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「しょ、処女?」
お前、女だったっけ?と城之内が見当違いの答えを返し、遊戯の怒りに油を注いだ。
ボクの、どこが、女に見えるっていうんだ。ちょっと背が高いからと思いやがって、こんちきしょー!
「ボクのケツ掘っただろ!」
ぶっ!
城之内は口からビールを吹き出した。もったいねぇと情けない顔をしながら、そこらにあったぺらぺらのタオルで、畳と自分の身体を拭く。
「……おぼえてねぇよ、これっぽっちも」
ああ、そうでしょうとも。遊戯はぐびぐびとビールの缶を飲み干すと、だんとそれを畳にたたきつけた。勢いあまって、金色の缶が転がっていく。その態度に恐れをなしたのか、城之内は先生に怒られた生徒のような顔をして、遊戯の方をうかがった。
「ほんとに? ほんとに、オレとお前でしたの?」
「突っ込まれた。血もでた。痔の薬も買いました」
もう治ったけどさと、遊戯が付け足す。
「信じらんねぇ……」
城之内は頭を抱えた。必死になって思い出す。そういえば、身体がべたべたになってたから、ホテルの風呂に入ったんだっけ。三万円ショックですっかり忘れてたが、たしかにそれは性行為の名残だった。突っ込んだかどうかは別として、精液を出したことはまちがいない。つか、突っ込んだんだ。オレ。この小さい男相手に。チンコ勃てたんだ。
そんな自分は、さっぱり想像がつかない。
こんだけ小さいなら、ケツの穴も小さいだろうな。そりゃ前戯もしないで突っ込んだら血ぐらいでそうだよな。つか前戯したんだろうか。こいつのチンコこすったり、くわえたりしたんだろうか。いくら酒に酔ってたからといって、こんな趣味以前の、チビ相手に……。
ああ、神さま。
オレが何をしたというのでしょう。
「お前が、誘ったの? 男好きなの?」
城之内がそう訊ねると、遊戯は顔を真っ赤にしてぶるぶると震えた。
「ふざけるなー!」
そう叫ぶなり、すっくと立ちあがり、城之内に向かって突進してくる。
「うお!」
油断していたところに頭突きを喰らう。胃からビールが逆流してくる。あわてて口を押さえた。遊戯はそのまま城之内を押し倒し、馬乗りになって、ぽかぽかと城之内をなぐりはじめた。
「男が! 好きなら! お見合い! パーティに! 行くか!」
ぺち! ぺち! ぺち!と単語の切れ目にあわせて、城之内を殴る。子供がだだをこねているようなもので、たいした威力はなかった。こりゃもう、しょうがねぇか。城之内はあきらめて、しばらく、そのままにさせておいた。
力はだんだんと弱くなり、そのうち手が止まった。かわりに、ぽた、ぽたと濡れたものが落ちてくる音がする。
「うっ……うっ……」
「おい」
自分の身体の上で、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしている。まるで、こっちが悪いことしたみたいじゃないか。城之内はこまったなと呟きながら、頭を掻いた。
「泣くなよ、男のくせに」
「……いいだろ、別に」
「しちまったもんは、しょうがねぇだろ」
小さな男は、信じられないぐらい大きな瞳で、きっと城之内をにらみつけた。紫色のビー玉みたいな瞳が涙に濡れてきらきらと光っている。城之内はその涙でいっぱいの目をみて、どきりとした。
だって、いたいけな子供みたいな目をしているのだ。頬はりんごのように赤く、すんすんと鳴らしている鼻先も同様につやつやと輝いている。やわらかな頬は涙でよごれていた。殴られていたのはこっちなのに、こちらが虐めてしまったみたいな気持ちになる。そんなの卑怯だ。ずるいじゃねぇか。
「わかってるよ」遊戯はしゃくりあげながら、そう答えた。「しょうがないの、わかってるよ。そんなの」
「じゃあ、なんでそんな怒ってんだよ。謝ればいいのかよ」
「謝らないでいいよ!」遊戯は叫んだ。「自分自身に怒ってんだよ! 酒を飲み始めたのはこっちだし、酔っぱらったのもこっちだし、ホテルの部屋をとったのもこっちだよ。記憶を封印しようとしたら相手が来て、三万円だよ。八つ当たりだよ!」
