城之内くんのターン。
ちょっと時間は元に戻ります。
朝刊の配達をすませてアパートに戻る。いまだに日が差し込まない北向き立地条件最悪の部屋は寒くてたまんないので、さっさと布団の中に入る。寒いし、眠い。日頃の睡眠不足を解消するためにも、せめて午前中は寝ていよう。
そう思うのに。
目をつぶると思い出すのは、遊戯の顔だ。
あの痴漢騒ぎ以来、オレはずっと睡眠不足なのだ。
目蓋を閉じると、ありありとあの白いレースの下着姿の遊戯が浮かんでくる。あのときの雪みたいに真っ白でひらひらした下着。綿じゃないのかな、たぶん。透けてないのにふわっとしてた。それが花壇の泥でちょっと汚れてて、ものすごく色っぽく見えた。オレは初霜や初雪をつい踏んじゃうタイプなんだけど、わかるだろ、そういうの?
綺麗で、誰の手も入っていないものって、自分の手でどうにかしたくなる。
その下にある、ピンク色の乳首。ほんとぺったんこで、胸なんてないのに、なんであそこだけあんなツンと尖ってるんだろう。
噛んでみてぇ。
咥えてみてぇ。
乳首って、そういう用途のために出来てるって信じられる。
あの白い下着をはぎ取って、地面に押したおして、舐めて、いじって、声を聞いてみたい。どんな声でオレの名前を呼ぶんだろう。
オレは布団の中でごろごろと転がった。もう下半身の一部が反り返っているのがわかる。擦ろうかな。オナニーしようかな。
いやいや落ち着け。出かける前だって抜いただろうが。ひとは性欲のみに非ずだ。
だいたいこんなに毎日毎日、裸や乳首や下着姿や膝小僧や頬を舐めてくれたときの感触やでっかい目や小さい指やほっそい足やなんやかんやでオナニー繰り返してるって知られたら、軽蔑されるに決まってる。
いや、知られるわけはないけどさ。
どうしよう。
オレは深く溜息をついた。
毎日、遊戯のことを考えると混乱しまくりだ。
惚れてるよな。
惚れてるんだよなぁ。
オレ、遊戯のこと好きなんだよなぁ。
ああ、女に免疫のないこの身が恨めしいッ!
イヤ、オレだってそこそこはモテるのよ? バイト先のおばちゃんから、再婚しないって誘われたりするぐらい。もうやだなぁ! 他のひとに恨まれたらって答えたりするけど。
いやオレさぁ、新聞配達以外のバイト先もさぁ、女の子と仲よくなれるようなファーストフードとか、おしゃれなカフェとか、そういうとことか無縁なんだよな。短時間高収入つーとどうしても肉体勝負でさ。工事現場とか、そういうとこになる。
だから年期の入ったおっちゃんとか、外国から来たひととか(工事現場って、国際色豊かよ?)そういう人とは仲よくなるんだけど、かわいい女の子なんてオレの人生に存在しなかったワケよ。
エロ本とか、エロビデオとか見たこと有るし、たまにはソープでも奢ってやろうかとか言われるけど、未成年だから行くわけいかないし、そんなので金使う気なかったし、最初に風俗行って、すっげーおばちゃんつーかおばあちゃんに当たってしばらくインポになった話とか聞いたことあるし、初めては好きなひとがいいと思ってたし。
そうだよ。好きなんだよ。
あのちっちゃな口にキスしてぇ。
小さな舌で舐めてもらいたい。
頬だけじゃなくて、唇とか。
あとは、そのいろんなとことか。
いや今すぐじゃなくていいから。
ああ、あの小さな唇が、オレのこの頬に触れたんだよなぁ。舌で舐めてくれたんだよなぁ。自分で頬を撫でると、もう跡なんてほとんど残ってないけど、かすかにかさぶたの跡が指の腹にひっかかった。
抱きすくめてキスしてぇ。頬もだけど、唇にもキスしたい。ピンクの貝殻みたいな耳。やわらかそうな耳たぶ。ほっそい首筋。うすい胸もと。それから乳首。
「だめだよ、城之内くん……」
かたくしこった乳首を噛んだら、どういう声、出すんだろう。ぺったんこの胸をなで回したい。舐め回したい。そんでもって腹も舐めたい。ちっちゃいヘソに舌突っ込んでみたい。それから足の間も。
女のあそこなんてみたことない。
どんな形してんのかな。
やっぱ、生えてないのかな。割れ目とかあんだよなぁ。穴ってどうなってんのかな。
さわって、舐めて、入れてみたい。
オレの入れていい?って聞いてみたい。
涙を目にいっぱいためながら、肯いてくれたりして。「城之内くんなら、いいよ……」とか言ってくれたりすんのかな。オレは「痛くないようにするから……」って言って……。
ダダダダッ!
ものすごい勢いでうちのアパートの鉄板の階段をかけあがってくる音がした。誰だ、朝っぱらからと思う間もなく、ぺらい玄関のドアがガンガン叩かれた。ナニから手を離して起きあがると同時に、ガチャガチャと鍵を開ける音がして、ドアがバンッと開いた。
「大変だ、城之内くん!」
「あ、アテムッ!?」
逆光を背負って現れたのは、アテムだった。いつもの黒尽くめの姿だ。
オレはあわててズボンを引き上げた。布団をもそもそと身体の回りに寄せる。寝間着がわりのジャージ姿だから、勃起してんの丸わかりだし。
こんなアパートに現れるのでも劇的なやつだ。そういやアテムにはウチの鍵を渡してたっけ。しかし、なんでここに? まさか、オレが遊戯で抜いてたのがばれたのか?
