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ゴールデンウィークも過ぎた平日の昼下がりに、遊戯の店に来客は少ない。もう少しすれば学校帰りの子ども達が現れるだろうが、今のところは平穏だった。遊戯はカウンターの前に座りながら、業界新聞をチェックしていた。
「それにしても、合コンかぁ……」
合コンは、週末――つまり明日、童実野駅付近のレストランでやることになっていた。女の子と知り合えるのも楽しみなのだが、なにより城之内がそんなことまで気にしてくれたということが遊戯にはうれしかった。気を使われるということはいいものだ。
別に、これが遊戯の処女を奪った埋め合わせ、というわけではないだろう。城之内はそこまで殊勝じゃないし、そもそも、それをたいした問題だと思っていない。
それとも、城之内の方も彼女が欲しいのだろうか。
なぜか、眉間に皺が寄った。
「……あれ?」
遊戯は首をかしげた。城之内の今の職場に、若い女性はまったく居ない。友人に合コンを頼んで相手を見繕うのは、ちっともおかしくはない。それなのに、なぜ自分は機嫌を悪くしているのだろうか。
「ヘンだなぁ……」
城之内に彼女ができたら、また友人に先を越された!と嘆くかもしれないが、まだ女の子と会ってもいないのである。不機嫌になる要素なんて、まったくないはずだ。
「なんでなんだろう……?」
新聞に目も通さず、首をひねっていると、店のドアのベルがからころと鳴った。そういえば、そろそろ城之内が来る時間だった。祖父が食べたいとだだをこねるから、わざわざ駅前まで行って買ってきた麩まんじゅうがあるのだ。お茶と一緒に出してやろう。奥に行ってくるかと思って立ちあがる。
「あれっ?」
「宅配便でーす。ハンコお願いします」
挨拶をして入ってきたのは、城之内ではなかった。
*
「腹……へった……」
熱がある。汗で身体中ぐっしょりだ。喉も痛いし、頭も痛い。朦朧としている。しかし、それよりなにより腹が減った。昨日の夜から何もたべていないのである。トイレに出るのも面倒で、水もあまり飲んでいない。
(なんで、この時期に風邪なんて……)
城之内は、荒い息をついた。
ああ、くそ。身体の丈夫さには自信があったのに。
だれが拾ってきたのかわからないが、この5月も終わりという時季はずれに職場になぜか風邪が蔓延していた。同僚が次々とダウンしていく中、持ち前の体力でなんとか踏ん張っていた城之内だったが、徐々に体力を削られていき、だましだまし仕事に出ていたのだが、ついに今日限界に達してしまった。他のメンツが復帰しているのが、不幸中のさいわいである。
「死ぬ……」
このままホントに死ぬんじゃねぇかな。
ふだん、風邪一つひかないせいで、こういうときには妙に心細くなる。死んでも誰も気がつきそうにねぇよなぁ。城之内は暗鬱とそんなことを考えた。
本田や他のやつらも一年ぐらい連絡をとらなかったら、さすがに気にするだろうが、1週間程度では気にしそうにない。このままおだぶつになっても、気密性のない部屋だから、死体が腐敗したらすぐに他の部屋の人間が気が付いてくれるだろう。妹の静香は泣いてくれるだろうが、そんな姿は見せたくない。そんな考えが散漫にぐるぐると回る。
そういや、遊戯は泣いてくれるだろうか。
葬式ぐらいには来てくれるにちがいない。
香典、いくらくれるかな。
あいつの処女奪っといてよかったな。じゃなかったら、お互い気にも留めてない。
店がゲーム屋だからといって、何かのゲームのカードばっかり弄ってるような男だったが、暗いわけでもなく、けっこう話も合った。子供みたいだから、つい気になるのだ。いろんなところに連れだしてやると、大きな目をきらきらさせて喜ぶのだ。
そんな遊戯を見ていると、なぜか嬉しかった。小さいころ、妹の静香の手をひいて、遊びにつれていってやったことを思い出すからかもしれない。遊戯は、これまでの友人の範疇とはまったくちがっていた。それでも、一緒にいると楽しかった。
会いてぇなぁ。
無性に、あの顔がみたかった。子供みたいな、でっかい目。ぽきんと折れてしまいそうなほそい首。肉も脂肪もついていないような、ほっそりした手足。
