夏休みに入ってから、城之内はバイトをパンパンに入れまくった。学校のあるときに、これをやるとぶっ倒れる羽目になるので、長期の休みが取れるときにガシガシ稼ぐ。普段は、なるべく新聞配達だけにしている。アル中のオヤジのこさえた借金と生活費のためにだけ、キリキリと働いていると疲れきってしまうのだ。目的地のない空虚さは身体をむしばむ。勤労生活の長い城之内は、息抜きを入れるのをわすれなかった。それに無理をして身体を壊したらと考えると、あまり自分を追い込む気にはなれなかった。貧乏人が病気したら目も当てられない。マジで。
 夏の暑さにあてられながらも、早朝から夜まで、城之内は働いた。頭を空っぽにして、機械のように働き、すりきれた雑巾のように眠りにつく。学校もなく、友達にも会わないのなら、仕事はそれほど辛くはなかった。短期のバイト先の口臭のきつい上司のイヤミや、なんども繰り言のように文句を言う客や、夕立のどしゃぶりの雨の中を配達することや、そういうこともどうでもいいと流してしまえば、それでよかった。ただ、そうやっていると自分の中から何もかもなくなるような気がした。それでもいいと思う気持ちは城之内のどこかにあった。

 
「酒でも呑んでいかねぇ?」
「すんません、オレ未成年ですから」
 給料日ともなると飲み会に誘われる。
 頭を何度もさげて、バイト先の誘いを断った。夕食ついでに、食堂とも居酒屋ともつかない店に連れていかれることは多かったが、城之内はあまりそれは好きではなかった。安酒の匂いは父を否応無しに連想させるからだ。父に似た男でもいたら、衝動的に暴力でもふるってしまいそうだ。冗談じゃない。もう警察のやっかいになるのはごめんだ。
 だからといっておしゃれな女の子の多いバーに飲みに行く気にも、ちょっとトウのとったお姉さんのいる小さなスナックに行く気にもなれない。高校生がそういうとこ行ってたのしいかな。
 バイト先から、パチンコ屋の駐車場まですこし歩く。自前の自転車を止めてあるのだ。新聞配達の修理を担当しているバイク屋のつてで、リサイクル自転車を回してもらった。三千円で手に入れたそれは業務用の自転車で、城之内のお気に入りだった。
 空はゆうばえを夜の闇に隠し始めている。それでも日中の籠もった熱は止まず、城之内は額のぐっしょりとかいた汗をぬぐった。パチンコ屋のホールの入り口が開くたびに、騒音のような音楽が流れてくる。
 遊戯に、会いたいな。
 チェーンロックを外しながら、城之内は唐突にそう思った。
 家に帰ってからでは、電話をかける気力もなかった。
 行ってみようか。せっかく今日はいつもより早く仕事も終わったんだし。
 遊戯の顔が見たかった。仕事をして忘れているときは問題なかったのに、ふっと思い出すと、いてもたってもいられない気持ちになった。会って、遊戯がやわらかに笑う顔を見たかった。学校があれば、毎日ふんだんにそれを享受できるのに。なんて贅沢してたんだろう。
 二週間も経ってないのに、懐かしいってなによ。バカじゃねぇの。
 自転車に手をかけて、少し躊躇する。
 前もって連絡いれてないのに行ったらマズイかな。用事もないのにヘンじゃねぇかな。いっぺん家に帰ってデュエルディスクでも持っていこうか。
 顔が見たくって会いに来たなんて、ひかれるんじゃねぇの?
 あれこれ考え始めると止まらなかった。遊戯の母ちゃんに、いい顔されなかったらどうしようとか、じいちゃんはイヤミ言わないだろうけど。オレ、頭パツキンだしな。それよりなにより遊戯に「なんで来たの?」なんて言われたらどうしよう。もしかしたら、もうひとりの遊戯とデッキ組んでるとこかもしれない。オレはお邪魔かもしれない。いや、遊戯はそんなことしねぇよ。もう片っぽの遊戯だって、きっと歓迎してくれる。ダチなんだから。
 ダチなんだから、遊びに来たぜでいいはずなのに。
 キィと自転車を押しながら、駐車場を出る。
 さっきまでの気持ちはすっかり萎んでいた。
 学校始まれば、また会えるんだし。それより週末、デッキ持っていけばいい。前もって連絡しといて。デュエルしてくれよって言えば、きっと喜んでくれる。
 そんでいいよな。
 そんでいいか。
「城之内くん!」
 サドルにまたがったところで、背後から自分を呼ぶ声がした。
 聞き覚えのある声に、振り返る。
「遊戯!」
 白いシャツを羽織った遊戯がいた。黒い皮のリストを付けた手をぶんぶんと振っている。いつものように黒い皮のチョーカーをつけた首には、金色の千年パズルをぶらさげていた。
「奇遇だね」
「おお」
 ぱたぱたと走り寄ってくると、鎖がしゃらしゃらと音をたてた。遊戯は片手に、白いポリエチレンの袋を持っていた。胃袋を直撃するような、いい匂いがする。
「なにそれ?」
「じーちゃんに頼まれておつかい。やきとり」
「そっか」
「うん」
 我ながら現金だ。これだけで幸せになるなんて。
 バカじゃねぇの、オレ。
 笑ってしまう。
「城之内くん、もうバイト終わり?」
「おう、ちょうど終わったところ」
「じゃあさ、ボクの家に来ない? やきとりたくさん買っちゃったんだよ。もうひとりのボクが面白がってさ。ハツとかタンとかぼんじりとか」
「そういうのが面白いんだ」
「面白いらしいよ」
 遊戯は笑った。
「オレ、レバーはだめ」
「ももとねぎまもあるよ」
「なら行ってあげてもいいかもなー」
 冗談めかして言うと、来てよ来てよと、腕をひっぱられる。そうされるのが嬉しくてたまらなくて、にやけてしまいそうなのに、普通の顔をしてみせた。
「オッケ。荷物入れろよ。乗っけてってやる」
「やった!」
 遊戯はうれしそうに笑い、やきとりの入った袋を自転車のカゴに入れると、ひょいっと荷台に座った。
「クッションないから、痛いかも」
「へーきへーき」
 背中から腰に手を回される。夏で、暑くて、人肌なんて冗談じゃないと思うのに、ちっともイヤだと城之内は思わなかった。
「落ちないように、しっかり捕まってろよ」
「うん」
 ぎゅっときつくされた腕に、なぜか目頭が熱くなった。鼻がつんとする。
 泣くわけじゃないけど。
 やばいぐらいに、うれしい。
 後ろにいる遊戯から顔が見えないのをいいことに、城之内は顔をくしゃりとゆがめた。
「行っくぞー!」
「おー!」

 城之内がペダルを漕ぐと、風が流れて消えていった。