◆1

 2月1日

「うっげぇ、マジ最悪」
 遊戯が教室に戻ってくると、城之内の大きな声が聞こえた。



 放課後の教室には、いつものメンツが残っていた。
 城之内と本田と獏良と御伽だ。
 紅一点の杏子はダンスのレッスンがあるからと言って授業が終わると同時に帰ってしまった。
 暖房を切られたあとの教室は、かなり冷え冷えとしている。それでも、うだうだと残っているのは、外に出たほうがもっと寒いからであり、駅前の店なんぞに行かないのは、金がかかるためである。教室でだべってれば一銭も掛からない。
 それはいつものことだったが、みんなで寄り集まって何をやっているのだろうか。
「なにが最悪なの?」
「これだよ〜」
 椅子に座っていた獏良が雑誌をひらひらとかざして見せた。ざっくりとしたセーターを着たハンサムな男の人が表紙をかざっている。ごく普通のおしゃれな感じのデザインだ。
「ファッション雑誌?」
 遊戯は首をかしげた。
 めずらしい。獏良くんが、そういう雑誌に目を通すなんてさ!
 クラス一どころか学校でもトップクラスの美形として名高い獏良だったが、着るモノにはまったく頓着しない。学生服だって、転校前のをそのまま着続けているツワモノだ。
「ちげーよ、遊戯」
 本田が首を振った。
「ホモ雑誌だよ、ホモ」
 城之内があとを続ける。
「ゲイ雑誌って言うべきなんじゃないかなー。本にそう書いてあるし」獏良が抗議する。
「ゲイもホモも同じだろ」と城之内。
「そーかなー。ボクは『獏良』だし、『了』だけど、親しくもないひとから了って呼ばれたらいやだし、バクラって呼ばれるほうが好きだし、呼び方って、公序良俗とTPOに反しない限り、ある程度は本人の意志を尊重したほうがいいんじゃないかなー」
 獏良はやけに拘るところをみせた。たぶんゲイとかホモとかの指し示す言葉自体はあんまり興味がなくって、用語をちゃんと使うってことを重要視しているんだろう。先日、フロイラインリボルテックをピンキーと呼んだとき、その違いについて長い長い、とても長い話を聞かされた遊戯はそう思った。だって両方とも女の子の人形じゃん!
 それはともかく。
「なんで、そんな雑誌持ってるのさ?」
 この中の誰かがそういう趣味の持ち主だったのだろうか。遊戯は大きな瞳で、本田をじっと見つめた。
「な、なんでオレをみんだよ!」
 本田はあわてた。
「だって、一番それっぽいかなって。角刈りとかさ」
「冗談じゃねぇ!」
 どこがソレっぽいんだっつーのと、本田は遊戯の頭頂部にチョップを入れた。
 わーん、痛いよーとわざとらしく頭をかかえると、机の上に腰掛けていた城之内が、遊戯をひょいっと抱き上げ、自分の膝の上に子供のように座らせた。あやすように揺らす。
「よしよし、痛かったか?」
「いたかったー」
「いじめっ子ですよねー、本田くんはー」
「お前ら、調子乗ってんじゃねぇよ!」
「まあまあ」息巻く本田を御伽がなだめる。「この本は獏良君が持ってきたんだよ」
「っていうか、もらったんだよね。女の子に」
 獏良は、遊戯にその雑誌を渡した。
 表紙の写真やレイアウト自体はごくごく普通だった。奥様向けの女性週刊誌の方がえげつない。しかし、あおりの文句がすごかった。「ぶち込め兄貴の本気汁」とか、「ガッチリ交尾のできるハッテン場特集」とか、「実録僕らの乱交ファック祭り」とか。意味がわかるような、わからないような。
 そもそもハッテン場って何さ?
「なんで女の子がもってんの?」
 どうみても男性向けだと思うんだけど。女の子が読むような雑誌にはみえない。
「ボクと御伽君の参考にだって〜」
 さっぱり意味がわからないんですけど、獏良くん。
 遊戯が首をひねっていると、御伽が苦笑しつつ説明してくれた。
「女の子の一部には、男の子同士の恋愛を面白がるタイプがいるんだよ。特に獏良君みたいな美形のファンにはね」
「照れるな〜」
「照れるな! 怒れ!」本田が吠える。「勝手に変なこと妄想されてんだぞ、お前らさ。こんな二人で突っ込んだり、突っ込まれたりとかそういう風によ!」
「ボク、本田くんのそういうとこ好きだなぁ」
 獏良は緊張感なくにこにこと笑い、本田は疲れたように肩を落とした。
 真面目に心配してんのによぉ。まったく。
 獏良にも御伽にも女の子のファンがいる。獏良にいたっては会員証を発行しているファンクラブ(本人非公認)があり、それには他の学校の生徒まで入っているという噂まであった。男も美形だと大変だ。
 だいたい獏良は、他人が自分に与える評価というのを気にし無さ過ぎなんだよなと、本田はやきもきした。自分のことでもないのに心配してもしょうがないんだが。性格なんだよな、こういうのって。
 へーと生返事をしつつ、遊戯は雑誌をめくった。うわーと思うようなハダカの男性同士の絡み写真があったり、大人のオモチャの広告が載っていたりした。うっひゃー!と声をあげて見ていると、後ろから城之内の手が伸びてきてパタンと雑誌が閉じられる。
「お子様には目の毒だからダメです!」
 雑誌は御伽にパスされた。御伽は苦笑して紙袋にしまい、獏良に返す。
「子供扱いすんなよなー!」
 遊戯が手足をばたばたさせて抗議すると、後ろからぎゅっと羽交い締めにされた。ふーっと首筋に息がふきかかる。
「ひゃははははは!」
 遊戯は耐えきれずに笑い始めた。
「お前、これ弱いよなー」
「ひど! ひどいってば城之内くん! くすぐったいんだから、それ!」
「耳も弱いよな」
「み、耳はやめて! 本気でやめて! 死ぬ! くすぐったいって!」
 きゃあきゃあ叫いている遊戯と城之内を見て、御伽は肩をすくめた。
「オレとしては、こっちの方がよっぽどそれっぽいと思うんだけどね」
「それっぽいって、ホモっぽいってこと?」
 戻された雑誌をカバンの中に突っ込みながら獏良は、御伽にたずねた。
「変なこというなよなー」遊戯のほっぺを両手でむにむにと弄り回しながら、城之内がぼやく。「なんでオレらがホモよ。気色わりぃな」
「だって一度もそんな風にベタベタしたことないオレと獏良君がそう言われて、遊戯君と城之内君が言われないなんて不公平じゃない?」
「そうかもねぇ」と獏良。
「だってオレら、マブダチだもーん」
 城之内はびろーんと遊戯のほほを引っ張った。
「やめろよなー」
 遊戯はひょいっと膝から飛び降りると、振り向き様に城之内の脇腹をくすぐった。ぎゃー!と城之内は雄叫びを上げ、遊戯はぱたぱたと本田の後ろに逃げ込んだ。おら待て!と城之内が後を追い、ぐるぐる回り始めた二人を見て、お前らほんとアホだと呆れたように本田が呟いた。