毎日見てるせいかな。
電話して、見舞いに来いって言おうかな。
だが布団からでて、携帯電話をさがしだし、電話をかけることが、とてつもない大事業のように思えた。健康でいるときなら、意識もせずにできることなのに。息をするのでさえ、うっとうしい。
一人って、不便だよなぁ。
誰かが、そばにいてほしい。
来いよ、遊戯。
心の内で呟く。
来るはずがないのはわかっている。
本当に、来ればいいのに。
熱にうなされていると、なにか物音が聞こえた。ノックの音だった。家賃や光熱費なら払ってある。集金されるようなものも他にない。新聞の勧誘か、NHKか、宗教か。どれにせよ出る気力なんてない。ほうっておくことにした。
それなのに、何度もノックされる。
いい加減にしろ、こんちくしょう。
体調が普通だったら、ぶっ殺す。と思いながら、よろよろと立ち上がり、はいつくばるようにしてドアを開けると、目の前に誰もいない。誰だ。まさか幽霊か。
「城之内くん!」
目線をさげると、馴染みの顔があった。
「遊戯」
なんで、ここにと考えるヒマもなく、城之内は玄関先にぺたりと座り込んだ。立ちくらみがした。真っ当に立っていられない。
「わり……、その、オレ……」
「いいから、布団戻ってよ。城之内くん」
遊戯はそう言うなり、靴(いつものあの鋲がいっぱい打ってある黒革のやつだった)をぬぐと、城之内をずるずると引きずって布団に戻した。
「意外に、力あんのな」
「薬飲んだ? ご飯は?」
城之内は力なく首を振った。
「どっちも、まだ」
「お粥にする? ゼリーにする?」
「ゼリー」
冷たいものが欲しかった。
遊戯は、がさごそと手に持っていた白いポリエチレンの袋から、ゼリー飲料を取りだして、城之内に渡した。
「とりあえずお腹になにか入れて、薬のみなよ」
「うん」
素直にゼリーをすする。冷たくて、かすかにあまい。身体に水分が染み渡っていくのを感じた。もうひとつ味のちがうものを啜ってから、遊戯がもってきた薬を飲んだ。
その間に遊戯は、レトルトの粥やスープやヨーグルトやプリンや桃缶やペットボトルのスポーツ飲料などを、部屋の片隅のちいさな冷蔵庫にしまっていた。そのあと城之内の口に、もってきた電子体温計をつっこんだ。ピッとシグナルが鳴ったあと、温度を見る。39度。
「これじゃ、明日の合コン無理だね」
「電話、とって」
遊戯は畳にほうりっぱなしになっていた上着のポケットから携帯をとりだし、城之内に渡した。ついでに上着をハンガーにかけて、鴨居につるした。城之内はがらがら声のまま、本田に連絡を入れた。メールを打つ気力もない。本田からはいいから休んで養生しろと言われた。おうと返事をして電話を切る。
「わりぃな、遊戯。オレから言ったのに」
「いいよ、そんなの」
遊戯は首を振った。とくに残念だという気持ちは湧いてこなかった。それよりも、合コンが中止になったことのほうがうれしかった。なんでボク、喜んでるんだろ。へんなの。
ぐったりと布団に横たわっている城之内のひたいを、濡れタオルでふく。
「汗すごいから、身体拭いて着替えようね」
城之内はぼんやりとした瞳のまま、うなずいた。遊戯はてきぱきと、城之内の汗で濡れたTシャツを脱がせると、身体を丁寧に拭きはじめた。上半身は問題なく終えたのだが、下はどうしたらいいだろうか。
「下着も、変えた方がいいよね」
「うん。さっぱりしたい」
城之内はおさない子供のように答えた。すっかり遊戯に任せる気満々だ。
まあ、遠慮する必要はないか。もう前に見ちゃったはずだし。
まるで幼稚園の先生か、お母さんみたいだよなと思いながら、遊戯は城之内の穿いていたパジャマ代わりのジャージをぬがせた。あんまり見ないようにして、パンツもぬがせる。看護を仕事にしてるひとは、毎日やってるんだよな、大変だな――と意識を逸らせてみるけれど、なぜか頬が熱くなった。胸がどきどきする。城之内くんは、風邪なんだし、照れてる場合じゃないのに。
「なあ」
城之内が口を開いた。
「なに?」
「ついでに、抜いて」
すこしかすれた声で、城之内はそう告げた。
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