結局のところ、城之内くんのことはよく知らないのだなと、武藤遊戯は思った。
遊戯は城之内を待っていた。放課後、彼は職員室に呼びだされたのだ。あたらしく始めたアルバイトの許可に関する話だった。夕方で、わりと短時間で、飯付きのおいしいバイト見つけたんだ。すぐ戻ってくるから、ちょっと待ってくれよな、遊戯。そういって、嬉しそうにスキップしていった。
もうじき1時間ぐらいたちそうなんですけど。
どうせ職員室で引き止められてお茶菓子にでもありついて、長話でもしているに違いない。城之内は、学業の面に関してはあまり良くなかったが、ある特定の先生たちには気に入られていた。いくら生活費と学費を捻出するためと言っても、アルバイト禁止の学校で、堂々と許可をだしてもらえるのもそのせいなのだろう。
城之内くんか。
城之内は、遊戯のクラスメイトで、親友で、たまにキスをしたりするような仲だった。男同士でキスをしているわりに、遊戯も城之内も、男に性的興味を持つような人種ではなかった。本田くんによると、城之内くんは中学のころ、かなりモテたらしいし。女の子と付き合ってたらしいし。高校でだって人気はあるんだし。
遊戯はそう考えた。
城之内は学校では陽気な馬鹿の役をうまくやってのけていて、クラスメイトたちから「まったく城之内のやつってさ」と言われながらも、愛すべき存在として慕われていた。昔からそうだったかというと、そうでもないらしい。
中学んときはもっとさ、なんての、基本的にはやっぱ馬鹿だしアホだし脳天気だったけど、学校のやつからは、ちょっと話しかけづらいっつーか、そんな感じだったな。ぽつぽつと本田が遊戯に語ってくれた内容をまとめるとそんな風になる。
本田は、そうやってたまに思い出したかのように、城之内の中学時代を語ったが、荒れていたという頃に、実際に何をしたのか、何があったのか、詳しいことは何も言わなかった。遊戯もそれを別に聞きだそうとは思っていなかった。履歴書や身上書の提出を求めているわけではないのだ。家庭環境やこれまでの経歴が友達に必要なものだとは、遊戯は考えていなかった。
それに、そんなことで城之内くんのすべてがわかるわけではないし。
城之内のことが何もかも知りたいわけではない。ただ屋上や、帰り道で、ふっと嘘のように誰もいなくなる瞬間、かすめるようなキスをしかけてきたり、そのあと何も言わないでじっと自分を見つめくる、その行動の意味を確定させたいだけなのだ。
ああ、なんでキスなんてしてしまったのだろう。
あの日、屋上で自分がキスなんてしなければ、ここまで悩むこともなかったのに。
遊戯だって悩んではいたのだ。
好きになってキスをしたら、恋人同士になるんだろう。デートをしたり、楽しいことばっかりあるんだろう。杏子を相手に、そんな妄想をしたことは何度もあった。
真崎 杏子は遊戯の幼なじみで、彼女の考え方は遊戯にはわかりやすかった。ニューヨークに行って、ダンサーになるという夢をもつ杏子は、その夢通りにまっすぐな女の子だった。好きは好き。嫌いは嫌い。好きかも知れないって言って、そのままにしておくことはないだろう。もし杏子とキスをしていたらどうなるんだろう。遊戯は考えてみた。きっと「ねえ、遊戯って私と付き合いたいの?」って聞かれる。そうだよと答えたら、「しょうがないわね、それはキスをする前に訊ねることよ」って言うか、「ごめんね、私、遊戯のこと好きだけれど、そういう風に好きじゃないの」ってきちんと答えるだろう。
でも、城之内くんは答えてくんない。
キスは、すんのに。
あんな目で見るのに。
――気にするなよ。
そう、もうひとりの遊戯が言った。彼の声は、遊戯にしか聞こえない。
気がついたのはずいぶん後のことだが、どうやら千年パズルを解いてから彼は遊戯のこころに住み着いたようだった。それとも自分の知らない側面だったのだろうか。
正直なところ、遊戯にはもうひとりの自分がどういった存在なのか、よくわからなかった。ただ彼のことは好きだった。ゲームに関する実力と傲岸不遜とも言えそうな態度は、彼にはよく似合っていると思えたし、自分のように弱虫で目立たない人間とちがって、きらめく栄光の中にいるのがふさわしい彼という存在に、惹かれずにはいられなかった。
彼は遊戯にとって大切な「何か」だった。磨き上げた千年パズルのように金色にきらきらと輝く、何か。
そんな素敵なものを遊戯が嫌いになれるわけがなかった。
だけど「もうひとりのボク」は自分と似ているようで、ホントに似ていないよね。
遊戯の考えも知らずに、もう一人の遊戯は話を続けた。
――親愛の情を表すのならまったく問題ないことだろうし、好きならそれでいいじゃないか。オレも城之内くんは好きだぜ。城之内くんだって、好きだからキスをするんだろう。何を悩んでいるんだ、相棒。
自分の中にいるもうひとりの自分はそう言って、不思議そうな顔をした。
そりゃそうなんだけどね。
でも、城之内くんは謎なんだ。
謎なのに好きだ。
ああ、そうだ。好きなのだ。
黒く肩で切りそろえた髪がきれいで、胸が大きくて、勝ち気で優しい杏子よりも、キスをしたくなるほど好きなのだ。すこしがさついた城之内の唇を思いだし、遊戯は顔を赤らめた。軽く唇を舐められたときの濡れた感触。ぎゅっと抱きしめられて入り込んでくる舌先の熱さ。
ああ、もう。何考えてるんだか、ボクは。
遊戯は頭をがしがしと掻くと、ため息をついて外を見た。放課後の教室のガラス窓の向こうでは、グラウンドのトラックで陸上部が走っている。その向こうから野球部のランニングのかけ声が聞こえる。今年は一回戦のカベを破れるといいけど。ここ数年、野球部は一回戦を突破したことがない。そういや「負けてばっかりだったら必要ねぇんじゃねぇの」なんて、城之内くんが言ってたっけなぁ。遊戯はそうは思わなかった。
負けるとか勝つとかの前に、始めるかどうかっていう大問題があるんだから。ボクが千年パズルを解くみたいにさ。きっかけを乗り越えるのって、けっこう大変なんだぜ。
そうさ、ボクはきっかけを作ったぜ、城之内くん。突発的で、発作的で、自分でも後から何やってんだって死ぬほど思ったけど、ボクは言ったぜ、城之内くん。
キスだけで答えになったつもりかよ。
それで終わらせるつもりかよ。
いつまでもボクが黙っていると思うなよ。
教室の外から、ばたばたと走ってくる音が近づいてくる。それを聞いて、遊戯は微笑んだ。すぐに、わりぃわりぃと謝りながら、城之内が顔を見せるだろう。その表情まで想像できる。君のそんな顔も好きなんだ。ああ、まったく馬鹿げてるぜ。
扉が開いたら、絶対に言ってやる。
ボクを好きだって言えよ、城之内くん。
END.