◆3
気が付いたら、溺れていた。
ばしゃばしゃと掻いて、水面に顔をつきだす。泳げて良かった。
「うー、死ぬと思った」
やけに塩っ辛い。ここは海なんだろうか。
城之内はあたりを見回した。
海ではなかった。やけにだだっぴろい部屋の中だった。教室よりも、体育館よりも、講堂よりも広い空間だった。あんまり広すぎて、端の方が見えない。おまけに全体的に薄暗い。なんだっつーの、この部屋は。室内プールにしちゃ異様すぎる。
「おーい」
城之内は犬かきで泳ぎながら、声をだして人を呼んだ。
だれの返事もない。
ただ、しくしくと嗚咽が聞こえてきた。
ちょっとほっとした。
誰か居るのだけは確からしい。
城之内は音の聞こえる方に向かって、泳いでいった。
やがて岸辺が見えてきた。岸辺はなぜか草むらになっていた。ぱたぱたとやけにでかい蝶々まで飛んでいる。奥のほうには木立まであった。テレビか映画のセットのようだ。
そこには水色のエプロンドレスを着たちいさな子が、ダブルベッドのように巨大で、ドハデな色のキノコの上にぺたりと座り込んでいた。
後ろしか見えないので顔はわからなかった。背中はほそくて小さかった。ずいぶん特徴的な髪型をしている。ツンツンして、棘だらけだ。まるでヒトデみたいだ。
それから妙な音が聞こえた。
ぽちゃん。ぽちゃん。
なにかがこぼれ落ちるような音だった。
城之内は立ち泳ぎをしたまま、じっとそちらを見つめた。
涙の音だった。その子が、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしているのだ。
「おーい!」
エプロンドレスの子は振り返りもしない。こぼれおちる涙の雫は、ちいさな流れになり、床にあふれ落ちて、どうどうと流れていく。
城之内がいるのは涙の海だったのだ。おまけにその子が静かに泣く度に、ざばんと波が押し寄せくる。なんてこった。
城之内は抜き手を切って泳いだ。なんとか岸にたどり着く。犬のようにぶるぶると身体をふるって、水をはね飛ばした。
「おい! 泣くのやめろよ!」
城之内が声をかけると、エプロンドレスの子は、ようやく気が付いたらしい。逃げだそうと立ちあがるが、がくんと何かにひっぱられてすっ転んでいた。よく見ると、黒光りする鉄の輪が囚人のように首にがっちりとはまっているのだ。そこからは鉄の鎖がのびており、キノコの根元から生えるようにがっちりとくい込んでいた。
城之内は、その子のそばまで行った。
「泣くなよ」
濡れた青いエプロンドレスが身体にぴったりと張り付いて、扇情的な眺めだった。ほっそりしているのに、やわらかそうな太ももが濡れて光っている。ふくらんだ袖からつきだした腕は、真っ白なパンのようにやわらかそうで美味そうだった。
泣きはらした目は、顔の半分ぐらいを占めそうなぐらい大きく、朝と夜の狭間のような紫の色をしていた。頬はリンゴのように赤く熟れている。美人じゃなかった。どちらかといえばアンバランスな顔だちで、子リスとかそういうものを連想させた。
折れそうなほど細い首にがっちりと絞められた鋲を打った革の首輪からは、「EAT ME」と書かれた札がさげてあった。
城之内はごくりと唾を飲んだ。
「なんだよ、それ」
「『ボクをたべて』って書いてあるんだよ」
「た、たべていいの?」
エプロンドレスの子はこくりと肯いた。
「でも、泣いてたじゃん。イヤじゃないの?」
その子は首を横にふった。
「泣いてたのは、ボクのことなんて、誰もたべてくれないからだよ」
「なんで」
「ちいさいし、ほそいし、かっこよくないし、あたまも悪いもん。おいしくないよ、きっと」
「オレも頭悪いから安心しろよ」
慰めになっているのかどうか、わからないセリフだった。
「そ、そ、それに、ボクは男の子なんだよ!」
城之内は大きく目を見開いた。たしかに胸はぺったんこだが、ひらひらしたドレスを着て、男といわれてもあまり実感がわかない。それに小さすぎる。有り体にいえば小学生みたいなのだ。
目の前の子は、ちいさな白い手をぎゅうっとにぎっていた。何かを堪えるようにぶるぶると肩が震えている。
「こんなボクを食べてくれるひとなんて、いないよ!」
それがあんまり哀しそうなので、「そんなことねぇよ」と元気づけるように城之内は言ってしまった。その子は顔をあげて、城之内をみた。唇はさんごのようなきれいなピンク色だった。
「じゃあ、ボクのことたべてくれるの?」
「うん」
「きもちわるくない?」
