◆2


「泣くしかねぇっつぅかさぁ」
 それはオレのセリフだと思うんですけど。
「なんかさぁ……、手塩にかけて育てた娘がかっさらわれるっていうの? 娘をもった父親ってこんな心境なのかな。結婚式のときに父親が泣くのわかるね。今ならわかるね。号泣するね。こころのダムが決壊するね」
 アホかお前。
「ああ……どこの馬の骨ともしれない女に、オレの遊戯が……」
 あっちのほうが年上だぞ。半年だけど。

「グダグダグダグダ、いい加減にしやがれ!」
 本田は吠えた。もちろん夜半だということを考慮して、ご近所迷惑にならない音量で。



 城之内が本田の部屋にやってきたのは、真夜中のことである。
 本田は、家の庭にプレハブの勉強部屋をおいてもらっている。出入りがしやすくて、家人に気兼ねしないから、こうやって城之内がいきなりやってきて泊まることは、以前から何度もあった。できれば先に連絡が欲しいところだが、まあなくても怒りはしない。本当に都合が悪ければ追い出すだけだからだ。
 今日は別に都合もわるくなかった。
 城之内はやけに沈痛な面持ちで「上がってもいいか」なんて殊勝に聞いた。いつもなら「邪魔すんぞー」の一言でずかずかと入り込んでくる男がである。本田はもしかしてオヤジさんになにかあったのか、妹さんのことで問題でも起きたのかと心配した。
 しかし、その内容ときたら。
「いいじゃんかよ、遊戯に好きな奴がいてもよぉ」
 そんなのお年頃の男の子なら普通のことである。
 これで、城之内にべたべたひっつかれるのを、遊戯が嫌がっていた理由も納得がいく。
 遊戯が好きになった子がクラスメイトなのか、それとも他のクラスの子か、別の学校の子か、そのあたりは城之内からの話だけではさっぱり見当もつかないが、これまでの所行を男子として、恥ずべきことだと考え直したのだろう。
 城之内にたかだかと抱き上げられて「わーい!」と子供のように喜んでいる姿は、はっきりいえば小学生にしかみえない。
 女子に意識してもらうのなら、まず行動を改めよ。
 きっと遊戯はそう思ったにちがいない。
 男としての自覚が出てきたということで、遊戯の成長を考えればむしろ喜ばしいことであり、友人として協力すべきである。
 そのようなことを本田はとうとうと述べた。
「だってよぉ……」
「だってもクソもねぇだろ」
「はぁ……。そりゃそうかもしんねぇけどよぉ……」
 何がここまでショックなのだろう。
「遊戯に彼女ができたってワケじゃねぇんだろ?」
「好きなやつがいるって。そんだけ」
「だったら、いいじゃん」
 本田だって、遊戯のやつに先をこされてカワイイ彼女なんてものを作られたら、正直ショックだ。本田だって独り身なのだ。彼女はほしい。
 杏子が好きだったってことからしても、グラビアみてても身体より顔を選ぶ点からして、遊戯のヤツは結構面食いだ。きっと好きになった子も美人にちがいない。
 まかりまちがって、杏子並みの美人と、あのチビでちんちくりんの遊戯が、イチャイチャアツアツな恋人同士になったりしたら、男のプライドがじくじく痛むこと間違いないだろう。そのようなときは、城之内のように落ち込むかもしれない。
 しかしながら、今はまだできあがってはいないはずである。
 確定しない未来を愁うことは、杞憂というのである。
「どんな女なんだろうな、そいつ」
「たいしたことねーのに決まってるよ」
 嫉妬すんなよ。いくら仲がいいからって。男同士でさ。
「キモイよ、お前」
「うっせぇ」
 城之内は不機嫌な顔のまま、もってきたチューハイをがぶ飲みした。本田も勝手に一本もらう。とりあえずやけ酒に付き合わないといけないことだけは、確からしかった。
 酒の缶だけは、親に見つかる前に片付けとかないと。



