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 だから、好きって、何よ。
 恋ってなによ。



 城之内くんが話しかけてこない。

 嫌われちゃったんだろうなと遊戯は思った。当然のことだ。
 男を好きになったというだけで、拒否されてもおかしくないのに、セックスをしに行きましたなんて言ってしまったのだ。
 しかも、それだけじゃない。城之内くんと寝てしまったのだ。
 同情か、友情か、それに似たものだけで、城之内は遊戯を抱いてくれたのだ。
 好意につけ込んでいると言われても仕方ないだろう。
 ボクは、本当にひどいやつだ。
 城之内くんはホモじゃないのに。
 男となんて、考えられないのに。
 でも、これ以上は悪化しないだろうなと思うと、少しだけ楽な気分になれた。
 これ以上悪い状況になる方法なんて、ひとつしかない。
 好きな相手が城之内だということを伝えることだ。
 それだけは遊戯にはできなかった。
 キスしたいとか、セックスしたいとか、そんなことを思われてると知ったら、城之内くんは耐えられないだろう。男に、そんな欲望をもたれてるなんて思われたら、それも親友だって名乗っていた男にそう思われていたら。
 ――イヤどころじゃすまないな。
 そこまで、ボクは自分本位じゃない。
 ほんとは、伝えたいけど。言いたいけれど。
 好きだって。
 でも、言えるわけがないのだ。



 遊戯と城之内の間が不穏でも、毎日は平穏無事に過ぎていった。
 教室はバレンタインの話題でもちきりだった。勉強よりも、その手の話をしているほうが楽しいのは仕方がない。遊戯たちのクラスには、獏良や御伽といったきれいどころもいるし、海馬という高嶺の花もいるので、話題には事欠かなかった。
 氷点下のバリケードをはりめぐらせて、他人と付き合う気はまったくないと主張している海馬に直接チョコを渡すことができる人間はそうそういないだろうが、机の中につっこんで置くぐらいなら誰にでもできる。なにせあの海馬コーポレーションの社長なのだ。チョコレート1枚できっかけが掴めるかもしれないのなら、安い投資だ。
 しかし、そんな付加価値のない男連中には、過ごしづらい日であることも確かである。
「オレはうれしくもなんともないけどなー」
 本田がぼやいた。モテない男にとってバレンタインなんてものは悪夢でしかない。触らず騒がず、そっと一日をやりすごしたいものである。
「でも、もらえないわけじゃないんでしょ?」
 御伽がたずねる。
「かーちゃんと姉貴からはな」本田はためいきをついた。「チョコ1枚で、そのあとずっとジョージのお守りよろしくね!って言われるんだぜ。やってらんねぇよ、まったく」
「わたしが、ちゃんとみんなにあげるじゃない」
 杏子が励ますように言った。
「義理じゃなくて、本命がほしい」本田が肩を落とした。
「ぜいたく言わないの! 手作りあげるから」
「え、ほんと?」獏良がたずねた。
「今、お菓子作りがマイブームなの」杏子が答えた。「妙につくりたい時ってあるのよね。バレンタインの特集記事なんてみてたせいだと思うけど。シュークリーム作ってくるね」
「うわー、楽しみだなぁー」獏良は両手をあわせて喜んだ。シュークリームが好物なのだ。
「獏良ばっかり贔屓じゃん」本田がすねた。
「だってトリュフとか作るより楽なんだもん。お金かかんないし。その代わり、ある程度はリクエスト聞くわよ。中身のチョイスとか。遊戯は、何がいい?」
 遊戯は頬杖をついたまま、教室の壁をじっとみつめていた。
「遊戯?」
 何度か声をかけても反応がない。杏子が肩をたたくと、ようやく、はっとしたように顔をあげた。
「な、なに?」
「シュークリームの中は何がいいかなって。カスタードでいい? チョコ? 奮発してイチゴいれようか?」
「杏子が好きなのでいいよ」
「なによ、張り合いがないわね」杏子は腰に両手をあてて、胸をそらすようにして遊戯をみた。遊戯は、またぼんやりとした瞳を空中にさまよわせている。杏子は、いぶかしげな顔で城之内の肩をつついた。
「ねぇねぇ、城之内」
「んだよ」
「最近、遊戯ヘンじゃない? ずっと、ぼーっとしちゃってさ」
「知るかよ、オレが」
 城之内は噛みつくように言った。杏子はその反応にへそを曲げた。
「なによ! あんたも最近ヘンよね。ずっと機嫌わるいしさ」
「うっせぇな」
「そんな風にしてると、バレンタインに何もあげないわよ!」
「かまわねぇよ」
「なによ、その態度。らしくないわよ!」
「なにが、らしくねぇんだよ!」城之内は、ばん!と机をたたいた。
 クラス中が、ふたりに注目した。しかし、それでひるむ杏子ではなかった。
「お前に何がわかるっていうんだよ!」
「わかんないわよ、言わなくちゃ!」杏子はそう返答した。「エスパーじゃないんだから、わかんないわよ。勝手に機嫌わるくして、勝手に察してくれなんて都合良すぎるでしょ。あたしはあんたの為に生きてるわけじゃないわよ」
 立て板に水とはこのことだった。本田は首をすくめた。獏良はぼーっとながめている。
「あんたなんて、単純だけが取り柄なんだから、言いたいことがあるんなら、言えばいいでしょう」
「言えないときだってあんだろが」
「じゃあ何で伝えるのよ! 言葉以外に何で? 態度?」
「うっせぇよ!」
 自分だって、わからねぇのに。
 はっきりしないのに。
「まあまあ、そのぐらいにしときなよ。真崎さん、城之内くんも」
 御伽があわててとりなしているうちに、チャイムの音が聞こえてきた。



