◆3
息が白い。二月もなかばで、寒さが一番厳しい季節だった。防寒具で重装備していても、きんきんとつめたさが身体に染みこんでくる。首をすくめながら本田が、早足で歩いていると、後ろから背中をばしんと叩かれた。
「はよっす」
城之内だった。
「おう」
妙にすっきりした顔をしている。ようやくあの手ひどい落ち込みから解放されたのかと思うと、本田はほっとした。面倒だ、うっとうしいと言ったけれど、やっぱり友人が悩んでいれば、こちらだって気に病むのだ。
まさか今日が、バレンタインでチョコレートもらえるからってわけじゃないよなぁ。
本田の気も知らずに、城之内は隣を歩いた。コートもなし、手袋もなし、マフラーもなしの寒々しい姿だが、本人はどこふく風みたいな顔をしている。やせ我慢であることは知っていたが、追求もしなかった。
「本田さ」
「なによ」
「お前、惚れた相手がいたらどうする」
なんですか、それは。
バレンタインデー当日のセリフですか、それは。
告白される心当たりでもあるんですか。
本田は肩をすくめた。他にどうしろというのだ。
「告白すんじゃねぇの」
「そだよなぁ」
ふっきれた笑顔で城之内は笑った。冬のうす青い空によく似合っていた。
*
「おっはよ、遊戯。シュークリーム作ってきたわよ」
登校中で出会った杏子は、おおきな手提げ袋をかるく掲げてみせた。
「すごい」
遊戯は素直に賞賛した。
「んふふー」
杏子は得意げな表情をつくってみせた。
「獏良くん、よろこぶだろうね。でも、たいへんだったんじゃない?」
遊戯は、持つよといって紙袋をうけとった。並んで歩く。
「それほど大変じゃなかったわよ。トリュフとかのほうが面倒だもん。それに、今回面白いことしてみたんだ」
「面白いこと?」
「シューの中身、いろいろ変えてみたの。カスタードとか、チョコとか、わさびが入ってるのもあるんだから」
「えー!?」
「ロシアンルーレットってとこかな」杏子はにやりと不敵な笑いをうかべた。「どーせ義理なんだもん、これぐらいのお楽しみがなくちゃやってられないわよ」
「そーかもしんないけど」
でも、ワサビはやだなぁ。遊戯はため息をついた。他にも妙なものが入ってそうだ。
「放課後にみんなで食べましょうね。昼休みは、獏良君と御伽君が忙しいだろうから」
「あの二人は、真面目にモテるもんね」遊戯も答えた。
「本田と城之内は、わたしがあげないと、もらえそうもないわよね」
ボクもそうだよと思ったが、さすがに遊戯も口を挟んだりはしなかった。
「城之内も、見かけはまあまあいいんだからさ、もうちょっと大人になればモテるのに」
「そっかな」
モテてるけど。
「そうよ」
エロ戦車なんて、やってるようじゃモテないわよと杏子は力説した。
遊戯は苦笑いで答えて、ふたりで校門をくぐった。校庭の赤いさざんかが、冬の風に揺れていた。
*
今日は、御伽と獏良にとって受難の日でもあった。
とくに御伽は、ふだんから女の子にいい顔をしているだけあって、無下にできない。
ふたりとも、朝からチョコレート責めだった。休み時間となると、ひっきりなしに女の子がやってきては、顔を赤らめながらきれいに包装された包みを渡していく。羨望と嫉妬のこもった視線が他の男子から注がれた。その負の感情に御伽は正直おびえていたが、獏良はどこ吹く風だった。面白がっているかもしれない。
本田は、ふたりのもらう数をカウントしていたが、途中で飽きてやめた。
獏良は昼食のあと、通販でとりよせたグロテスクなチョコレートを友人たちに配った。遊戯は、ミイラの形をしたチョコをもらった。城之内は、腐乱死体から、もぞもぞとはい出てきそうな(そういうコンセプトだった)、リアルな形をした幼虫のホワイトチョコを押しつけられて、泣きながら逃げた。みんなで、それを見て笑った。遊戯も笑った。胸の痛さは忘れようと思った。
放課後、杏子は手作りのシュークリームをみんなに渡した。教室の外のベランダに置いておかれたシュークリームはアイスのように冷たかった。みんなでホットの缶コーヒーや紅茶を買った。杏子の分は、みんなでお金を出しあってプレゼントした。杏子は赤い紅茶の缶をかかえて、ありがとうと言うと嬉しそうに笑った。