「八つ当たりって」
「どうせ童貞だよ。もてない男だよ。それなのに男に突っ込まれて嘆いてるんだよ。金払って、ケツ掘られた馬鹿だよ。馬鹿だよ。間抜けだよ。生きてる価値なんてないよ」
「……きよらかさん、だったんだ……」
城之内は呆然とつぶやいた。童貞か。初めてか。子供っぽい見かけのせいで、それに違和感はないのだが、この男が、酒を合法的に飲めて、結婚を考える年なのは確かである。
男の初めてって大切だって言うよな。オレはもうおぼえてないけど。
最初の相手選びを失敗したせいで、セックスに恐怖おぼえたとかトラウマになったとか聞いたことがある。昔、まだ血気にはやる十代の頃、暴力沙汰を起こして相手が入院したときはちくりとも心が傷まなかったのに、今回ばかりは妙に胸がしくしくと傷んだ。
男のプライドだもんなぁ。悲しいよなぁ。結婚相手探しに行って、オカマ掘られたらそれはホラーだよな。あ、今のだじゃれっぽいなぁ。いや、そんなことを考えてる場合じゃねぇか。とにかくもう謝っちまおう。
城之内はそう結論づけた。
上半身を起こし、自分の上にのっかっていた遊戯の脇に手をいれて、ひょいっともちあげて、となりに置いた。それから、自分は畳に手をついて、素直に頭を下げる。
「すまん」
「いいよ」
遊戯は、すんと鼻を鳴らしながら、目をこすった。
「顔洗えよ」
「うん」
冷たい水で、何度も顔を洗っているうちに、遊戯の興奮もだいぶ治まってきた。
城之内はタオルを遊戯に放ってやった。さっきこぼれたビールをふいたやつだった。遊戯は乾いてる部分をさがして、なんとか顔をぬぐった。目蓋がはれぼったいが、涙は止まっていた。
「落ち着いた?」
遊戯は、ほうと大きくため息をついたあと、何かを断ち切るように、こくんとうなずいた。
「言いたいこといったら、すっきりした」
「そっか」
「迷惑かけてごめん。ボク、もう帰るね」
そう言ってコートを羽織ろうとした手を、城之内が止める。いぶかしげに、遊戯が振り返ると、想像もしなかった台詞が返ってきた。
「うち、泊まってけよ」
城之内はそう言った。
*
こんな騒ぎのあとで、どうしてそんな台詞が出てくるのだろう。遊戯は目をぱちくりとさせた。騒ぎのもとは、さっさと追い返すのが吉なのではないだろうか。
「さすがにもう電車ねぇぞ。朝帰れよ。出勤ついでに、送っていってやっから」
「タクシー呼ぶよ」
遊戯はコートを抱えたまま、返答した。
「金もったいねぇだろ。気にすんなよ」
城之内に他意はなかった。本当にこの深夜の時間では電車はないし、バスもない。車で送っていってやってもいいのだが、酒を飲んだ後だし、さすがに眠い。明日も早いのだ。
それに心配だよ、お前みたいなちっこいの、ひとりで帰すの。城之内は心中でつぶやいた。近くで見たって、子供にしかみえないのだ。こんな暗い中に帰して、もし万が一新聞紙上で再会なんてことになったら、今日の落ち込みどころじゃすまない。
「布団、ひとつしかないけど、お前、ちっさいから大丈夫だよな」
布団をずいっと部屋の中央にひきよせながら言う。ちいさいと言われたことに反射的にむっと来たが、さすがにもう声を荒げて抗議する気にはなれなかった。
「いいよ。別に床でも寝られるし」
「無理すんなよ」城之内は、にっと笑う。「慣れてねーとたいへんよ。そういうの」
部屋の隅においてあったダンボール箱から、Tシャツを掘り出してきて遊戯に放る。パジャマ代わりにしろということらしい。城之内の方も服を脱いで、シャツとパンツだけになる。細身だがしっかりと筋肉ついた男らしい身体をみて、遊戯は正直うらやましくなった。いいなぁ。せめて、背丈がもうすこし伸びていればなぁ。
「電気消すぞ」
城之内は、蛍光灯のスイッチをひっぱって消した。部屋の中は暗くなった。道路の街灯の明かりが差し込んできて、うっすらとあたりが見て取れる。
遠慮していてもしょうがない。遊戯も城之内と同様の姿になると、布団の中にもぐりこんだ。なるべく邪魔にならないようにと、背を向けて布団の端に寄る。
