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目が覚めたら、ホテルだった。
どうみてもホテルだった。
ラブホテルではなかった。サラリーマン御用達のビジネスホテルでもなさそうだ。白で統一された品のいい内装からみても、壁一面をぶちぬいたかのように大きくとられたガラス窓からみても、それなりのグレードのシティホテルだろう。
シティホテルだって、ツインでなら、男二人で泊まっても別に何の問題もない。
だが遊戯が寝ていたのは、どうみてもダブルベッドだった。そして、となりには、裸の男が気持ちよさそうに寝息を立てている。
おまけに、自分も全裸だった。
「嘘だろ……」
遊戯は青ざめた。
男の顔に見覚えはなかった。薄い茶色の髪をしている。色の抜けた端っこの方は、朝の光に透けると、きらきらと金色に輝いていた。口元からだらしなくヨダレが垂れてるが、明るい部屋でみても、そこそこの男前だった。
だれだっけ、このひと。
遊戯は首をかしげた。友人ではない。仕事関係の人間でもない。近所の人でもない。およそ考えられる限りの、自分の知ってる人間ではないが、どこかで見た覚えがある。それもつい最近。昨日。童実野湾での船上パーティ。そうだ、たしか、この男の名前は……。
「城之内……?」
そうだ。たしかこの男は「城之内 克也」と名乗ったんだ。ホテルのバーで。
*
「もう信じられない!」
遊戯は缶ビールを片手にクダをまいていた。巻かれている相手は友人の獏良だった。遊戯は、今日、家に届いた手紙をもって、獏良のマンションに愚痴りにきたのだ。おなじ内容の手紙は獏良の家にも届いていた。ピンク色のしあわせオーラがたちのぼる往信ハガキの返送先には「花咲 友也」と書いてある。
「花咲くんも結婚かー、わりと早かったよねぇ。しかも、できちゃった婚だもんね」
「あー、これだから商社勤めはー!」
えい、ちきしょうと遊戯は腕をふりあげた。
花咲はふたりの高校時代のクラスメイトである。遊戯はゲーム全般、獏良はオカルトとTRPGとフィギュア制作、花咲はアメコミのゾンパイアマニアと微妙に傾向がちがったのだが、三人ともたいへんなインドアオタクという点で共通しており、仲が良かった。高校のときは、よく獏良の家でTRPGをやったりしたものである。獏良はその当時からこのマンションで一人暮らしをしており、みんなで集まって騒ぐにはちょうどよかった。
結婚はめでたい。友人の結婚ならばさらにめでたい。当日のスピーチまで任されているのである。祝ってやりたい気持ちは十分にある。
しかし、それと同時にやるせない気持ちにもなるのだ。
だって、まさか、花咲くんに先を越されるなんて。
くそう、どうせまだボクは童貞ですよ。この年で、まともに女の子と付き合ったことなんて一度もありませんよ。先を越されてくやしいよ! 正直!
「獏良くんさぁ、職場でいい子いないの? 紹介してよぉ」
遊戯は、うーと軽くうなった。完璧に酔いが回っている。
獏良は水を勧めながら、「僕の周りにいる女の子はみんな、僕のこと好きだからなぁー」と、にこやかに笑った。
すごい台詞だ。さすが、学生時代に私設ファンクラブがあった男だ。
遊戯は、長年の付き合いで、この返答に悪意も皮肉もないのを知っている。知っているから怒りはしない。怒りはしないが、とても空しい。
「彼女ほしいよー! 結婚したいよー!」
魂の叫びだった。
「あ、そうだ。海馬君に相談したら?」
獏良は、それがとても素敵なアイデアだとでも言うように、ぱちんと手を打った。
海馬というのは、遊戯たちの共通の友人であり、同級生であり、海馬コーポレーションというアミューズメント会社の社長であり、遊戯が得意とするカードゲームの高名なプレイヤーでもあった。ちなみに、そのゲームをやっている人間たちは、自分たちのことを決闘者(デュエリスト)と呼んでいる。ずいぶんと大仰な呼び名だが、そういう名前の付け方も業界全体を盛り上げるために必要らしい。
