお前の希望に添うように言っておくからさ」
「へー」
 合コンなんて大学生時代以来だ。ちいさい!かわいい!とモテたことはモテたのだが、男性扱いはされなかった。ほとんどマスコットのようなものだったのだ。
「お前からリクエストはねぇの?」
「リクエスト?」
「好きな女のタイプ。やっぱり、ちっちゃくって、大人しいかんじの子?」
 遊戯はそうでもないと返事をした。
「元気で、活発な子が好きかな。初恋の相手もそうだったし」
「へぇ」城之内は興味が湧いた。こんなナリでもそれなりに恋はしたのか。まあ、するよな。「どんな女?」
「幼なじみ」遊戯はそう答えた。「ダンスやってて、スタイルよくってさ、胸おっきくって、ウエストきゅっと締まってて。性格もハキハキしてて、かっこよかったよ」
 それはたしかに良さそうな女だ。
「付き合わなかったのか?」
「杏子――あ、その子の名前なんだけど、杏子は、もうひとりのボクのことが、好きだったからなぁ」
「もうひとりのボク?」
「ボクの、高校時代のともだち」
 そう言うと、遊戯はすっとまぶたを伏せた。
 ふだんの遊戯からは思いも寄らないような、大人びた表情だった。口元は微笑に似たものを讃えている。冷笑ではなく、沈痛でもない。ただ静かな哀しみと、過去への憧憬に満ちている。
 城之内はじっと遊戯を見つめた。
 なぜ胸が騒ぐのだろう。
「そいつは、今、どうしてんの?」
「遠いところに行っちゃった」
「どこ?」
「エジプト……かな」
 遊戯は透き通るような笑みを浮かべた。
「会えないのかよ?」
「うん。もう会えないんだ」
 亡くなったのか、それとも別の理由があるのかわからない。ただ遊戯は失ってしまったのだと城之内はわかった。とても大切で、大事だったのに、もうそれは取り戻せない。
 城之内も、そういう経験は何度かある。
 子供のころ、母親と妹と別れた。高校のときに真面目につきあっていた女とも別れた。結婚を望んでいた彼女に、将来の約束ができなかったからだった。好きなのに別れた。
 それから父親が死んだとき。どうしようもない男だと、憎しみと哀れみの入り交じった感情をなだめて、なんとかやり過ごしてきた毎日が、ぷっつりと途切れた。楽になったはずなのに、妙にやりきれなくなった。子供の頃のように、何もかも手に入れられたらと願うことは、もうできない。自分が、ただのちっぽけな、何も手にしていない人間だということに気が付くだけだ。
「遊戯ってさ」
「なに?」
「こんなチビッこくても、やっぱ同い年だな」
「なんだよ、それ!」
 そう言って怒ってみせる姿は、いつもの通りだった。それなのに城之内の胸のなかに、なにか熱いものが無性に溢れてきて、止まらなかった。どうしていいのか、よくわからない。言葉も思いつかない。城之内はかわりに、遊戯をぎゅっと抱きすくめた。
「うわ!」
 びっくりしたのか、遊戯のあの大きな目が至近距離でぱちぱちと瞬いている。ちいさな身体は城之内の腕の中にすっぽりおさまってしまった。抓んだみたいにちんまりした口元がやけに目につく。桜みたいな色をしてる。そこにくちびるを近づけようとしたら、遊戯がきょとんとした顔をした。
「ど、どうしたの、城之内くん?」
 別にボク、怒ってないよ。チビって言われたぐらいでむくれたりしないよと、見当違いのことを言いながら、城之内の背中をあやすようにたたく。城之内ははっとした。なにしようとしてたんだか、オレは。キスがしたかったわけじゃない。そうじゃない。ただ、なにか、うまく言えない何かがこみ上げてきて、それに突き動かされただけだ。それだけだ。
 城之内は、ごまかすように笑ってみせた。
「お前って子供体温だよな」
「なにそれ」
 遊戯の笑い声が触れた部分からつたわってくる。それが心地よくて、城之内は遊戯のちいさな肩に顔をうずめた。