シュークリームの出来はなかなかだった。獏良も味を褒めた。中にわさびが入ってるものに本田があたり、叫びながら水場に向かった。御伽と獏良は大量にもらったチョコやクッキーやせんべいや大福(なんてものまであった)を、城之内に寄付した。城之内はそれをありがたくいただいた。
とても、楽しかった。
これでよかったんだと、遊戯は思った。
あのときのことは、城之内は何も言わない。自分からも言うつもりはない。何もなかったことにしてしまうのが、一番正しい。
いつか、恋は終わるだろう。
城之内への気持ちもいつか薄れて、拡散していくだろう。
それでいいと遊戯は思った。
それよりも、みんなと笑っていたい。
城之内くんと、一緒に笑っていたい。
卑怯で臆病かもしれないけれど、これだけは、無くしたくないと遊戯は思った。
*
みんなで、いつものように帰った。わいわい騒ぎながら、歩道を占有しつつ歩いた。はた迷惑な集団よねと、杏子がわらった。遊戯も笑い返した。
ボクは、だいじょうぶだ。まだ笑えると遊戯は思った。
バイトに行く杏子とわかれた。本田とわかれ、獏良とわかれ、御伽とわかれた。
城之内とふたりになった。
しばらく無言で歩いた。遊戯は、もう辛くないと思った。思おうとした。ただ胸がいっぱいで何も言葉にできなかった。何も言えなかった。
一緒に歩けてよかったと、それだけを思った。そばにいられるだけでいいじゃんか。それだけで十分だ。そのはずだ。
だって、これさえも無くしたら、どうしていいかわからない。
空はもう赤く染まり始めていた。教室で長いこと、騒いでたせいだ。冬の日の落ちるのはやい。
交差点で、立ち止まる。ここで城之内とはお別れだ。
笑って、手を振ろうとしたところで、前髪をきゅっとひっぱられた。
顔をあげる。城之内が背をかがめて、のぞき込んでくる。
「今晩、ヒマか?」
「う、うん」
目の前の顔に、まだ、どきまぎする。
「バイトのあとになるんだけど、ちょっと時間もらえないか?」
「いいよ」
仕事はこの間とおなじぐらいの時間に終わる予定だからと、城之内は言った。前に行った店のことだろう。
「公園で待っててくんないか」
ひとに聞かれたくないからと言う。
「わかった」
遊戯はちいさくうなずいた。
友だち、やめようって言われるんだろうか。
やっぱ、気持ちわるいって思われてるんだろうか。
それでも受け止められると遊戯は思った。ボクがしたことだ。ボクが勝手に好きになった。勝手に欲しくなった。大切だったものを汚したのはボクだ。
それよりもボクは今、いつもと変わらない表情をつくれているだろうか。
城之内はほっとしたように息をついた。それから、「じゃあな、後で!」と言うなり、走り去っていった。
遊戯はその背中が消えるまでずっと見つめていた。
*
公園に行く間に、雪がふってきた。
明日の朝から降るって予報はハズレだな。遊戯はためいきをついた。ふわふわと大きな雪片がおちてくる。傘はもってこなかったが、わざわざ買う気もしなかったし、家に戻る気もしなかった。遊戯はそのまま公園へ向かった。
コートを着込んで、手袋もマフラーもしてきたけれど、じっとしていると寒さが骨身に染みこんでくる。すこしばかり歩き回ってからだを暖めた。そろそろ時間だろう。
待ち合わせの場所でしばらく待った。
城之内は、来なかった。
別にかまわなかった。一秒でも遅い方がよかった。もしかしたら、このまま来ないかもしれないなと遊戯は思った。仕事が忙しいのかもしれない。雪で、来られないのかもしれない。帰ったと思ってるかもしれない。
せめて今日が終わるぐらいまでは待っていよう。
明日は、もう友だちじゃないのかもしれないのだから。
遊戯は、公園の外灯に寄りかかった。風下の方に立ってると、けっこう雪避けになった。 公園はもう一面真っ白に染まっていた。ぼた雪のせいか、積もるのが早い。音が吸い取られているのか、誰もいないせいか、しんと静かだった。
明日も積もるだろうか。そしたら、みんなと遊んだりできるだろうか。雪合戦したり、雪だるましたり。
それとも、もうそういうことも出来なくなるんだろうか。
――城之内くん。
触れたときの熱さをまだ覚えていた。思い出すだけで、かっと熱くなった。ほてった頬に雪のつめたさが心地よかった。