海馬は、カードゲーム――つまりデュエルでの勝利に異様に固執する人間としても有名だった。資金力にものを言わせたレアカードと、ソリッドビジョンを始めとする海馬コーポレーション独占技術を独力で開発したというその頭脳をフルにつかって、えげつなく力押しで完全に完璧に勝利をもぎとるのだ。その海馬が未だ勝利したことのない唯一の相手として、遊戯を特別視していることも広く知られていた。
「海馬くんなら、きっと喜んでみつけてくれるよ。『ふぅん、お前に世界中から最適のデュエリストの花嫁をみつけてやる! そして最強のデュエリストを作るがいい! ワーハハハハ!』って言いながらさ」
「もう言われた」
遊戯はげっそりとした顔で返答した。
「言われたんだ」と獏良は言った。
「うん」遊戯はうなずいた。「オレよりも強い女性が見つからない。仕方がないから、貴様とオレの遺伝子をかけあわせるために、研究所を建てたわ!って」
獏良はめずらしく遠い目をした。
「……海馬コーポレーションがさ、どっかのバイオ技術の会社買収したのって、それが理由だったりするの?」
「知らないよ!」遊戯はやけになって叫んだ。「ああ、どうせ、ボクはデュエリストにしかモテませんよ! ボクの価値はデュエルだけですよ! なんだよ海馬くんのばか! お前の遺伝子だけは未来永劫残してやるわ!ってなんだよ! ボクは遺伝子以外に価値ないのかよ。女の子紹介しろよ! 金持ち!」
「女の子のデュエリストは?」
遊戯は悲しげに首を振った。
「デュエルキング最高って言われるけど、それだけだし! テレビでみるよりも、意外と小さいんですねって言われるし! 小さくて悪いかー! チビでわるいかー! 恋愛したいんだよー! デュエル以外でも愛をはぐくみたいんだよー! ときめくような出会いをして、ゆうばえの照り映える海岸でキスをして、白いホテルでふたりで恥じらいながらモーニングコーヒーを飲みたいんだよー!」
「今どき、エロゲーでもギャルゲーでも出てこないよ、そんなシチュエーション」
獏良は冷静に答えた。
「じゃあ、ボクはどうやって恋人を見つければいいのさ!」
「カップリングパーティーはどう?」
「カップリングパーティー?」
遊戯は首をかしげた。
「ちょっと待ってて」
獏良は、自室から黒い薄型のノートパソコンをもってきた。なにか打ち込んでいたかと思うと、遊戯に画面を見るように言う。そこには、カップリングパーティーのサイトが表示されていた。
「ああ、お見合いパーティか」遊戯は画面にざっと目を通したあと、うなずいた。女性と男性が複数人で出会って、お話をして、うまくいけばカップル成立というやつである。なるほど、たしかにこれなら、ふだん女性と縁のない自分でも、異性と知り合えるだろう。
「でもさ。ボク、女性への第一印象ってあんまりよくないんだよね」
背が低い上に、童顔なのだ。年齢相応に見えないどころか、未成年、下手すると中学生扱いまでされることもある。正直、初対面の女性相手にモテる自信がない。
「大丈夫。年収1千万以上の男性専用。これに申し込もう。これなら相手の女の人は本気だよ」
獏良はきっぱりと断言した。
「ねぇ、もしかして獏良くん、すこし酔ってない?」
「財力だって魅力のひとつだよね」
まったく遊戯の話は聞いていないようである。
獏良は、勝手に遊戯の名前と住所と電話番号と年収を打ち込むと、止める間もなく、予約フォームを送信した。
*
「サクラぁ?」
「悪いけど、頼むよ城之内」
な、頼むからとスーツ姿の本田が、城之内を拝んでいた。城之内の方はTシャツにジーンズというラフな格好である。呼びだされた駅前のハンバーガーショップで一番安い、熱いだけのコーヒーをすすりながら、城之内は本田にたずねた。
「フツー見合いパーティのサクラっつーのは、女がやるもんじゃねぇのかよ」
「今回、男の方が売り手市場なんだよ。年収一千万以上で仕切ってるから」
「そんな男、ほっといても女が寄ってくるだろ?」
ある程度の年になれば、男は金である。