「もっと、こっち寄れよ。風邪ひくだろ」
城之内にぐいっと引き寄せられて、遊戯はあわてた。友人の獏良の家に泊まったことは何度もあるし、面倒だからと同じベッドで寝たこともある。獏良のベッドはセミダブルでわりあいと大きかったし、よく知ってる相手だったから、気兼ねもしなかった。
だけど、城之内はちがう。
いや、気にする必要もないはずだ。男同士なんだから。
そう思いながらも、遊戯の頬は熱くなった。腰にまわされた腕の体温が気になってたまらない。自意識過剰だ。あの夜みたいなことが、また起きるわけはないのだし。
「お、襲うなよ」
「だれが襲うか」
むっとした声で返されて、遊戯はほっとした。ぬいぐるみのように抱きかかえられ、お前、あったけーなー、子供体温?と聞いてくる声に、含んだものはなにもなかった。
あの夜のことは、酒の勢いだったのだ。二度と起こらないだろう。そうだ、事故だったんだ。遊戯は、そう素直に思った。さっき、あんな風に騒いで、申し訳なかったな。ごめんねと小さく呟くと、いいよと返答された。城之内は遊戯のあたまをゆっくりと撫でた。
「あのさ、童貞のこと気にしてるなら、ソープいけば?」
「ソープ?」
「ピンサロか手コキぐらいなら、奢ってやってもいいぜ」
「いいよ、別に」三万円に必死になってたくせに。だいたいピンサロでどうやって童貞を捨てられるというのだ。「もう少ししたら、またパーティにでも行ってみる」
「今の職場、女は社長の奥さんしかいないからなー。おばちゃんだしなー。ホストやってたときなら紹介してやったんだけどよ」
「そんなのやってたんだ」
「オレ、職歴はけっこうすごいぜ」
自慢そうに言う。中学時代の新聞配達のアルバイトからはじめて、道路工事に、警備員、引越屋、ビルの窓清掃、パン工場、新薬モニター、パチンコ店、キャッチにホスト。あとからあとから出てくる職種名に、遊戯はすごいねぇと言うしかなかった。
「でもさ、水商売やってたなら、実入り結構よかったんじゃないの?」
「オヤジの借金で、チャラだったからな」
「お父さんの?」
「うん。これがもう絵に描いたみたいなダメオヤジでさ。飲む、打つ、買うの三拍子そろい踏みで、家庭内暴力をふるいまくり、かーちゃんと妹に逃げられるわ、職場も友人も縁切られてるわ、ほんとにどーしょーもなかったの。だからお水できる年になったら、そっちやってた」
「なんで止めたの?」
「きっついし。合わないんだよなー、ああいう仕事。人相手に嘘ばっか言って、ぺこぺこするの疲れる。今のは肉体的にハードだし、たまにとんでもねぇ客も居るけど、無理に酒入れさせたりしないですむもんな」
「ふーん」
意外だった。金がないのは、部屋の様子からも見て取れたが、そこまで大変だったとは思わなかった。遊戯は、金に苦労したことはない。学生時代に小遣いの値上げをねだったぐらいだ。単身赴任の父親の不在を嘆いたこともあるが、母も祖父もいたから、さびしさは感じなかった。幼い頃は、他人と一緒に行動するのが不得手で、友だちができなかったが、高校で仲の良い友人もできた。自分の人生で、一番辛かったのは、大切な自分の半身と別れたことだった。それでもあれは、遊戯がしなければならないことだったし、それを誇りに思っている。
「見かけによらず、けっこう偉いんだ」
「まあね」
謙遜という文字は知らないらしい。遊戯はくすくすと笑った。なんだかなぁ。あんなことのあった相手と、偶然再会して、こんな風に話をして笑ってるなんて。
妙な夜だった。でも悪くはないと遊戯は思った。これも縁というものかもしれない。城之内もそう思っているのだろう。でなければ、こんなに温かくは感じないはずだ。
そのあとも、たわいのない話をつづけた。触れ合っている部分から体温が伝わってくる。その温度の心地よさに引きずられて、ふたりはいつの間にか眠りについた。
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