「お前ならいいけど」
「げろげろだって思わない?」
「思わない」
「でもきっと、まずいと思うよ」
「思わないって」
城之内はキノコに座り、エプロンドレスの子を自分の膝の上にのせた。なんだか懐かしい感覚がした。どっかで、おぼえがあるんだけど。まあいいか。気持ちいいし。城之内はそう思った。小さいものを抱きしめると、なんだか和むのだ。
「びしょびしょだろ。このままだと風邪引くぜ」
「どうすればいいの?」
「とりあえず一緒に運動すりゃ、すぐに乾くよ」
城之内は、エプロンドレスの子を後ろからぎゅっと抱きしめて、ほそい首筋に唇を這わせた。
*
「すげぇ……」
してしまった。最後まで、してしまった。フルコースでしてしまった。何度もしてしまった。イヤではなかった。それどころか大変おいしかった。
涙を舐めると舌先がしびれてくらくらしたし、身体を中に進めると締め付けてくる感覚がたまらなく甘かった。いろんな体位でやった。恥ずかしそうに「初めてだからごめん、まずくてごめん」と言われると目眩がしそうなぐらいかわいかった。とてもよかった。
ふーと満足げなため息をついて、キノコの上で寝そべっていると、
「あ、ありがとう」
という小さな声が聞こえた。
「ボク、はじめてたべてもらえてうれしかった。ほんとに、ほんとにありがとう」
「いいよ、気にするなって」
気の大きくなっている城之内は上機嫌で答えた。チビだろうが男だろうが、かわいくて美味しいならいいじゃないか。食わず嫌いはよくないよな。
「そういやオレ、お前の名前聞いてなかったよな」
ひょいっと上半身を起こした。相手の青いドレスはすっかり乾ききっていた。白いレースのついたエプロンをしょざいなげに引っ張っている。
「そっちも言ってないよ」
「そっか」城之内は頭を掻いた。「オレは城之内。城之内 克也」
やわらかな頬を両手ではさんで目線をあわせる。大きな目が伏せられた。睫毛がながいなとおもいながら、まぶたをぺろりと舐めてやると、ん!とちいさく呻いた。
「な。教えてよ、名前」
ちいさなふかふかのほっぺたに鼻をこすりつけたあと、耳を甘噛みする。マシュマロみたいな歯ごたえだった。やわらかくて弾力があってうまい。もっぺん、くっちまいたい。
「言ってもいいの?」
「あたりまえだろ?」
「後悔しない?」
「しないよ」
「ほんとに?」
「ホント」
桃色の唇に何度もかるいキスをした。やわらかな唇の感触は、みずみずしい果物みたいで、むしゃぶりつきたくなる。ちろりと舌先で舐めると、はぁ……と熱の籠もった吐息をもらした。
「教えてよ、名前」
エプロンドレスの子はじっと城之内を見た。
「わかんないの?」
「わかんないから聞いてるんだけど」
そっか。それだけ言うとエプロンドレスの子は、ちいさく肯いて、意を決したように言った。
「ボクは、ボクの名前はね……」
*
『遊戯イッ!?』
「何時だと思ってやがる!」
本田の声だった。城之内はあわてて、あたりを見回した。
「きたねぇ……」
「うるせぇぞ、城之内」
読みさしの週刊少年漫画やら雑誌やら、からっぽになった菓子の袋やら、半分飲み残したペットボトルやら、カップラーメンの容器なんかがごちゃごちゃと床においてあった。
部屋はそれなりに暖かかった。暗い部屋の中で、エアコンのインジケーターがほの明るい。しゅんしゅんと加湿器が水蒸気を放出している音がした。遮光カーテンのむこうがわはまだ暗そうだった。
本田の部屋だった。
今日も泊まったのだ。
本田は自分のベッドから、床に寝ている城之内を見下ろしている。壁に掛かっている時計をみるとまだ朝の5時だった。
「ねむい」
城之内はぼそりと言った。
「じゃあ寝てろよ。つか、なんだよ。さっきから妙な寝言ばっかりいいやがって」
「寝言?」
「うまいとか、もっととか。どうせメシ食ってる夢でも見てたんだろ」
「あー」
そういや食ってる夢をみた。
くいもんじゃないけど。
「もう一眠りすんぞ」
「おお」
城之内も毛布にくるまりなおした。
女装した遊戯をくっちまうって、どういう夢なんだよ……。
おまけに今現在、勃起してるってどういうわけだ。
目眩がする。
朝立ちだよな、これ。
城之内は大きなため息をついて、目をつぶった。
とりあえず、今は寝るしかない。
しょせん夢だ。寝てしまえば忘れてしまうだろう。
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