城之内くん。
 甘い声。
 すげぇほそいのに、やわらかい白い足。
 肌を伝う赤い血のいろ。
 スカートの裾をちょっとだけあげたときの仕草。
 別にスカートの中なんて見えなかったし、見てない。それだってのに、オレときたらそのことばっかり想像してる。
 そんな夢ばっかりみてる。

「はっ……!」

 やべぇ。
 また、やってしまった。
 オレは股間をティッシュでぬぐいながら、もそもそと布団をはいだ。
 夢精って気持ちいいけどさ、パンツ脱ぐときちょっともの悲しい。洗濯物増やしたくないのになぁ。寝る前に抜いてるのに、夢精するなんて、どれだけオレはたまってるんだ。
 今日は身体測定なので、マシなパンツを発掘してはき直した。さすがに染みつきパンツと言われたら恥ずかしくて生きていけない。
 万年床の目覚まし時計が鳴りはじめた。ふらふらと手をのばして叩きつけるように止める。まだ外は暗くて寒い。ついでにオレの部屋の中も寒々しい。うちは、四畳半と台所だけのアパートで、外を電車が走ると、がたがた部屋中が揺れるという音響リアルサラウンド効果付きの素敵な立地だ。
 狭い部屋の隅にはカラーボックスが置いてあり、鴨居には服がかけてある。あとはゴミの日に拾ってきたちゃぶ台ぐらいだ。ぶるっと身体を震わせて、手早く服を着る。
 二口コンロの片方で湯を沸かし、片方でインスタントラーメンを作る。冷蔵庫から貴重な卵を取りだし、鍋に投下したあと、本田が春休みに持ってきてくれたハムをありがたく厚めに切ってのせる。本田や御伽は、オレの家に遊びにくるときに手みやげを持ってきてくれることが多い。高いモノじゃなくて、うちにあったからさーと言って、食料品なんぞをもってきてくれるのだ。持ってきたついでに自分たちでも食べてるから、こちらとしてもそれほど恩に着ないですむ。そーゆーところは、あの二人は気が利いてる。
 アテムは一度もそういうことをしたことがない。だからといって、あいつが優しくないとか、そういうんじゃないんだぜ。あいつには、そういう気の回し方があるってことを思いつけないだけなんだ。おぼっちゃまだもんな。
 アテムの顔を思い出すとオレは憂鬱になった。
 だって申し訳ないじゃん。
 あいつがあんなに大切にしてる妹さんでさ、毎日ナニしてますだなんて。
 なんでオレ、あの子でばっかしてんのかな。
 自慢にもならないが、オレは女に縁がない。
 女と付き合うよりも生活費!という生活では、モテるわけがない。それに、女と何を話していいかなんてわかんないしな。男友達とダベってるほうが気楽だ。
 入学してから一週間たったけど、うちのクラスでしゃべったことある女といえば、野坂ぐらいだ。野坂 ミホは中学のときから、なぜかいつも同じクラスになる。長い髪をリボンで結っていて、ぱっと見おとなしめな美人なんだが、金持ちでハンサムな男の人が好き!と公言してはばからないようなヤツなので、逆に付き合いやすい。物怖じしないタイプだしな。アテムもターゲットにされていないので野坂とは普通に話す。野坂は背の高い男性が好みなのだ。
 当たり前のような気がするが、アテムはモテる。背はそれほど高くないけど、運動神経もいいし、頭もいいし、目立つし、口も立つし、いいとこのお坊ちゃんだし、かっこいいもんな。こんだけ理由があってモテなかったら正直おかしい。本人がそういうのを嫌うからキャーキャー言われたりしないが、ずっとお慕い申しておりましたなんて熱い想いをしたためたラブレターをもらったりしてる。しかも学校でも評判の美人からだ。中学のときなんてモデルをやってたアイリーンさんつーひとから告白されたこともあった。それでもアテムは「悪いが興味がない」の一言で、それを断るのだ。
 せっかくモテるんだから付き合えばいいのにと思ってたけど、妹がうちの学校に通うようになってから、理由がわかった。あいつは本当に、心底、骨の髄までシスコンだ。
 そりゃ、お前の妹、かわいいけどさ。
 
