公園で酔っぱらいが寝転がってるのを見ると、春だなぁと思うわけよ。
新聞配達のバイトをやってるせいで、オレの活動開始時間は深夜スタートだ。始発電車で出かけるお父さんの手に間に合うように新聞を投函するとなると、必然的に日の出前の3時〜4時ぐらいになる。
この時間の住宅地ともなると人気(ひとけ)はほとんどない。冬なんて特に。
だけど春になって桜のつぼみがふくらみはじめると、ぽつぽつ人影が増え始める。たいていは酔っぱらいだ。入学入社宴会シーズンだもんな。あとはカップル。
オレは自分の住んでる団地から、アルコールの酔いに任せてベンチで寝潰れているおっさんやら、花見のあとのゴミで満載のくずかごやら、ベンチにぎゅっと寄り添って話し込んでるのかペッティングしてんのかわかんねぇカップルやらがいる公園を足早に通りすぎる。
ああ、この春先のくそ寒い深夜の、ホームレスの方々がお休みになってる場所で、なんでそんな幸せそうな顔してんだか。世界中の幸福をひとりじめって顔だ。カップルって馬鹿だよなぁ。馬鹿は偉大だ。
そんでもって独り身は悲しい。
オレは去年の冬に女と別れてから、誰とも付き合っていなかった。オレは女と長続きしない。大抵なんとなく誘われるがままに付き合い始めるのはいいのだが、直に会う度にろくに話もしないでセックスばっかりしてるようになる。だって金ねーし、話もあわねーし。そうすると女は、わたしのことを愛してるの? 好きなの?と訊ねてくるようになる。ここまでくれば結果は見えたも同然だ。去年の女には「もう好きじゃねぇかも」と答えたら横っ面をはり倒されて、それですっぱり終わりになった。別れてから、わりと悪くない女だったかもしれないと思った。ぐちぐち言わない女は珍しい。
ああ、恋ってもんがしてみてぇ。
甘い恋が。そいつのことを考えるだけで、顔をみるだけで、にやけてしまうような。幸せになって人前で恥も外聞もなく、馬鹿面をさらせるような。臆面もなくお前が好きだと海に向かって叫んでしまえるような。
春なんだし。
*
新聞配達店に入ると挨拶をして、配達用のチャリに用意してもらった新聞を積み込む。まだ高校生で通いだからと、チラシの折り込みはしないですむように配慮されてるのがありがたい。夕刊もやってないしな。厚遇してもらってると思う。
まだ暗い日の出前の底冷えする空気をかきわけるようにして、新聞の束でずっしりと重い自転車を漕いでいると、すぐに汗が噴き出し始める。年度初めのこの時期は、ひとの入れ替えも多いから、配達先を間違えないように気をつかう。二時間ほどかけて、あたりが明るくなってくる頃には、自転車のカゴもほとんど空になる。
最後のルート、住宅地の一角を進んでいくと、緑色の屋根の小さな店が見えてくる。こんな人通りから外れたところに、なぜゲームショップなんてものがあるのだろうか。よく潰れないもんだよなと、毎回通りすぎるたびに思う。でも近所の小学校の通学路沿いだから、子供相手の商売としちゃわるくないのかもしれない。もっともオレはこの店が開いてるところを見たことがないんだが。
ゲーム屋の前のポストに新聞を突っ込もうとしたところで、ドアの開く音がした。
「ごくろうさま」
聞き覚えのある声だった。オレは振り返った。
「武藤」
「あれ、城之内くん」
そこにいるのはクラスメイトの武藤だった。武藤 遊戯。目立ったところといえば、ちょっと変わったその名前と、クラス――いや学年でも一番小さいんじゃないかという背丈、あとはそれに見合った童顔ぐらいで、他にはなんの取り柄もないヤツだ。スポーツもできないし、頭もよくない。いるだろ、クラスでも目立たない影の薄いヤツって。そういうタイプ。オレもコイツとは、これまでろくに話したことがない。よくとっさに名前が出てきたよな。オレ様のすばらしい記憶力をほめてやりたいぜ。
遊戯は、子供が着そうなガキっぽい水色に星柄のパジャマを着て、眠そうに目を擦っていた。オレは自転車に乗ったまま遊戯に新聞を渡した。
「朝、いつも早いのか?」
遊戯は首をぷるぷると横にふった。
「ちょっとパズル組んでたら寝付けなくて」
照れたように遊戯が笑う。
朝焼けでほんのりと染まったその表情をみて、オレの胸はなぜかジリッとした。違和感というか、なんというかその、一言でいえば、妙な感じだった。
オレは「じゃあな」と言い捨てて、自転車を出した。後ろの方から、「また学校でね、城之内くん」って声が聞こえた。
気の早い桜の花びらが、ひらりと空を飛んでいた。