それからオレは遊戯のやつに声をかけるようになった。といっても、遊戯のやつとの共通項なんてのはないから、話らしい話なんてしなかった。できなかったというのが正解だろう。中学の頃からの腐れ縁の本田のせいもあって、こっちから一方的にちょっかいをかけて反応を見る感じになったのは否めない。
つかさぁ、あいつ見てるとムカつくんだよ。休み時間なんてひとりでゲームやっててさ。暗いっつーの。せっかくオレ様が声かけてるのに、何に誘っても、ボクはいいよって、それで終わらせる。それってひどくない? 無視すんなよな。
男の子なんだからさ、仲よくお話をしてテキトーに笑ってるだけじゃつまんないだろ。じゃれるつーか、ケンカぐらいしてもいいだろ。いやさ、クラスの女子よりも細い腕してるような遊戯相手にマジでやり合おうとは思いませんよ。それじゃあイジメですよ。高校生だっつーのにそんなことしてどうすんだ。けどさ、じゃあ何すんだよ。オレはお前と黒ヒゲ危機一髪をやればいいのか。ジグゾーパズルでもやればいいのか。知恵の輪でもやればいいのか。ナンクロでもやればいいのか。オレはお前に何を言えばいいんだ。
ああ、むしゃくしゃする。
オレの態度は、日に日に悪化していた。
しかし遊戯のやつの態度は変わらなかった。大人しくて気が弱いヤツなんて、ちょっと声を荒げてやれば、すぐにびくびくと怯えたような態度になるのが常なのだが、意外に神経がずぶといのか、朝学校で、顔を合わせると「おはよう」と子供みたいな笑みを浮かべて挨拶してくる。
それがまた、どうしようもなくオレをいらいらとさせるのだ。
*
学校から家に帰ると、誰もいなかった。
台所のテーブルの上に、オヤジのメモが置いてあった。
「仕事を見つけた。しばらく帰らない」
きっと短期の現場の仕事にでもありついたんだろう。
オヤジは、どうしようもない男だった。飲んだくれのアル中で、ある程度金をかせぐと、それを酒とギャンブルと女で使い果たすまで、ごろごろと遊び暮らしている。気分次第で息子に金をくれることもあるが、それは本当にごくまれなことで、酒瓶を投げつけてプレゼントしてくれるほうがよっぽど多かった。オレの母親に捨てられても当然だと思う。
オレはくしゃりとその紙を丸めると、ゴミ箱にすてた。
それから飯を作って、ひとりで食って、さっさと寝ることにした。
明日も早いのだ。
けものが吠えるような声がきこえて、目が覚めた。
どこかの家でサカってんだろう。町営住宅のカベが薄いのはしょうがない。
それにしても、この時間に近所迷惑なことだ。
かわいい女と寝たいな。容姿もだけど、性格も、あえぎ声も、かわいい子がいい。ちょっと小さくて、オレのことを心底慕ってくれて、たまにかわいい焼きもちをやいたりしてくれて、オレがついつい惚気てしまうような。
彼女か。
あんな猛獣のうなり声みたいなの聞いて考えることじゃないよな。
いやだね。なんか今日のオレって、人恋しいみたいよ。
昔は、夜になると毎日のようにふらふらと出かけていた。その当時のツレのたまり場に足を運ぶこともあったし、女の家に転がり込むこともあった。正直なところ、夜遊ぶのは辛かった。遊びに行くと貫徹でバイトに行く羽目になるからだ。その分、学校で寝てたけど。それでも、その頃はそうやって騒がないとやってられなかった。
そういう苦労をしないですむ奴らのことを良いなとは思ったが、思ったところでどうしようもないので、それ以上は考えなかった。オレは考えるのが得意じゃない。世の中は考えてもどうしようもないことばかりなんだから、そんなことで悩むのはあほらしい。
高校に行くことを決めてからは、そういうのを止めた。身体きついし、集まって騒ぐのも飽きてきたし。そうだ、飽きっぽいのだ、オレは。なんにでも。
オレにしてはがんばって勉強して童実野高校に入った。そうすれば、何かが変わるだろうかと思っていた。生活環境はちょっとは変わった。ちょっとは真面目になったと思う。でもたいして変わらない。こうやって冷えた蒲団に潜り込んで寝るのも。隣からの声がうるさいのも。オレのそばに、誰もいないのも。代わり映えのしない生活だ。つまんねぇ生活だ。オレはつまんねぇ男だから、そういう人生送るんだろう。どうしようもない。
オレは、ふと遊戯のことを思い出した。
あいつはオレに毎日いじられてるくせに、毎朝楽しそうに登校してくる。なにかいいことないかなって顔して。でっかい目をして。ちっちゃな子供みたいに。馬鹿じゃねぇのか。
ろくに友達もいないくせに。ひとりでぶつぶつ言いながらゲームしてるだけの弱虫のくせに。それとも何も考えてないから、あんな顔ができるんだろうか。オレにはわからない。
いつもひとりぼっちのくせに。
馬鹿馬鹿しい。遊戯のことを考えてるなんて、時間の無駄だ。
オレは頭を振って起きあがった。そろそろ仕事に行く時間だ。
吐く息が白い。暖房も入れてない部屋は、本当に寒かった。
*
夜の青さがだんだんと皮をはぐように消えていく。そろそろ日が昇るのだろう。朝焼けに染まる前の時間は、夜とも朝ともいいづらいなんとも言えない空をしていた。道路には人っ子一人いない。いつもなら朝の早い年寄りが犬の散歩させてるのに。まるで世界でひとりっきりのようだ。別に、そういうの嫌いじゃないけど。
ああ、やべぇ。やさぐれてんな、オレ。
ペダルにがむしゃらに力を入れる。ああくそ風が強いっての。
ムシャクシャしながらいつものように配達終了ルートを通っていたら、ゲーム屋の前に遊戯がいた。
「おはよう城之内くん」
「遊戯」
オレは自転車を止めた。遊戯は水色の地に青のチェックのパジャマを着ている。サイズがでかいのか、新聞を渡したときに、指先まで隠れそうになっていた。ぶかぶかじゃねぇか。
「お前、またなんかやってたの?」
遊戯はきょとんとした後、照れたように笑った。
「今日はゲームしてたんだ」
「そっか」
「それで寝そびれちゃって、こんな時間になっちゃって」
「ふうん」
「それでね、また城之内くんが来るかなと思って。前もこのぐらいの時間だったでしょ」
「ああ」
「だから待っててみたんだ」
えへへと笑いながら、手足を擦り合わせている。寒いんだろう。パジャマ姿で出てくるからだ。上になんか羽織れ。
つか、なんでオレのことなんて待ってんだ。お前。
なんで笑ってんだ。
それでオレが喜ぶとでも思うのかよ。
アホじゃないのか。
日が差してきた。光があたったところから、こわばっていたからだが融けるみたいにあったかくなる。太陽光線は偉大だ。オレは思わず顔に笑みを浮かべていた。
「早く戻れよ。風邪引くぞ」
遊戯はうんと肯くと、またね学校でねと言って手を振った。
ガキかテメェ。
うれしくなんかねぇよ、ホント。
でもまあアレだ。
嫌いじゃねぇけどさ。こういうの。
朝っぱらから、誰かが自分を待っててくれるなんてのも。
殺伐としていた気持ちは、嘘みたいに消えていた。
いやほんとに、バッカみてぇじゃないの、俺ってば。
気がついたら桜はすっかり咲き誇っている。
学校に行ったら、今日も遊戯のやつをからかってやろうと決心しながら、オレは自転車を漕いだ。オレの頭も春らしい。
END.