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 不思議の国に、ハートのない女王様がいました。
 ハートがありませんから、女王様はだれも愛したことがありませんでした。好きになったこともありませんでした。そして、それに不満を持つこともありませんでした。いつも無表情で冷たい顔をして、「ハートを抜き取れ!」と叫ぶばかりです。
 だって、心臓が必要だとは思わなかったのです。
 自分に心臓がないのですから、他のひとにもいらないだろうと女王様は思いました。
 心臓があると悩んだり、苦しんだり、いらいらしたり、哀しい気持ちになったりします。そんな邪魔なものは、ぬきとって竜に喰わせてしまえばいいのです。
 ですから裁判がおきると、女王様は罪人の心臓を抜かせました。
 ハートのない女王は、赤の女王とも呼ばれていました。いつも赤い服を着ていて、赤い目をした黒い竜を従えていたからです。女王様はぬきとった心臓を、その黒い竜にたべさせていました。
 竜は心臓をたべると、まっ赤な炎を天高く吹くのでした。青い空に炎の柱がそそりたっているのをみると、みんな「ああ、だれかの心臓がなくなったのだな」とわかるのです。



 赤の女王様が治める不思議の国には、ひとりの男の子がいました。
 遊戯という小さな男の子でした。
 男の子なのに青いエプロンドレスを着ていて、それがよく似合っていましたが、それはこの不思議の国ではよくあることでした。見かけと中身がちがうのはあたりまえのことなのです。

 ある日のこと、遊戯はお友だちの獏良くんに誘われて、赤の女王の宮殿に行くことにしました。宮殿の前の広場で処刑が行われるのです。ふたりは仲よく森の小道をあるいて、宮殿に向かいました。
「ボク、見に行くの初めてだよ」
 遊戯は、ゲームが大好きで、あまりおうちから外にでることはないのでした。
「今日処刑されるのは、羽蛾くんと竜崎くんらしいよ」
 青い横縞模様のシャツを着た獏良はうれしそうに言いました。処刑とか切断とか、そういったものが好きなのです。非日常的でゾクゾクするじゃありませんか。もちろん自分でやる気はありませんけど。そこまで分別に欠けているわけではありません。トランプの兵隊につかまってしまいますしね。

 処刑されるふたりが何をやったかというと窃盗でした。女王様のたいせつなカードを盗みだそうとしたらしいのです。レッドアイズはもともとワイのカードやー!と竜崎くんは叫んでいたそうですが、権力には勝てません。それに不法侵入をしたのは事実でした。

 ふたりは広場までやってくると、たくさん出ている屋台をみてまわりました。遊戯はハンバーガーを、獏良はシュークリームを買い込みました。好物なのです。
 広場は、たいへんな人ごみでした。みんな楽しそうに笑ったり、しゃべったり、食べたりしながら、処刑台がよく見える場所をさがしています。遊戯たちも、緑の芝生に腰を下ろしました。
 その途端、どん!と大砲が轟きます。空気がびりびりと震えました。
 みんなは一声に拍手をしました。指笛を高くふき鳴らす人もいます。
 処刑が始まるのです。

「たーすーけーてーーー!」
「女王さまぁあ!!!」

 ふたりの犯罪者たちが、高くかかげられた十字架にくくりつけられていました。トランプの兵隊たちが、ぎらぎらと光る鋭いヤリでちくちくと二人を突きます。痛みにたえかねて、罪人が泣き叫び、身をよじります。その滑稽な様をみて、広場のみんなは楽しそうに笑いました。

「あんまりこーゆーの好きじゃないなぁ」
 遊戯はためいきをつきました。暴力が嫌いなのです。
「他人の不幸は自分の蜜っていうし」獏良は、紅茶を飲みながらにこにことそう言いました。「それに、処刑されても死ぬわけじゃないもの」
 この不思議の国では、誰も死んだりしないのです。首を切られても、くっつけておけば、そのうち治ってしまうのです。

 ぷっぷくぷー。

 高らかにひびきわたるラッパの音とともに、女王様が現れました。
 遊戯は、赤の女王をみつめました。
 黄金作りの冠にふさわしい、きらきらと金色に輝く髪をしています。髪はうなじが見えるほど短くしていましたが、そんな格好も似合っていました。マントの裳裾をひるがえして、すっくと立った女王の姿に遊戯は見ほれました。
 ハートの女王様は、さっと腕をふりました。

「心臓を抜き取れ!」

 心臓抜きが突き刺さり、まっ赤な血があたり一面にとびちりました。どくどくと脈打つ心臓がずぼりと引き抜かれ、高々と掲げられました。二人の罪人はぐったりと項垂れていました。ですが、引き下ろされたあとで、心臓の部分になにかを詰めて、胸の傷をぬいあわせてもらえば、また元気にそのあたりを駆けまわることもできるでしょう。

