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 配達を終えて、報告を書くと、もう10時近かった。これでも今日は早い方だ。
 城之内は、配達用に使ってる車でそのまま帰ることにした。でかい会社だと私用は厳禁らしいが、城之内の勤めはじめた運送会社は、大手の下請けのそのまた下請けのような小さな会社で、それぐらいのことはお目こぼしされていた。
 煙草をふかしながら、車を走らせる。ゲーム屋はさすがに閉まっていた。店の前で、クラクションを鳴らすと、二階の窓がぱたんと開いた。
 あの小さい男が顔を突き出して、こちらを見ている。
「降りてこいよ」
 城之内は、車の窓から半身を出して叫んだ。上には制服のジャケットを羽織ったままだった。春の夜は、もうひんやりとひえている。
「ちょっと待ってて」
 煙草を一本吸い終えるまえに、白い春物のショートコートを上に羽織った男がドアから走り出してきた。鋲をうった丈の長い革靴が、ちゃらちゃらと鳴っている。派手なんだか、子供っぽいんだか、わかんないような格好だ。
 城之内は灰皿に煙草をおしつけると、身体をのばし助手席のドアをがちゃりと開けた。
「入っていいの?」
「どうぞ」
 するりと小さな身体が入り込んでくる。ちょんまりと助手席に座り、城之内に向かってぺこりと頭をさげた。
「ども」
「おう」
 言葉が続かない。城之内も、この後どうするつもりかなんて考えていなかった。三万円。それだけ払ってもらえればいいだけなのだが。昼間の反応からすると、向こうも言いたいことがあるようだし、それにこの男の店は客先だ。これからずっと気まずいのも鬱陶しいし、せっかく決まった就職先にたれ込まれるのも困る。
 城之内は、たんたんとハンドルを指先で叩いた。
「の、飲みにでも行く?」
 隣にすわってる男が、気まずそうに指をもじもじと動かしながら訊ねてくる。この間のことは素面で話すのには、ちょっとつらいよなと遊戯は考えた。
「オレ、明日も早いんだよな」城之内はそう言った。これから飲み屋に行って、話をして、それで家に帰るのも面倒である。城之内は顎に手をあてて、しばし考えた。
「うち来いよ」
「うち?」
「オレの部屋」城之内は繰り返した。「この時間だとあとはファミレスぐらいだろ。飲酒運転でつかまりたくもねーし。いいだろ?」
 遊戯はすこし考えたあと、いいよと小さな声で答えた。



 途中のコンビニで、飲食物を買い込んだ。缶ビールに、酒のつまみ、デザート用の甘いものをぽいぽいとオレンジ色のカゴに放り込む。気を使ったのか、小柄なゲーム屋の店員は「おごるよ」と自分から言った。城之内に不平があるわけがない。そちらの支払いを任せて、煙草だけ自分の金で買った。
 ふたたび車が止まったのは、木造二階建ての、いまどき滅多に見られないような、古びたアパートの前だった。敷地のまわりは、ぐるりとトタンの塀でかこわれており、手入れもしていなさそうな伸び放題の木々が、鬱蒼としげっていた。近所の子供たちから、妖怪屋敷とでもよばれていそうな建物だ。
「崩壊しそうだね」
「いまどき、風呂ねーしな。トイレ共同。そのかわり家賃2万」
「すごいね」
「年代モンだよ。このあたりで古いアパート少ないからな」
 建物の1Fの中央にガラスの引き戸があり、そこを城之内はがらりとあけて入った。裸電球がオレンジ色にひかっている。どこか、かびくさいような、饐えたようなにおいがする。空気が湿っぽい。城之内は躊躇せずに、コンビニの袋をもって、そのまま木の階段を上がっていく。遊戯もあとをついていった。足をのせるだけで、みしみしと音がする。今にも、壊れそうだ。城之内は、二階のつきあたりの部屋のドアをあけた。
「来いよ」
「う、うん」