 本田)杏子のニブさは、女とはおもえんな。
 獏良)何かあったよねぇ、ふたりとも。
 御伽)まちがいないとは思うけど。

 本田と、獏良と、御伽の三人の間で、ノートの切れ端という名の書簡がまわされていた。
 三人の目は、授業中も腕組みをし、むっつりと有らぬところをにらみつけている城之内と、うつむいたまま一度も顔をあげない遊戯を、交互に観察していた。

 獏良)ケンカしたのかなぁ。らしくないよねぇ?
 本田)遊戯に好きな女ができたってだけでか?
 御伽)やっぱりそれが原因だろうね。城之内君ってさ、結構さびしがりやっぽくない? 好きなひと取られるのイヤなんじゃないの。あとは、自分が一番じゃなきゃイヤだとか。
 獏良)あはは、がきっぽいー。かわいいー。
 本田)愚痴聞かされる身になってくれ。でも、このところウチに来ないな。
 御伽)それにしたって、遊戯君まであんな調子だっていうのは気になるな。
 獏良)ほっとくしかないんじゃないのー?
 本田)シビアな、お前。
 
 そうは言われても。
 獏良は頬杖をついて、遊戯をみつめた。背の低い遊戯は、教室の前の方に座っている。自分はたしかに情に薄い方じゃないかと思うけれど、それでも遊戯くんのことは大切な友だちだと思っているのだ。城之内くんのことも。じゃなかったら気にも掛けない。
 人付き合いって面倒だよね。楽しいことだけで終わりにならない。
 でも、かったるくても、大変でも、うっとうしいことがあっても、一緒にいたいなと思うのが友だちというものなのではないだろうか。
 好きって、そういうことでしょう。たぶん。
 それにしてもバレンタインか。
 獏良はためいきをついた。
 またチョコをたくさん貰う羽目になるんだろうなぁ。
 自分の見かけがいいことはよく知っているし、ルックスを理由に好かれるのも別に悪い気はしないんだけれど、やっぱり迷惑だったりもするわけで。ろくに話したこともない相手に、中身を愛してなんて贅沢言わないけどさ。疲れるのも事実なんだよね。
 いっそのこと、真崎さんを見習って、ボクもみんなにチョコあげようかな。
 もらってるばっかりだと、いい加減飽きてきた。海外だと男からもあげるって言うらしいし。誤解される相手でもないし(されたら面白いけど)。しょせんお菓子屋さんの販促なんだし。先日ネットをまわってたら、おもしろいチョコレートあったし。死体とかミイラとかの。内臓が赤いストロベリーのチョコのやつ。かわいいよね。
 そういや、遊戯くんは意中の相手から貰えるんだろうか。このところ浮かない顔で悩んでいるのは、恋をしてるせいなんだろうか。ちょっぴりうらましいと思ってしまう。
 誰かのことでそんなに悩めるのって、素敵だと思うんだけど。
 だけど城之内くんの方は何で悩んでるのかな。遊戯くんのことなのかな。



