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「らいらいねー、ちょっろぐらい背が高くて、イケメンだからって、自慢してる? してるでしょ、キミは?」
「いいえ」
「ちきしょー、ボクだって小学校のときから、毎日朝昼晩カルシウム牛乳飲んでるのに! プロテインとコラーゲンだってとってんのに!」
 すっげぇ、からみ酒だよ。
 城之内はため息をついて、となりのスツールに座っている小男を見つめた。
 小男というよりは、子供と表現するほうが実体をよく表していると思う。背が低い男はいくらでもいる。ヒゲの生えてない男だってみたことはある。そんなものはただの体質だ。
 だけど、そんな赤ん坊みたいなつやつやのほっぺたで、オレと同い年の、大人の男だと言われてもなぁ。
 ふたりは、童実野港のすぐそばに建っているホテルの最上階のバーに来ていた。おおきくとられた窓の向こうには、童実野港の夜景がかがやいている。海馬コーポレーション系列のホテルとあって、白と青で統一した内装も美しかった。雰囲気もわるくない。若いカップルやら、いかにも不倫ですと言わんばかりの年齢差のある二人連れやらが、親密そうに談笑している。音楽が静かにながれ、女性の甘いゆるやかな声が、ピアノにあわせて、愛はお金で買えないのと唄っていた。オーソドックスなカバー曲だった。
 武藤 遊戯と名乗った男は、さっきからカクテルをひっきりなしに飲んでいた。
 バーテンダーもわかっているのか、それほど強いカクテルは作っていないが、それにしたってこの体積に許容できるアルコール量はたいして多くないだろう。すっかり酔いは回っているみたいで、顔も、耳も、指先までまっ赤だ。チェイサー用の水には手をつけていない。
「お見合いパーティでさえ、モテないんだ」
 遊戯はどこか座ったような目をして、子供のようにまるっこい柔らかな指で、ぱりぽりと銀色のトレイに盛られた自家製ローストのカシューナッツをむさぼっている。爪はきれいに切りそろえられていて、ピンク色をしていた。
「今日は運がなかっただけだろ。また次の機会があるさ」
 城之内はグラスをかたむけながら、おざなりに慰めた。遊戯は首を横にふった。入試で本命に落ちた受験生のように、銀行に借り入れを断られた経営者のように、婚約者から破談を言い渡された男のように絶望的な顔で、ぼそりと呟く。
「年収一千万以上で釣ってみたのに。それでもダメなんだ」
「そんな落ち込むなよ」
「落ち込まずにいられるか!」
 たん!とグラスを叩きつける。
 城之内は肩をすくめた。
 そもそも、なんでオレがこいつの面倒をみてるんだろう。



 城之内は、パーティ会場で騒ぎだしそうになったチビっ子を、あわてて引っつかんで外に出た。甲板で風にあたればすこしは落ち着くかと思ったのだが、四月のまだ肌寒い潮風に吹かれた程度では、その怒りは治まりそうもなかった。
 でも、そろそろ終わりか。
 目の前に桟橋がみえる。かるい衝撃があった。接岸したようだ。ちょうど船が港に着いてお開きになる時刻だったのだ。助かった。あとは本田にでも預けて、このまま帰ってしまえばいい。ガキの相手まではバイト代に入ってないはずだ。
 そう思ったのもつかの間、スタッフらしく黒いタキシードを身につけた本田が、クレームの処理よろしくな!と、にこやかに笑うなり、他の客をひきつれて船を下りていった。
 あとに残ったのは、この武藤と名乗るチビと城之内だけだった。
 冗談じゃない。
 このまま置いて帰ろうかと思った瞬間、いきなり腕をひっつかまれた。きっと大きな目で見つめられる。
「な、なんだよ」
 おもわず、声がうわずる。
「ホテル」
「え?」
「ホテル、行こう」
 まさか、ベッドイン!?
「ざっけんな!」子供みたいな容姿の男は、城之内の表情を読んだのか、むっとした顔で見上げると、軽く足をけっとばしてきた。
「飲み足りないからバーに行くだけだよ」
「金、ねぇよ」
 城之内は答えた。
「奢るよ」
 そう言うなり、くるりと小さな背をむけて、すたすたと歩きだす。あんまりきっぱりした行動だったので、城之内もそのままついてきてしまったのだ。
(奢りっていうと、ほいほいついていく癖もなんとかしなきゃな)
 心底、貧乏性なのだ。