遊戯は空を見上げた。手をのばす。ふってくる雪が灰色にみえるのって、なんでかな。積もると、あんなに真っ白なのに。
手袋をはめたてのひらの上に、雪の結晶がおちる。息をひそめて、じっとそれを見つめた。とてもきれいだ。このままふっと息をふきかければ、消えちゃうのに。
消えてしまう。
消えてしまう。
終わってしまう。
終わらせたくない。
終わらせたくない。
「遊戯!」
遊戯はふりかえった。
「城之内くん」
城之内が走ってきた。いつものジャケットにジーンズ姿だった。マフラーがわりのタオルが首にひっかかっていた。傘はさしていない。
「ごめん、遅くなって。寒かっただろ」
息が荒い。
「大丈夫だよ、あったかくしてたし。ボクも遅れてきてたから、そんなに待ってないよ」
城之内は困ったように口をへの字にまげながら、遊戯の頭の雪をがしがしと払った。髪の毛にどんだけ雪がつもってるとおもってんだ。
乱暴なしぐさだったが、遊戯にはそれがうれしかった。
払い終えると、城之内はポケットから、がさごそとちいさな包みをとりだした。
「これ、やる」
遊戯に渡す。
「これって……」
遊戯は目を丸くして、城之内をみつめた。
赤いリボンのかかった小さな箱は、たぶん、いやまちがいなく、バレンタインデーのチョコレートだった。
「いっとくけど、御伽のでも、獏良のでもねぇぞ。帰りに急いでコンビニで買ってきたやつだし、安いけど、本命だからな」
遊戯は大きな目をぱちぱちとさせた。
どうして?
なんで?
これって、何なの?
「オレのこと好きになれよ」
城之内はそう言い切った。
「城之内くん」
遊戯は彼の名前を呼んだ。
「お前に好きなやつがいるって知ってる。聞いたし。わかってるけど、」城之内は、そこで息を継いだ。遊戯の肩にがしっと両手を置く。遊戯の目を見つめる。
「オレを、好きになれよ」
オレのほうが絶対いい男だろと、後を続ける。
いい男って。
「だ、だって、城之内くん、男同士なんておかしいって……」
城之内は、遊戯の問いを遮るように言った。
「いいんだよ。オレがいいって思ってんだから」
なんだよ、それ。適当すぎるじゃんか。
「気持ちわるいって、言った」
「気持ちよかった。お前として」
遊戯は顔を赤らめた。
「オレ、あれだけじゃ足りねぇし。もっとしたい」
城之内は遊戯の顔を両手で挟み込んでもちあげた。節くれ立った大きな手が冷たかった。城之内はむにむにと、遊戯のほほを揉んでやった。かがみ込んで、耳元に唇をよせる。
「キスしてぇ」
遊戯は、なんともいえない顔をした。
どんな顔をすればいい?
「お前ともっと、いろいろしたい。好きだって言わせたい。あんな気持ちのいいこと、他のやつになんかさせねぇよ。もったいない」
お願いだ。おしえてくれ。
ボクはどんな顔をすればいい。
「断言するけどな、オレよりお前のこと好きなヤツなんていねぇぞ。わかってんのか」
わかんないよ、それ。
「絶対あきらめないからな。お前にゲームでいつも負けてるけど、これだけはサレンダーしねぇぞ。お前がうんって言うまで、あきらめない」
どうして、そんなこと言うのさ。
「オレのこと、好きにさせてやる。絶対、お前、オレのこと好きになるから」
好きだよ。
「好きになれよ、遊戯」
なってるよ。
とっくの昔に。
「ボ、ボクは……」
遊戯の言葉がつまった。涙があふれてきた。あついものが頬をつたう。泣いてるなんてバカみたいだ。バカだ。徹底的に、ボクはバカだ。
それでもって、城之内くんはバカだ。なんでボクなんか好きになるんだよ。
弱虫で、本当のこと言えなくて、ごまかしてたのに。
なんで、そんなこと言うんだよ。
遊戯は、息を大きく吸い込んだ。
言わなくちゃ。
言わなくちゃ。
言わないと。
「ボクもね、城之内くんに、言いたいことがあったんだ」
しばらくして、嘘だろ! 嘘! 信じられねぇぞ、んなの!とぎゃーぎゃー騒ぐ城之内の声が公園内に轟いた。黒い闇と白い雪につつまれた公園に、他に誰もいなかったのは幸運だったかもしれない。
*
だから、好きって、何よ。
恋ってなによ。
よくわからないけど。
恋に落ちた。
END.
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