 オレは遊戯が好きなんだろうか。

 このところ城之内が毎日考えるのは、それだった。
 あの日以来、ずっとそのことばかりを考えている。

 結局、夜通し、身体を重ねていた。男同士でおかしいとか、遊戯相手にヘンじゃないかとか、そんなことはみじんも考えなかった。何も考えていなかった。ただ遊戯を抱いていると、幸福感に身を焼かれるようだった。セックスはしたことがあったし、それが気持ちいいことだとも知っていた。嫌いではなかった。
 ただ、こんな気持ちは知らなかった。熱い波のようなものが自分の身体の中をたぷたぷと満たすのだ。うすい胸にキスをするたびに、あまい声が自分の名前を呼ぶたびに、胸がつまって、どうにかなりそうだった。
 ちいさな身体を抱き込んで寝ていたはずなのに、目が覚めると遊戯は居なかった。「朝なので帰ります。鍵は郵便受けにいれておきます」というメモだけがおいてあった。
 その日、遊戯は学校を休んでいた。
 風邪だという連絡があったと、教師は言った。
 翌日、学校に来たとき、遊戯は、ふだんと同じように「おはよう、城之内くん」と笑った。あの夜のことは何も言わなかった。
 耐えられなかった。
 だって、遊戯のやつは、好きなやつがいるのだ。あんな馬鹿な真似をしてしまうぐらい好きなやつがいるのだ。そいつのために、そいつを諦めるために、オレに抱かれたのだ。
 臓腑が焼けるようだった。
 嫉妬してんだ、オレ。
 そうだ。嫉妬していたのだ。
 遊戯に好きなやつがいるって聞いたときからずっと。
 男じゃなくて、女だとおもってたときから、ずっと。
 正直なところ、城之内は遊戯に恋をしているとは思えなかった。
 そりゃ遊戯は好きだ。大好きだ。大切だ。でも、恋だとはおもっていなかったんだ。キスしたいわけでも、セックスしたいわけでもなかったから。
 だけど、だめだ。あいつが、他のだれかと(しかも男と)キスするのかと思うと、目眩がする。気が狂いそうだ。ちいさな、すんなりした裸身をさらして、誰かを受け入れるのかと思うと死にたくなる。あのやわらかな肌を、誰にも見せるな。触らせるな。
 遊戯に触れていいのは、オレだけだ。
 抱きすくめるのも、触れるのも、なにもかもオレだけだ。
 じゃないと許せない。
 城之内はため息をついた。

 なんだオレは。
 馬鹿かオレは。
 好きだともいわずに、嫉妬だけしてんのか、オレは。

 だって、好きなのかどうか、わからない。
 だけど、オレが一番じゃねぇなんて、許せない。

 あいつが一番大事で、好きなのは、オレじゃないなんて許せねぇ。
 なんでオレ以外のやつなんか好きになるんだよ。
 遊戯のバカヤロウ。

 どうすればいい。

「杏子のクソバカ」

 何を言えばいいんだよ。オレは。