 ウイスキーソーダでフィッシュアンドチップスを流し込んだあと、やっぱりもの足りなくてクラブハウスサンドイッチを出してもらった。肉が喰いたくなって、神戸牛のたたきを頼む。奢りなのだ。滅多に食べられないものでも食べよう。
 その間もちいさな男は、じっと存在しない一点をにらみつけるような怖い目付きをしながら、えんえんと飲み続けている。
「もう、そのへんで止めとけよ。帰れなくなるぞ」
「いーよ」
「よくねぇだろ」
「泊まるからいい」
 そういうなりバーテンダーに、部屋をとってくれるように頼んでいた。こんなチビななりして来慣れているのだろうか。いや、そんなに女慣れしてるんなら、わざわざ見合いパーティ来ないよな。
「城之内くんだっけ」
「おう」
「そっちは、どうすんの?」
「どうって?」
「帰る? 泊まる?」
「奢り?」
「奢るよ」
 その言葉につられてしまった自分を、城之内はあとで激しく恨むはめになった。



 ベッドの上で、城之内という名前の男は全裸のまま眠っている。遊戯自身も、彼も酒臭い。アルコールのにおいだけではなくて、別のにおいもする。
 男ならよく知っている、嗅ぎなれたニオイだ。
 精液のにおいだった。
「まさか……」
 遊戯はあわてた。
 いや、まさか。まさか。単にパジャマ着ないで寝ただけだよね。朝だから夢精したのかもしれないし。男同士なんだし、そうそう間違いがおこるわけが……。
「あ、痛っ!」
 上半身を起こしただけで、身体に痛みが走る。
 腰が痛い。背中も痛い。太ももの筋肉も痛い。しかし一番痛いのは、臀部だった。尻の肉ではない。その奥の部分だ。
「……………………」
 遊戯は、ベッドからゆらりと立ちあがった。
 どろりと、何かが身体の中からあふれだしてくる。こんな感覚は、産まれてはじめてだった。気色わるい。悪寒がした。遊戯は、そこにそっと手を這わせた。
 信じられない。
 裸のまま走って、風呂場に向かった。バスタブとシャワーブースは別になっている。硝子張りのシャワーブースに入り、すぐさま湯を浴びた。熱い湯の音とともに、大理石の白いタイルの上に、赤いものが流れていく。
(血だよ……)
 気が遠くなりそうだ。
 遊戯は無表情になりながら、シャワーブースに置かれていた石けんを泡立てて、下半身に触れた。痛い。とてつもなく痛い。あそこが切れている。まちがいない。どうすんだよ痔になったら。痛みに耐えながら、指先をそっと入れる。中にたっぷりと出されている。現実に打ちのめされて、遊戯はガラスの壁に手をついた。
「なんなんだよ……」
 まさか、男に犯されるだなんて。
 童貞失う前に、処女無くしてどうするよ。

 遊戯は身体を清めたあと、服を着て、男の様子をうかがった。
 まだ気持ちよさそうに、ぐうぐうといびきを掻きながら眠っている。
 すこしだけほっとした。
 これ以上、関わり合いにはなる気もない。このことを誰にも知られたくない。
 となると、残ってる案はこれしかない。
 ――三十六計逃げるにしかず。



 目が覚めると、ひとりっきりだった。
 見慣れないホテルの部屋だった。城之内は頭をぼりぼりと掻きながら、あたりをみまわした。ダブルベッドの上は寝乱れている。シーツはぐしゃぐしゃで、しかもべたべたとした汚れが付いていた。この状態にがわからないほど城之内も幼くはない。
「昨日……、誰といたっけ……」
 仕事を首になったばかりで、女とも別れていた。行きずりの女と寝るなら、わざわざこんなに高そうなホテルに来る必要はないだろう。それともどっかの金のあるおばちゃんにでも買われたのか、オレ。
 城之内は頭をひねった。何も思い浮かばない。
 とりあえず体液でべたつく身体を清めるために、シャワーを浴びに行った。
 バスルームは清潔で、ひろびろとしていた。せっかくだから、ゆっくり入ることにした。バスにソープを垂らして、湯を注いだ。泡だらけになったバスタブに潜り込み、頭から洗う。付属のテレビでニュースを見ながら、カミソリでヒゲも丁寧にあたる。
 良い気分でくつろいだあと、ゆっくりホテルを出ようとしたところで、にこやかにホテルマンの男に引き止められた。
「お支払いは、こちらでお願いします」

