◆2
ぷっぷくぷー。
軽快なラッパの音が聞こえた。
目を開けると城之内は牢屋に居た。正確に言えば、牢屋の前だった。鉄格子がはまっているけれど、城之内自身は捕らわれては居ない。別の人間が牢に閉じこめられていた。
檻の中で、首輪をつけられ、黒い革の――SMにつかうやつみたいな――手枷と足枷を填められているのは、青いエプロンドレスのちいさな子だった。
「遊戯!」
城之内はその子の名前を呼んだ。
「城之内くん!」
遊戯は目を覚まして、ゆっくりと身体を起こした。腕が使えないから、ずいぶんと不自由そうだった。もぞもぞと身をよじると、スカートがまくれ上がり、白いふとももが見えた。首輪につけられていた鎖がじゃらじゃらと鳴った。
「今、だしてやるからな!」
鉄格子には大きな黒光りする錠前がかかっていた。簡単に壊せそうもない。
城之内はあたりを見回した。ふたりがいるのは石造りの、灰色の陰鬱そうな建物だった。天井に近い高いところに灯り取り用の窓が縦に細長く切られ、そこからうっすらと光が差し込んでいる。人気はまったくなかった。
「鍵はどこなんだ、鍵は」
城之内は、いらただしげにあたりを歩き回った。
「いいんだよ、城之内くん。ボクはもうじき、処刑されるんだ。それまでここで待ってるだけだから」
遊戯はすべてを諦めたように、しずかな声で言った。
「処刑!?」
城之内は叫んだ。信じられない。遊戯がなんの罪を犯したというのだろうか。
「さっきラッパが鳴ったでしょ? あれは、今日が処刑の日だっていうしるしなんだ」
「じゃあ、さっさと逃げなきゃだめだろ!」
「いいんだよ」遊戯は答えた。
「いいじゃねぇよ! 死んじまうだろ!」城之内は怒った。
「大丈夫だよ。ハートを切ってもらうだけだから」遊戯は説明した。「ハートの女王様に、ハートを切ってもらうんだ。そうするといろんなものが流れ落ちて、ハートがからっぽになる。そしたら、好きなひとのことをすっかり忘れられるんだって」
「なんだよ、それ」
「だって、しょうがないもん」遊戯は力なげに笑った。「好きになっちゃいけないひとを、好きになったんだから」
なんだよ、それ。
好きなやつって、誰なんだよ。
お前のこと、食べたの、オレだろ?
ぷっぷくぷー。
城之内が問いただす間もなく、ラッパの音が近くで聞こえた。
ざっざっと足音が聞こえたと思った途端、部屋のドアが重々しく、ぎいっと開いた。妙なモノが入ってきた。一見人間に見えるが、身体がひらべったい長方形で、その四隅から手足がでている。トランプの兵隊たちだった。
「本田ァ!?」
トランプの兵隊たちは、みんな同じような顔とおなじような髪型をしていた。つんと角のように先をとがらせた角刈りだった。兵達たちは、何もしゃべらずに無表情な顔で、牢の鍵を開けると、中から遊戯をひっぱりだした。荷物のように横にして小脇に抱えて運びだす。城之内のことは完璧に無視だった。
「お、おい! ちょっと待てよ」
兵隊たちは、何も聞こえないような顔で、手際よく鍵を閉め直し、遊戯を運び去った。城之内はあわてて、あとを追った。
外にでると、そこは城の中庭だった。
中庭には高くなった壇がしつらえてあって、そこには立派な椅子が置いてあった。椅子の前には、十字架が高くそびえ立っていた。青いエプロンドレス姿の遊戯は、目隠しと口輪をされて、そこにくくりつけられている。体中に縄がくい込んで、細い肢体がくっきりと露わになっていた。拘束具は銀色にかがやく鋲をたっぷり打った黒革で統一されていた。
まわりにはたくさんのひとや、トランプの兵隊たちや、三月ウサギや、ヤマネや、イモムシや、その他もろもろ妙なけものとも人間とも判別のつかないものたちが物見高そうに見物していた。ポップコーンを抱えてるやつまでいる。バターのいい匂いまでした。
「女王陛下のおなりー!」
ぷっぷくぷー!