「でもさぁ、よくそんなキモイこと考えつけるよなー」
 暖房の効いた遊戯の部屋で城之内はそう言った。ぬくぬくしてて天国だ。家に帰りたくなくなる。
 城之内は、3月にあるカードゲームの大会で賞金を稼ぎたいのだ。迫り来る試験のことは無視だった。勉強よりもデッキの調整に余念がないらしい。遊戯はそのカードをじゅうたんの上にならべながら返事をした。
「キモイって、さっきの雑誌の?」
「獏良と御伽でホモるって話」
「あー」
 雑誌自体はそういうセカイもあるのかーと思う程度ですむのだが、身近な人間がそんな行為をしていると思われるのは確かにうれしくはない。
 生身の女の子って興味ないんだよねーと公言してはばからない獏良がそういう行為をすると思えないし、そもそも御伽は彼女がいるような形跡があるし。
「でも、あの二人だから冗談ですむんじゃないの。二人とも、気にしなさそうだし」
 本田くんだったら大変だろうなーと遊戯は無責任に考えた。獏良は他人の言葉なんて聞いていないし、御伽は彼の評価に値しない人間の言葉を耳に入れない。でも本田くんだったら、言われただけでくよくよ悩みそうだよな。ボクらのなかで一番似合いそうなんだけど。ふんどしとか。ハダカ祭りとか。そういうの。
「まあオレらは誤解されないみたいだし、良かったよな」
 城之内はふんと鼻息荒く、なぜか自慢げにそう言った。
「誤解って?」
 遊戯はたずねた。
「ホモとか」
「あー」
 たしかに他の人間があれだけベタベタ触りまくってたら、そういう風に言われてもしかないだろうなぁ。
 遊戯は、日頃の生活を思い起こした。
 ふたりとも学校でも四六時中くっついている。特に「冬は廊下側は寒いんだよ! ゆたんぽになれやー!」と休み時間になるたびに抱っこされている始末である。
 でも、それはボクのせいじゃなくて、城之内くんのせいなんだぜ。ボク以外にも、よくくっついてるもん。抱き癖あるよね、城之内くんは。
 城之内はスキンシップ過多のタイプなようで、気を許した人間にはすぐにくっつきたがる。女の子相手にもやりたがるから、エロ戦車なんて言われて嫌がられたりする。たいていは肩を組む程度ですむのだが、遊戯の場合は小さいせいか、抱き上げられたり、膝の上に乗せられたり、頬をなでくりまわされたりするのだ。
 それで、何も言われない理由もよくわかるけど。
 どうせボクは、ちいちゃい子扱いですよ。
 遊戯はちょっとむくれた気持ちになったが、ストレートに外に出すことはしなかった。これぐらいで、腹を立てていたら腹の皮がやぶれてしまう。残念ながら背が低いのもチビなのも童顔なのも事実なのだ。事実は事実として受け入れるしかない。
「でもよー、ありえねぇよな」
「何が?」
「男同士。ゲロゲロだぜ。すっげぇ気色悪りぃ」
「はぁ」
 あり得るから、ああいう雑誌があるんじゃないだろうか。遊戯はそう考えた。たしかに身近ではないだろうけれど。
「たとえばよ、オレとお前はねぇだろ」
「なにが?」
「付き合うとか、無理だろ? 絶対ありえねぇよ」