「だから、男が足りないんだよ」本田は言った。「今回人数たりねーし、ルックスいいのなんてくるわけねーし。どうせハブになる女はいるわけなのよ。でもさ、向こうも金だして来てるわけじゃん? それなりにいい気分になって、今回はダメだったけど、あのレベルの高収入の男がいるって思って帰ってもらいたいわけよ。そうすればリピーターになって、また来てくれるかもしれないだろ?」
「なるほど」
「その点、城之内なら顔もいいし、口もうまいしさ」
小学生時代からアルバイトで食いつないできた城之内である。金髪頭のヤンキー兄ちゃんのような見てくれをしているが、敬語も真っ当に使えるし、相手を褒める術も知っていた。舌先三寸で、金の実入りが違うというのなら、そりゃもういくらでも舌を回すというものだ。おべんちゃらなんてタダだ。衣食住足りて礼節を知るというが、本当にひもじい思いをしたことのある人間には、プライドなんてクソの役にもたたないことをよく知っている。
「まるでオレの取り柄が顔だけみたいに」
「顔だけじゃん」
「腕っ節も自慢だぜ」
「実社会で何が役にたつっちゅーの。柔道で金メダル取れるならともかく」
学生時代はケンカで鳴らした男である。暴力沙汰には強かった。なぜ不良学生からチンピラヤクザへの王道を歩まなかったのか、周りからも不思議がられているぐらいだ。城之内自身も謎だった。本田以外のツレはみんなそっちの道に就職したというのに。
なあ頼む!と拝み倒す本田に、城之内はにやりと笑ってみせた。
「バイト料いくらだす?」
本田はおずおずとひとさし指を立てた。城之内はとなりの中指と薬指をたててやる。
「無理!」本田は首を振った。「これで精一杯だっちゅーの!」
「あと五千円」
「三千円」
「プラス、今日の夕食代。場所は変えてだぜ」
本田は力なくうなづいた。
まあいいか。城之内は笑って立ちあがった。ちょうど仕事を首になったばっかりだしな。
*
人と夜景との素敵な出会い。童実野湾クルージングパーティ。
パーティーの形式は、フリースタイル!
楽しいゲーム企画もご用意しております。
「こーゆーパーティっつーのは、あんま食いものなくてつまんねぇなぁ」
カナッペやサンドイッチがあるが、到底腹がふくれるようなものではない。ドリンクだってほとんど水かジュースみたいなものである。これで高い金払って、相手見つからなかったら、たしかに腹立つよな。
城之内はサクラらしく、にこやかに女性たちをもてなした。ホスト経験がこんなところで生きるとはおもわなかった。当時作っておいた一張羅のオーダーメイドの上下とイタリア製の靴も役に立った。
本気で相手を探している男性の邪魔にならないよう、数分で切り上げて、他のヒマそうな女性に声をかけるのを繰り返す。そろそろ宴もたけなわとなり、お定まりのビンゴゲームが始まった。城之内は一息入れようと、壁の方に移動し、飲み物のグラスを手に取った。
「なんだ、ありゃ?」
隅のほうで、妙な子供がぽつんと佇んでいた。
中学生――、いやいまどきの子供は発育がいいから、小学生ぐらいだろうか。
ツンツンと重力に逆らった髪型だった。子供らしく筋肉のついていないほっそりした手足をしている。ドレスコードにあわせてか、仕立てのよさそうなスーツと革靴を着ていた。七五三のスーツなんだろうか。城之内はそう思った。
しかし誰の子供だ。子持ちなら、先に話しておいたほうがいいだろうし、子供の目から相手を見て欲しかったのかもしれないが、こういうパーティに子供同伴で来るもんなのかね。
城之内は、オレンジジュースの入ったグラスを手に取ると、その子供の前まで行った。
「よう」
子供は顔をあげた。顔の半分以上を占めるんじゃないかと思うぐらい大きなすみれいろの瞳が印象だった。グラスを渡しながら、城之内はたずねた。
「こんなとこ、つまんないだろ。お父さんかお母さんと一緒に来たの?」
その途端、子供はぶるぶると肩を震わせて叫んだ。
「し、し、失礼だな! ボクはもう25歳だってば!」
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