オレは身震いした。
アテムがあの痴漢を、本気で殺そうとしていたのを覚えていたからだ。
オレは、あまりいいお育ちではないので、喧嘩なんてものは日常沙汰だったし、オヤジの借金で取り立て屋が来て脅されたこともよくある。しかし本当の殺意というのには、滅多にお目に掛かったことがない。死んでしまえ!なんて良くいうけど、人はそう簡単に人を殺したいと思うことはないのだ。とくに利害関係でくるヤクザ屋さんとかはそうだ。しょぼい端金の取り立てなんかで、クサイメシなんて喰いたくないもんな。そういうのは恐怖感を煽るように脅す。
でもあの時のアテムは、本当に怖かった。マジで殺そうとしていた。肉体での暴力ってのはオレはよく知っている。言葉での暴力も知っている。でも、あれは呪いだ。本当に殺そうとする意志の固まりだった。
アテムはさんざん毒づいてた痴漢に近寄り、ひとことふたこと言葉を投げつけた。オレにはよく聞こえなかったのだが、その時しんと世界が暗くなるように思えた。殺意のかたまりがそこにあった。気が付いたら、痴漢は座りながらションベンをチビって、わけのわからないことを呟いていた。
オレはあわてて現状の説明をしようとした。
「あ、あの、あのな、アテム。実はあの、その、これには深い事情があって……」
「話はあとだ、城之内くん! 外で車が待ってる」
アテムはジャージ姿のオレを引っ張って外に出た。アパートの前には、このあたりに不釣り合いな立派な黒のリムジンが止まっている。派手なのは相棒がイヤがるからな!といってロールスロイスファントムのシルバーをやめて国産車を選んだのは知ってるが、制帽をかぶり白い手袋をつけた運転手が、アテムの方を見て一礼していてはどうしようもない。派手すぎなんだよ。
「お、お、オレ、ジャージ!」
「今はそれどころじゃないんだ!」
オレはなんとか布団に入る前に脱ぎ捨てておいたジーンズとシャツをひっつかみ、アテムに引きずられながら車に乗り込んだ。
*
「遊戯にブラジャーぁ!?」
なんでそんな鼻血がでそうなことを言うんだよ、アテム。
「そうだ」アテムは王様のように肯いた。「野坂が杏子と一緒になって、相棒のブラジャーを買いに行こうと誘ったんだ」
「そ、そりゃ、高校生なんだし、下着ぐらい買ってもいいんじゃないの?」
あのままじゃ、乳首を見られたりする可能性があるわけだし。ヘンなやつがのぞいたりしたら困るしさ。
それはわかってるんだと、アテムは言った。相棒は無防備すぎたから、もっと女性としての意識を持って欲しいと自分でも思っている。下着を買うのも賛成している。
しかし――。
「ショッピングセンターだぞ?」
アテムは童実野町の郊外に最近できたショッピングセンターの名前をあげた。でかくて、品物豊富で、子供向けのでかいオモチャ屋もあって、映画館やレストランもついてる。駅前のデパートみたいに高級志向じゃないけど、子供連れのファミリーや金のない学生なんかにはこっちのほうが楽しめるって、人気を集めているトコだ。
「ショッピングセンターのどこが悪いんだよ?」
「見知らぬ人間がナンパしてきたりしないだろうか?」
アテムの顔は真剣だった。
オレはどう答えればいいのかわからなかった。とりあえず、ジャージを着替えることにした。気が付いたら窓のカーテンが自動で閉まってた。運転手さんは気が利くなぁ。
「オマケに、あの三人は駅前で待ち合わせをしているんだ」
童実野駅だぞ!? しかも買い物のあとは映画でもみようね!なんて話をしているんだぞ! 信じられるか!? と、まるでコーディリアの話を勝手に盗み聞きしたリア王みたいな表情で言う。うん、先日英語の授業でやったんだ。英語教師はシェイクスピアかぶれなのだ。古今東西オヤジというのは勝手な生き物だよな。
それはともかく。
「野坂がいるんだろ? あいつなら大丈夫だと思うけどな」
ひとりで出かけたというのならともかく、しっかりしてそうな真崎も一緒で、おまけにあの野坂までついてるなら、妙なナンパなんて絶対に寄せ付けないと思うんだが。遊戯だって、そんな見知らぬ人間にひょいひょい付いていくような子供じゃないんだし……。
そう冷静にオレは諭したのだが、アテムはそれでも心配で仕方がないというのだ。
「じゃあ最初から一緒に出かければよかったじゃん」
「野坂から先に釘をさされてる。下着を買いに行くのに、男のオレと一緒に行くのはイヤだと」
至極、真っ当なお答えだ。
「相棒からも、絶対についてこないでねと言われてる。ついてきたら絶交だと」
「あ〜〜〜」
あの痴漢事件のあと、アテムがえらく過敏になっちまって、自分以外の人間は近付けないようにしてたのだ。そしたら遊戯が怒って、アテムと口をきかない宣言をしたんだよな。
翌日なんて屋上で、相棒、相棒と啜り泣いてるんだぜ、あのアテムが。コンクリートの床につっぷして、相棒――ッ!と叫んでいるんだぜ。学園の一部からはアテム様とまで言われ、魔王様と崇められているあのアテムが。
アテムってさ、ほんっとシスコンだよな。シスコングランプリがあったらぶっちぎりで優勝できると思うぜ。
「だが城之内くんが一緒なら、きっと相棒もあとをつけてきたと思わないだろう。オレたちも仲よく買い物に来たと思わせれば、こちらの計略勝ちだ」
それは計略っていわないと思うんだが、アテム。
にこにこと嬉しそうなアテムを見ると、突っ込む気も失せた。
「映画おごってくれるなら、構わないぜ」
リムジンは童実野駅前のロータリーに静かに滑り込んでいった。