「えっ?」

 遊戯の心の奥で、何かがパシンとはじけた。

 付き合うなんて、ありえない。
 その意味はわかる。当然だと思う。
 それなのに、遊戯はショックをうけた。

「どーしたんだよ遊戯。変な顔して」
「……うーん」

 なんでなんだろう。
 なんで、妙に気分が暗いんだろう。石を抱かされて、冬の海の中に突き落とされたみたいなかんじだ。どんよりとしている。なんでいきなりそんな気分になるんだろ。
 胸の奥をぎゅっと握りつぶされてしまったようだ。
 自分でもわけがわからない。
「おい、マジで大丈夫か? 具合でもわるいのか?」
 城之内が心配そうに遊戯の顔をのぞき込む。熱はないよなとたずねながら、大きな手を遊戯のひたいにのばす。その指先のかさついた感触に、遊戯は顔を赤らめた。
 目の前に城之内の顔がある。茶色の目がじっと遊戯をみつめている。
 意外に睫毛が長い。睫毛の色も茶色だった。目の色がとてもきれいだなと遊戯は思った。透き通るような茶色だった。あめ玉みたいだ。きらきらしている。
 遊戯は見とれた。
 不思議だった。
 よく見ている顔だ。毎日みてる顔だ。
 これだけ接近することだって、ちょくちょくある。
 それなのに、なんで顔が熱くなるんだろう。
 こんなの、いつもやってることなのに。
「ちょっと熱いかもな」
 その顔が近づいてきて、額同士を触れ合わせた。
 吐息がかかる。
 城之内の前髪がさらりと肌にふれる。
 なぜか、息ができない。
 遊戯はじっと城之内を見つめた。
「やっぱ、熱ある」
 待ってろよと言って、城之内は部屋を出て行った。遊戯は、ほーっと深いため息をついた。酸素が足りなかった。腕を開いて、深呼吸をなんども繰り返す。
 おばさーん救急箱どこー?という声が階下から聞こえる。
 おかしいな。だるくないし、熱はないと思うんだけど。

 それなのに、どうして手に汗を掻いてるんだろう。