 城之内がぱちりと電気のスイッチを入れる。
 四畳半の部屋だった。畳は黄色く日焼けし、ささくれだっていた。敷きっぱなしの万年床があり、あとは雑誌や、ペットボトルなどが転がっている。たたきの左にかろうじてちいさな流しと、ガスコンロが一口だけついていた。城之内は、木枠の窓をあけて空気を入れた。遊戯はとりあえず、布団の前に座った。
「座布団なくて、わりーな」
「いいよ」コートを脱ぎながら遊戯はそう答えた。かける場所もないので、たたんで隣に置く。「それより、お金わたすよ」
 遊戯は財布から三万円とりだして、城之内にわたした。
「サンキュ」
 城之内はにっかと笑って、金を財布にしまった。うってかわった明るい笑みだった。すっごい現金だよな。遊戯はあきれた。
「お前も、そんな金なさそうだからわるいけどよ」
 どういう意味だ。
「そっちこそ、年収一千万以上には見えないけど。それとも、お金がもったいないから家賃安いところに住んでるの?」
 遊戯は聞き返した。そういう奇矯な人物がいないわけではない。デュエル関係で知り合う人間には、海馬をはじめ強烈な個性をもった人間が多かった。億万長者のくせに、スニーカーとトレーナーで暮らしてる人間もいる。
「あれはバイトだよ」
 城之内は、友人にたのまれてサクラで出ていたのだと説明した。
「サクラ」
 あのパーティに縋ってきた人間に失礼な。むっと眉根をよせると、城之内はにやっと笑って、遊戯の額をつついた。やけに馴れ馴れしい。というよりも接触に抵抗のないタイプなのだろう。そう遊戯は判断した。
「でも、お前だって、あの店で年収一千万以上つーのは無理だろ」
「そりゃ、うちの店だけじゃ無理だけどさぁ……」
 けれど、デュエル大会の賞金や、本の印税などで、それなりに収入はあるのだ。別に経歴を誇称して、あの見合いパーティに出たわけではないのだが。
「まあ、いいだろ。とりあえず飲もうぜ」
 流された。
 まあ、いいか。別に無理に説明するほどのことでもないし。遊戯は割り切ることにした。
 城之内は、おー! プレミアムモルツ! 贅沢な!と喜んで、さっさと缶ビールをあけていた。遠慮するのも馬鹿馬鹿しいので、遊戯も同じようにビールをあける。
「乾杯しよーぜ!」
「なんに?」
「んー。じゃあ、お前との再会に」
 再会したくなんてなかったよ。
 遊戯はため息をついて、つめたい汗をかいた缶を城之内のものとコツンとぶつけあわせた。することもないので、とりあえず飲むことにする。
 窓の外、闇の中にうっすらと桃色がかった花が浮かび上がっている。ぼんぼりのような八重桜だった。ソメイヨシノはとっくに散っている時期だったが、ここの桜はまだ残っていたらしい。城之内は上機嫌で言った。
「部屋で花見酒できるんだぜ。風流だろ」
「まあね。でも、ちょっと寒いよ」
「んだよ。もっと喜べよ」
 ビーフジャーキーをくわえた城之内が、窓を閉めながら、むっとした声をだした。どうも、遊戯の反応が気に食わなかったようだ。
「だって、ボクにもそっちに言いたいことがあるんだけど」
 だから、わざわざここまでついて来たのだ。
「金なら返さねーぞ」
「ちがうよ」
 遊戯はくちびるを尖らせた。金、金と。なんだよ、まったく。自分は、そんなにケチな男にみえるのだろうか。
「じゃあ何よ」
「だから」
 微妙に言いづらい。
「だから、何?」
「だから、その」遊戯は意を決した。ぎゅっとビールの缶をにぎりしめる。アルミ缶がぺこりと鳴った。「な、なんで、ボクを襲ったのさ」
「おそったぁ?」
 城之内は、きょとんとしている。何を言われたのか、さっぱりわかっていない表情だ。あの夜のことはおぼえていないらしい。その態度に遊戯は切れた。
「ひ、ひとの処女うばっといて、なんだよ、その態度!」