ラッパが高く吹き鳴らされる。
モーゼが海を割ったように、人ごみがさーっと二つに割れた。その中を、金色の冠をかぶり、豪奢な衣装を身につけた人間が毛皮つきのマントをひるがえし、のしのしと歩いてくる。その人物に城之内は見覚えがあった。
「……オレじゃん……」
でんと立派なひじ付き椅子にふんぞりかえったのは、間違いようもない、城之内克也そのひとだった。
*
「ハートをえぐりだせ!」
ハートの女王の城之内は、錫杖をかかげて、そう高らかに告げた。女王は冷たい、無表情な顔をしていた。
トランプの兵隊たちが、わらわらと壇上にあがり、穂先鋭いヤリを構える。金属をうちならす音がひびき、十字架上の遊戯がびくりと身をすくめた。
冗談じゃねぇ。
「ちょ、ちょっと待った! ストップ! それストップだってば!」
城之内は大声をだしながら、あわてて走った。
「女王様の決定に、なにか不都合でも?」
壇上の白フンドシウサギ姿の本田が、首をかしげて城之内にたずねた。
「あるに決まってんだろ!」
城之内は激憤しながら、だんと壇上に飛び乗った。あたりをギッとにらみつけるが、本田は肩をすくめるだけだった。ハートの女王は何も言わない。人形のように凍った表情のまま、城之内を見つめ返している。
ざけんな!
なにがハートの女王だ!
城之内は、自分と同じ姿をした女王に殴りかかろうとした。その途端、空中の一角がゆがんだ。なにかが、じわじわと現れる。
「理由、わからないの?」
にこにこ笑いから順番に現れたのは、青い縞模様のシャツをきた獏良だった。
「遊戯くんが望んだから、処刑されるんだよ」
はっと後ろを振り向く。いつのまにか現れた御伽が、ステッキを小脇に抱えて立っていた。シルクハットに燕尾服という姿だった。
「望みィ?」
さっきのハートがなくなるとか、そういう話のことだろうか? 城之内がたずねる間もなく、御伽は話を続けた。
「だって、遊戯くんは女王様に懸想したんだもの」
「なんだよ、その『けそう』って」
「好きになるってことだよ」御伽は説明した。「おまけに、無理矢理食べさせたんだって。EAT MEって、誘ってさ。首を切られて、ハートを取り上げられてもしかたないよね」
「ちが、ちがうって!」
別に誘われたわけじゃない。そりゃ食べてくれって頼まれたけど、食べたかったのはオレだ。したかったのはオレだ。
「オレが、オレがやったんだってば!」
「それに、処刑はハートの女王様のお望みだもの。しょうがないよね」
獏良のセリフに、御伽も本田もうんうんと肯く。
「ちがう、あいつはオレじゃない!」
オレは、そんなこと言わない。しない。
「だって気持ちわるいんでしょ?」と獏良。
「あり得ないんだろ?」本田が続ける。
「だったら無くさなきゃ、消さなくっちゃ」御伽がしめた。「安心しなよ、城之内くん。ハートをとっちゃえば、遊戯君はキミのこと好きでもなんでもなくなるよ」
いやだ。
「キミのことを思って胸を痛めることもない。遠い街の本屋に行ってゲイ雑誌を買ったりすることもない。キミのことを諦めるために、男同士でセックスができるとこに行こうなんて思わなくもなるよ。もう安心だね。よかったじゃないか」
いやだ。
「ハートを無くしたら、友だちでもなくなるけどね。ただのクラスメイト。ただの顔見知り。一年後にはひさしぶりだね、元気してた?って言うだけになる。十年後には、名前も忘れる。そんな風にしたいんだろ、キミは?」
いやだ。
いやだ。
いやだ。
そんなのは、いやだ!
冗談じゃねぇ。
「好きなんだ!」
好きなんだ、遊戯が。
食っちまいたいぐらい、好きなんだ。
*
がばりと起きあがると、朝の光が窓から差し込んでいた。自分の家だった。あいかわらず汚い。城之内は万年床から半身を起こして、布団を撫でた。
オレは遊戯をここで抱いたんだ。
「もっぺん、してぇ……」
もう一度だけじゃなくて、何度でも。何度でもキスをしたい。抱きしめたい。誰にもやりたくない。好きだって言いたい。好きなんだ。
「そっか……」
好きなんだ。
遊戯のことが好きなんだ。
オレが好きなのに。
オレは一番好きなのに。
城之内は布団をきつく握りしめた。
オレのこと、好きになれよ、遊戯。
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