◆2

 体温計で測ってみたら微熱があった。もともと平熱が高いんだから平気だと遊戯は主張したが、今日は早く寝なさいと母親に言われ、お粥をだされた。遊戯はしぶしぶ従うことにした。台所の女王には勝てない。
「知恵熱だろ、知恵熱。変なのみたから、きっと頭がパニックおこしたんだぜ」
 遊戯にお粥をたべさせながら、城之内はそう笑った。
 城之内は遊戯に世話を焼くのが好きだ。子供扱いすると遊戯はすぐに怒るけど、口に出していわなければ大丈夫なのも知っている。おかゆをよそった白いレンゲをふーふーと吹いて、遊戯にさしだす。あーんとくわえる姿を見て、目を細めた。からだの内側がくすぐられるような、むずがゆい気持ちになる。城之内にとって、甘やかすのは、甘やかされるのと同義だった。
「そっかな」
 遊戯は首をひねった。すでにパジャマに着替え済みだ。それにしてもついてない。今日の夕飯はハンバーグのはずだったのに。ハンバーグはすでに城之内の腹の中に収まっている。
「遊戯には刺激強かったんだろ」
「別に、エロ本なら読んでるし」
「あんまえげつないの読まないじゃん、お前」
「えげつないのって、どーゆーのさ」
「SMとか、ぽっちゃりとか、熟女とか」
 そういう知識をどっから仕入れてくるんだろう。遊戯は不思議に思った。
 ボクはど真ん中ストライクの若くてスタイルがよくって、カワイイ女の子じゃないと、ダメなだけなんだけど。普通だよね、それって。
 そういやボクらは、エロ雑誌や、エロビデオや、クラスの誰がかわいいとか、タレントの誰がいいとか、そういうことはよく話し合うけど、経験を比べ合ったりはしない。残念ながら誇れる戦績がないから、自分からは語ったりしないけど。
 城之内くんは、あるのかな。
「城之内くんってさ」
「なによ」
「付き合ってたことある?」
 そう言うと、城之内はレンゲを持った手をぴたっと止めた。
「あんの?」
 城之内は、遊戯の口におかゆのはいったレンゲを押しつけた。遊戯は、もぐもぐとそれをたいらげて、城之内を見つめた。
 ぽりぽりと頭を掻き、鼻の頭を擦り、もじもじと手を擦り合わせたあと、
「まあ、それなりに」
 と、城之内が言った。
「そっか」
 遊戯は、それだけ言った。城之内からレンゲをうばい、ひとりで黙々と食べ始める。
「べ、別にだまってたわけじゃねぇぞ」
「うん」
「今はもう別れてるしさ」
「そっか」
「怒んなよ、遊戯」
「怒ってないよ」
「ホントに?」
「本当」
 別に怒るつもりなんてないのだ。城之内に彼女がいようがいまいが、自分とは関係のないことだ。いま、もし彼女がいるのに教えてもらえなかったのなら、ちょっと水くさいなとは思うだろうけど、過去のことにこだわる気はない。
 遊戯がさっさとお粥を食べ終える。
「薬、のんどけよ」
「うん」
 城之内はコップに水を注いで遊戯に手渡した。うぇーと、まずそうな顔で苦い粉薬を流し込んでいる遊戯の顔を、ベッドの上で頬杖をついてながめた。
「あのさー」
「なに?」
「もし彼女できても、お前のほうが大事だからさー」
 だから、そんぐらいで淋しがんなよ、バカだな。
 そう言って、遊戯のちいさな手をとって頬をすり寄せる。機嫌が直ればいいなと、そう思ったのだ。そんなつもりないよーって、いつもみたいに笑ってくれると思ったのだ。
 それなのに遊戯は、泣きそうな顔をしていた。
 城之内は狼狽した。
「ボク、もう寝る」
 それだけ言うと、布団の中にもぐってしまった。
「お、おう」
 どうすればいいのかなんて、わかるわけがなかった。