 朝っぱらから、遊戯は気が重かった。
 だれにも顔を合わせたくなかった。いつもより早めに家を出た。
(あー、なんで言っちゃったんだろう)
 どうして城之内くんにあんなこと言っちゃったんだろう。
 ――好きなひとが居る、なんて。
(適当に、ごまかしとけばよかったのにな……)
 バスにゆられながら、突っ込まれたときの状況をシミュレーションしてみる。
 好きな子は、女の子。
 あたりまえか。
 そうだよな。
 男が好きだなんて変なんだよな……。
 遊戯は暗澹とした気分になった。しかし、悩んでいてもバスは駅前に着くし、電車も来る。学校にたどり着く前に対策を考えなきゃ。
 いつもに比べると早いせいか、電車はすこし空いていた。椅子に座れるほどではないが、なんとか他人に接触しないですむぐらいの混み具合だ。運良くドアの前に入り込めたので、車窓から流れる風景を見つめる。寒々しい冬の土手に、ぽつぽつ赤いものがみえる。気の早い紅梅だった。
 他の学校の子ってことにしよう。
 黒薔薇女学園とかどうかな。誰も知り合い、いないだろうし。
 いや、だめだ。御伽くんなんて女友達多いんだから、ツテをたどってあげようか?なんて言われてしまう。あんまり詳しいこと言うとぼろがでそうだ。
 決めた。
 絶対に言わないことにしよう。
 名前も、どこの学校かも、どこに住んでるかも、言わない。
 片思いだから、言いたくないって。
 実際、そうだもんな。
 遊戯は自嘲した。
 今度こそ、好きだって言えるような恋をしたかったのになぁ。
 ボクは恋愛に向いてないのかもしんないな。
 遊戯はガラス窓に息をふきかけた。白く曇る。城之内の名前を書きそうになって、あわてて手のひらで消した。
 バカみたいだ。ほんと。



 早朝の教室にはまだあまり人がいなくて、しんと寒かった。授業時間にならないと暖房入れないってひどすぎる。コート脱ぎたくないなと思いながら、遊戯は席に座った。もってきたカードゲームの雑誌を取りだす。毎月愛読しているもので、デュエルのレビューが的確で詳しかった。これなら集中して読める。海馬くんの独占インタビューものってるし。
 表紙をめくったとたんに声がした。
「よう」
 城之内だった。
 なんでいるんだよ。いつも遅刻ギリギリにくるくせに。
 城之内はやけに不機嫌そうな顔をしている。寝不足なのか目がはれぼったそうだ。
 遊戯は内心あわてながら、なるべくいつもと同じように心がけて「おはよう」と返した。
 城之内はポケットに両手をつっこんで、ねめつけるように遊戯を見た。いつもだったら、勝手に隣の席に座り込むのに。遊戯はごくりと唾を飲んだ。
「なにか用? 城之内くん。ボクこの雑誌読んじゃいたいんだけど」
「告白したのかよ?」
 いきなりストレートな質問だった。
「してないけど……」
「ふーん」
 城之内はつまらなさそうに相づちを打った。
「どんなやつよ?」
 遊戯はひゅっと息を吸い込んだ。ぎゅっと手のひらに爪をくい込ませる。落ち着いて、落ち着いて返事しないと。
「ひ、秘密」
 遊戯はなんとかそれだけ絞り出した。
 城之内は質問を続けた。
「かわいい? 美人?」
「……かわいいかな」
「明るい? 暗い?」
「あかるいけど、暗いところもある」
「巨乳?」
「ボク、巨乳派じゃないから」
「美乳派だっけ」
「いちおう」
「そっか」
 それだけ聞くと、城之内は満足したのか、ふうと大きくため息をついた。前髪をうっとうしそうにかき上げる。それから、
「応援すっから」
 と、あまり情感の籠もっていない声で告げた。
「うん」
 遊戯は泣きたくなった。けれど、ありがとうといって笑って見せた。城之内はちいさく舌打ちをして、くるりと背中を向けた。
「おい本田、購買いくぞ」
「なんだよいきなり」
「コーヒー飲みてぇの。コーヒー」
 城之内は本田の肩に手を掛けて、教室を出て行った。遊戯を誘いもしなかった。
 あたりまえだけど、そーだよな。
 別にボクに好きなひとができようが、恋人ができようが、城之内くんには関係ないもんな。興味なさそうだった。すごく。
 どうでもいいんだよな。
 ボクのことなんて。
 卑屈な考え方っていやだよなと思いながら、遊戯は雑誌に目をおとした。ぽたりと水滴が落ちて、まるい染みをつくった。