 なんでオレは、あの子のことばっかり、毎日考えてるんだろ。
 オレはラーメンを鍋から直接ずるずるとすすりながら、ため息をついた。



 バイトが終わると、うちにいっぺん帰り、もらった朝刊を斜め読みしながらトーストをむさぼる。行く前に食っても腹が減んだよな。新聞は地方欄をマメにチェックする。譲ります、譲ってくださいのコーナーとか、青空市のお知らせとかあるしさ。節約主婦のようだが、実際自活してんだからしょうがないよな。
 地方欄に、黒薔薇女学園で痴漢が出たなんて記事が載っていた。普段だったら気にも留めないんだろうけど、遊戯がいた学校だから気になった。愉快犯らしくて、わざわざ女生徒に見つかるようにやったそうだ。犯人はまだ捕まっていない。あそこお嬢さん学校なのによくやるなぁ。
 お、そろそろ時間かな。
 制服に着替えて、童実野駅に直行する。さすがに登校ラッシュには時間が早いんだけど、駅前の広場をうろうろ歩いてると、予想通りの人物がやってきた。
「あ、城之内くん!」
「おう、おはよう。遊戯」
 さりげなさを装って挨拶する。遊戯はたたたっと子犬のように駆け寄ってきて、オレを見上げてうれしそうに笑った。オレも笑って「よう」と答える。顔みてると、自然にうれしくなる。
 名字が同じだし、慣れてるから「遊戯」って呼んでよって言われてから、ずっと遊戯って呼んでる。遊戯ちゃんと呼んだらなぜか怒られた。そう呼ばれるのは好きではないらしい。自分はオレのこと「城之内くん」って呼ぶくせにさ。まあアテムもそう呼んでるけど。
「城之内くんって、いつもこの時間だよね」
 合わせてんだよ。――とは、言えやしない。
 なんでオレ遠回りしてんだろと思う。まあでも学校に先に行っても寝てるだけだしな。楽しく登校したいのは、別におかしくないよな。
「お前も、けっこう早いよな」
「うん。ラッシュだと潰されちゃうかなって思ってさ」
 それにアテムは朝すっごく弱いんだぜーって隣を歩きながら話す。いつも車で登校してる理由はそれらしい。まあアテムが起きているなら、何が何でも一緒に登校してるのは間違いないだろうけどな。
「そういや英語の宿題やったか、遊戯?」
「一応。わかんないとこあるけど、杏子にきこうと思ってさー」
 杏子は英語ぺらぺらなんだぜーって誇らしげな顔をする。おなじ学校だったせいか真崎と遊戯は仲がいい。真崎はさっぱりして物怖じしないタイプだった。美人だし(顔なら野坂とタメを張る)、スタイルもいいのでけっこうクラスでも目立っている。
「アテムも英語しゃべれるだろ?」
 それ以外にもいろいろしゃべれたはずだ。フランス語(以前すげーレストランに連れていかれてメニューを読んでもらったことがある)だとか、アラビア語だとか。
 そういうと遊戯はむーっと顔をしかめた。
「アテムには聞きたくないわけ?」
 オレはちょくちょく宿題写させてもらってるけど。
 勉強は教えてもらわない。あいつ、教えるのは下手なんだ。頭の良いヤツの常で、できない人間がひっかかってるとこがわかんないんだよな。試験前は御伽に頼っている。筋道立てて順序よく説明するのがうまいのだ。下手な先生の授業よりずっとわかりやすい。
「んー、あんまり頼りっぱなしになりたくないんだよね」
 そう言ってはにかんだ顔をみせる。
 アテムの過保護っぷりはすごいからなぁ。たしかにちっちゃいけど、子供じゃないんだからもうちょっと退いてやればいいのにと思わなくもない。妹に会えないオレとしちゃ、アテムがうらやましいけどな。
 教室に行ったら、宿題一緒にやろうよと誘われた。
 返事はもちろんOKに決まっている。