 城之内が帰ったあと、下に行って歯を磨いた。それから、祖父の秘蔵のアイラモルトをコーヒーカップに三分の一ぐらい注いで戻ってきた。ばれないぐらいの量である。酒には強くないが、飲みたかったのだ。そういう気分の日だってあるだろ。
 ベッドの中で、磯臭い香りの酒をちびちびと舐める。強いアルコールに舌がじんとしびれた。そのあとに甘い感覚がくる。くらくらする。
 なんで、あんな態度取ったんだろう。
 城之内くんも困ってた。具合わるくなったボクを心配してくれたのに。
「嫉妬してんのかなぁ……」
 ぽつりとつぶやく。自慢じゃないが彼女なんていたことがない。幼なじみの杏子に淡い恋をしていたが、告白する前に見事に破れた。
 城之内くんは何人ぐらい付き合ったんだろう。
 本田くんに昔聞いた、荒れていた時期のことなんだろうか。
 キス、したかな。
 多分しただろう。それだけではなくて、もっと先のことも。
 それぐらい、好きだったひとがいたんだよなぁ。
 遊戯は酒を飲み干すと枕につっぷした。
 別に城之内くんが経験してたってボクには関係ないじゃないか。
 うらやましいのかな。妬ましいのかな。
 こんなことで不機嫌になって、城之内くんにあたるなんて。情けないな。
 考え込んでいると、さらに暗くなってきた。これ以上は止めておいたほうが無難だろう。考えたって答えがでる問題じゃないのだ。
 もう寝よう。そうしよう。
 明日になったら、城之内くんに謝ろう。
 
* 

 酒のせいか、薬のせいか、熱があったせいか、その晩、妙な夢をみた。
 遊戯は、どこかの野原に居た。小高い丘のてっぺんに大きな木があった。そこの木陰で祖父が中折れ帽を顔にのせ、心地よさそうにねこけている。
 明るくて、心地よくて、広い野原だった。どこまでもなだらかに緑が続いていて、建物の影一つ見えなかった。なんだか日本じゃないみたいだ。
 ぼーっと風に吹かれていると、目の前をうさぎの耳をつけた本田くんが横切っていった。
 フンドシ一丁の服装で。
 つまりは、ほぼ全裸だ。
 なんて格好なんだろう!
「ほ、本田くん!」
「急がなくっちゃ、急がなくっちゃ」
 ぴょんぴょんとスキップをしながら、本田が走っていく。白い長い耳がゆれる。フンドシの尻の部分にはふわふわのウサギのしっぽまでついている。
 あわてて、遊戯は丘をかけおりていった。風をうけてふわりと服の裾がひろがったので気が付いた。あれ、ボクってば、ドレス着てるよ。
 水色の、そでのふくらんだエプロンドレスだった。
 本田が入っていったうさぎ穴を追って走っていくと、下におおきな穴が空いていた。
「わーーー!」
 もちろん、遊戯はおっこちた。
 ぶわっとスカートがパラシュートのようにふくらんだ。
 ながいながい井戸だった。一向に地面にぶつからない。あまりにも落ち続けているので、だんだん恐怖心が薄れてきた。井戸の中は灯りもないのにあかるくて、まわりがよく見えた。井戸は円ではなく、きれいな正六角形だった。壁は日干しレンガでできていた。六辺のうち四辺の壁には、棚がつくりつけてあって、落ちていくたびに、その辺の方向は変わっていった。棚には、本や瓶や服やプラモデルやその他もろもろの、いろんなものが置いてあった。
「あれは、プラモじゃないってば」
「獏良くん!」
 にこにこ笑いながら空中に現れたのは獏良だった。服装はいつも通りのストライプのTシャツ姿だった。遊戯はほっとした。
「いまボクさ、魔改造にはまってるんだけどさ。あ、エロいのじゃないよ。どっちかというとスプラッタかな。スジつけるより動脈とか骨とかつくるほうがむつかしいよねぇ。そのせいか、作例少なくて苦労してるんだ。ハートのクィーンが首を切れ!って命令してるとこでさ」
 こんな状況にもかかわらず、獏良は本当にいつも通りで、いそいそとフィギュアを取りだして遊戯に見せようとする。
「それより本田くん知らない?」
「生きてるなら、どっかにいるんじゃないかな」
 そんな、すべての人間にあてはまるようなことを言われても。
「っていうか、これなぁに? 夢? 夢だよね」
「うーん、ボクには現実と夢のちがいが定義できないなー。しょせんどっちも脳が見せる幻でしかないと思うんだ。目が覚めなければ夢こそがうつつだよ」
「わーん!」
 なんて頼りにならないのだろうと遊戯は思った。
「だから、楽しんだ方が勝ちだと思うんだよね」
 そう言うと、獏良は本棚から一冊の雑誌をひっこぬき、遊戯にはいと手渡した。
 表紙は城之内だった。
 放課後にみた雑誌に酷似していた。
 『いま、しゃぶりつくしたい城之内 克也』『オレたちのぶっかけアイドル』なんてすごい煽り文句がついている。
「ば、獏良くん!」
 文句を言おうとしたら、獏良の身体はすでに半分ぐらい消えていた。真っ白い半紙を墨汁の海に落としたように、すうっと真っ暗になっていく。
「ちょっと待ってよ!」
「実用性高いと思うよ。じゃあねー」
 にこにこ笑いを残しながら、獏良は消えていった。
「こんなものを押しつけて、ひとりにするなー!」
 井戸深く落ちながら、遊戯は叫んだ。どうするんだよ、この雑誌。
 することもないので、それを開いてみた。中も城之内だった。城之内しか出ていなかった。扇情的なポーズをとったり、たくましいポーズをとってみたり、アントニオ猪木の真似をしたり、さまざまな城之内がいた。子供の城之内もいたし、大人びた表情をする城之内もいた。ハダカ率は高いけれど、あんまりエロくはなくて、遊戯はほっとした。
「この城之内くんは、けっこう格好いいよな……」
 ぺらぺら見ていくと、城之内が誰かと絡んでいる写真があった。遊戯は顔を赤らめた。別にたいしたことはしていないのだが、片方が知ってる人間だと恥ずかしさ倍増だ。
 だ、だれなんだろう、その相手。
 全裸の城之内と一緒に寝ているのは、遊戯がよく見知った人物だった。
 といっても、本田ではない。
 御伽でもない。
 獏良でもない。
 海馬でもなかった。
「…………ボクじゃん」
 武藤遊戯そのひとが、城之内とキスをしていた。舌をいれるやつを。熱烈なやつを。下半身をたぎらせ、足をからませ、恍惚とした表情をうかべながら、むつみ合っている。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ――――!」
 叫んでいるうちに、終着地点だったらしい。
 ものすごい勢いでどかん!と床にぶつかった。