 三万円。
 バイト代が吹っ飛ぶどころではない。


「くっそー、あのチビ、おぼえてろよ」
 金を払いもせずに、さっさと逃げやがって。
 一週間経っても忘れられない。
 城之内は口をへの字にまげながら、ハイルーフのハンドルを乱雑に切った。
 思い出すと腹がたつ。あんな何も知らない子供のような顔をしておきながら、酒は飲むは、からむは、奢るといっておきながら金を踏み倒すは。ちきしょう。もう一度あったらタダじゃおかない。
 本田から聞き出してやろうと思ったのだが、さすがに客の情報は流せないからさーとへらへら笑って流された。サクラを頼むような会社で守秘義務がなんだというのだ。くそ。友達甲斐のない。かといって本当のことを言うのもはばかられる。あんなチビに美人局にあったなんて恥ずかしくて言えない。
 制帽をとって、頭をがりがりと掻く。
 宅配便の仕事を始めてから、今日で5日目だった。この仕事は初めてだが、学生時代には新聞配達をやってたせいか、配達ルートを考えるのは苦にならなかった。なかなか向いていそうだ。
 信号待ちの時間に、次の届け先をチェックする。配達ルート自体は、営業所を出るときにすでに決めてくるのだが、確認は必要だ。
「なんだ、この『亀のゲーム屋』って」
 妙な名前だ。
 アダルトグッズでも売ってるんだろうか。亀っていうぐらいだし。



 こぢんまりした店だった。ちょっとしゃれた斜めの屋根。住宅の一階を店に、二階を住居にしているらしい。どっちかというと昔懐かしい喫茶店みたいな店舗だった。城之内は荷物を担ぎながら、店のドアをあけた。ちりんちりんとドアベルが鳴る。
「ちわーっす、配達です」
「はーい、ごくろうさまです」
 やけにちんまりとした人物がカウンターの影からでてくる。つんつんと尖ったヒトデのような奇妙な髪型をした店員だった。ごく普通のジーンズに、上には黒いノースリーブ。店員らしくエプロンをつけてるが、なぜかほそい首にがっちりと太い首輪をはめている。
 その男は、城之内の顔をみて、ぽかんと口をあけた。
「あーーーっ!」
 城之内は、その顔をみて、おもわず大声をあげた。どさりと持ってきたダンボール箱を床に落とす。
「三万円!」
「さんまんえん?」
 ちいさな男が首をかしげる。城之内はその首輪をひっつかんで、ぐいっともちあげると、目の前の男にむかって、大声でがなった。
「金返せッ! オレの三万円ッ!」



 そういえば、たしかにホテル代支払うの忘れてたっけ。
 奢るって言ったおぼえもある。
「えっと、その、お金は払うけどさ」
「払うけど、なによ」
 宅配便の配達員は、むっとした顔のままカウンターによりかかり、腕を組んでこちらをにらみつけている。遊戯はこまった顔のまま、所在なげに自分の身体をだきしめた。
「ボクだって、どちらかといえば、それなりに慰謝料とかもらいたい気分なわけで」
「なんだよ、それ」
 城之内という男は、不審そうに目を眇めて、遊戯を見た。
 金も残さず、勝手に置き去りにされて、不快になった気持ちはわからなくもない。遊戯もその点はもうしわけないと思う。
 三万円。それぐらい別に惜しくはない。すぐに払える。
 だけど、だけどさ、ひとの処女奪っておいて、その話は一切ナシかよ。つっこんどいて、そのことには何もふれないのかよ。だいたい年収一千万以上のパーティに来てたくせにそのセコさはなんだ。この宅配便の仕事は趣味か。
「一言ぐらい、あってもいいんじゃないの?」
「ああ?」
「だからさ、あのとき、しちゃったじゃんか!」
「したって何を?」
「アレだよアレ!」
「アレじゃわかんねぇってば!」
「だから、その!」
 セックスだよ。ボクのケツに突っ込んだだろ。あのあとしばらく薬常用してたんだぞ!と遊戯は言いたかったのだが、あわてて両手で自分の口を塞いだ。なぜなら自分の祖父が、家の奥からやってきたからである。あー、もー、どうしてこのタイミングで!
「どうしたんじゃ、遊戯? 何かトラブルか?」
「なんでもないよ、じーちゃん」遊戯はあわてて首を振った。それから、配達員の制服を着た城之内の胸もとをぐいっとひっぱる。
「んだよ」
「あとで、二人っきりで話をしない?」
 城之内はちらりと店の時計をみた。あまり長居するわけにもいかない。配達はこの後もまだあるのだ。
 おまけに、いかにもこのチビと血縁関係がありますといわんばかりの髪型をしている祖父だという男は、ブルーのデニムのオーバーオールのポケットに手をつっこんで、興味深そうにこちらを見ている。
 家族がいるところで妙な話はしたくないってことか。それぐらいは譲歩してもいいだろうと城之内は思った。あんまり追い込んで逆ギレされても困る。
「いいけどよ。逃げんなよ」城之内は付け足すように言った。「オレ、このあたりのエリアの配達担当になったから。逃げても、また来るけどよ」
「逃げないよ」
「仕事終わったら、この店来る。そんでいいか?」
「わかった」
 遊戯は荷物にサインをし、それから営業時間に電話番号も載っている店のチラシを城之内に渡した。連絡先はこれで十分なはずだ。