 みんなは処刑された罪人をみて、わーわーと喜んだり囃したてたりしていました。獏良くんも面白そうに手をたたいています。けれど、遊戯は女王様をみていました。
 女王様はちっとも楽しそうではありませんでした。
 にこりともせず、大声をあげて笑うこともせず、ただ無表情なままでした。そして処刑を見届けると面白くもなさそうに、きびすを返して、さっさと城に引き上げてしまったのです。
 遊戯は大きくためいきをつきました。
「なんで、女王様は笑わないんだろう」
「ハートがないからじゃないかなぁ」
 遊戯は哀しくなりました。
 女王様は、誰かのことを思って、胸をどきどきさせたり、切なさで痛めたりすることもないのです。笑って太陽のひかりに照らされたように心地よくなったり、体中がふるえるほど喜んだりすることもないのです。
 遊戯は、女王様のことを考えて、ちいさな胸をこんなにもとくとくさせているのに。



 ハートのない女王様は、宮殿にじっとしているのが嫌いでした。黒い竜にのって、そこらへんをよくほっつき歩いているのです。今日もそうやって、飛び出てきたところでした。
 白い竜を飼っている青の公爵夫人とのクリケットなんて、まっぴらごめんでした。

「あー、なんかつまんねぇな」

 女王様はごろんと浜辺にねっころがって青空を見つめました。黒竜はたのしそうに海の上をとんでいます。波打ち際では、カキを取りに来たセイウチが「星条旗よ永遠なれ」を鼻歌でうたっていました。
 女王様は何をやってもちっともおもしろくないのです。つまらないからといって、別に怒りもしませんし、嘆きもしませんでしたが。なにせハートがないのです。そういうことは感じません。
 ただ、いつも、何かがぽっかりと空いたような気持ちになるのでした。真ん中の棚がすっぽりぬけている百科事典の棚を見つめているような気分でした。
 でも、今さらそんなことを気にしてもしかたありません。ハートはとっくの昔に無くしてしまったのです。それをくやむ気持ちも、女王様にはありませんでした。
 ですから、女王様は昼寝をすることにしました。天気もいいですしね。

 目をつぶって、うとうととしかけたところを、絹を裂くような悲鳴が邪魔しました。
 女王様は目をこすりながら、身体をおこしました。
 波打ち際で、セイウチがひと悶着を起こしているようです。

「痛い目に逢いたくなかったら、黙ってお前のもってるカードをよこしやがれ!」
「いやだよ、冗談じゃない!」
「ここで人前に出られないからだにしてやってもいいんだぞ!」
「ボクは、暴力とかケンカとかだいっきらい!」

 星条旗のバンダナを巻いた大きなセイウチが、青いふわふわした服を着た小さな子供相手に凄んでいます。
 砂浜には華奢なかごが落ちており、あたり一面にカードがちらばっていました。
 子供は首に巻いている黒革のベルトをひっつかまれて、ぐいっともちあげられていました。身体が宙にうかびあがって、足先がぷらぷらしています。ひっぱられたときに破れたのでしょう。胸もとがびりびりにやぶけて、白いうすい胸が露わになっていました。お腹で裂けています。
 女王様はやれやれと肩をすくめました。これでは、放っておくわけにはいきません。
 王冠をちょっとはずし、頭を行儀悪く掻きながら
「そのへんでやめとけよ」
 と、声をかけました。
「なんだ、テメェは! ひっこんでろ! それとも、ケツの穴をほじられてぇのか!」
 セイウチは、青い服の子をぽーんと海に投げ捨てると、女王様に向かって掴みかかってきました。
 女王様は、おちついて、空を飛んでいる黒い竜を呼びました。
「黒炎弾!」
 赤い炎が弾のように竜の口から吐き出され、セイウチの身体に命中しました。
 こんがりとローストにされたセイウチは、「覚えてろ!」だの「この仕返しはきっとしてやるぜ!」だの、悪態をたくさんつきながら海の中にもぐっていきました。
 一方、青いドレスを着た子がぱしゃぱしゃと海面をたたいています。足がとどかなくて、しかも泳げないみたいです。
「大丈夫かよ」
 女王様は濡れるのもかまわず、ばしゃばしゃと海の中にはいり、青いドレスの子をひっつかんで岸にひっぱりあげました。子供はしばらくごほごほと咽せていましたが、そのうち落ち着きをとりもどしました。青いかわいらしいドレスからは、海水がぽたぽたとしずくを垂らしています。露わになった白いお腹が濡れて、白いさかなのように光っています。
 黒い竜が、そっと熱い息を吹きかけてやると、濡れた服もあっという間に乾いてしまいました。それでも破れた服は元通りにはなりません。
 女王様は、自分の毛皮のついた赤いマントを肩に掛けてやりました。
「あ、ありがとうございます」
「気にすんな」
 女王様は鷹揚にうなずきました。国民を助けるのは女王としての義務ですしね。
 青い服の子は、女王様をみると、ぽーっと頬を赤く染めました。それから、エプロンドレスの裾を両手でつまんで、
「ボクは遊戯です」
 と可愛らしくあいさつをしました。