 遊戯はぱちりと目が覚めた。

 ベッドから床に落ちていた。
 遊戯は頭をふって立ち上がった。パジャマ姿で、自分の部屋にいることを確認すると、ほっとため息をついた。
 よかった。やっぱり夢だった。おかしいと思ったんだ。変すぎるもんね、あの夢。
 時計をみると、まだ真夜中をすぎたばかりだった。もう一度ベッドに潜り込む。
 それにしてもやけに生々しかったなぁ。
 天窓から入る月明かりをながめながら、ぼんやりと考える。
 本田くんが出てきて、獏良くんも出てきた。
 それでもって変な雑誌を渡されたっけ……。

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 なんであんな雑誌を夢でみたんだろう。
 なんでボクは今、顔を赤らめてるんだろう。
 どうして、ボクは今、勃起してるんだろう。

 ちょ、ちょっと待ってよ!
 城之内くんがハダカで、いやらしいことしてるとこ想像して勃ててるなんて、ありえないだろ。何考えてんだよ、ボク。
 いやいやいや。待て待て。あれは夢だ。きっと昼間みた雑誌の影響だ。なんかの間違いだ。酒を飲んで寝たのがいけなかったんだ。
 もういっぺん寝よう。時間もあるし。
 今度はカードゲームの夢でもみよう。どうせえっちな夢をみるなら、ブラック・マジシャン・ガールの方がいい。
 そう思うのに、目をギュッとつぶって寝ようと思うのに、脳裏に城之内の姿が浮かぶ。
 首をぶんぶんふって、考えを飛ばそうとするのに、何回やっても城之内のことが頭から離れない。
 熱を測るときに近づいた睫毛とか。
 かさついてるけど、ピンクの唇とか。
 意外に逞しい(すくなくとも遊戯よりは)体つきとか。
 自分の頬を撫でる、節くれ立った指先とか。
 ほんと、何考えてるんだ。ボクは。

 どうしよう、眠れない。