城表だけど表遊戯は出てきません。
城之内くんのみ。
ちと暗めです。



 死ぬ。死ぬ。死んでやる。
 あんたも殺してあたしも死ぬ。
 そう女が騒いでいる。
 またどうせオヤジが女を連れ込んだのだろう。あの男は顔だけはそれなりにいい。肉体労働で金を稼ぐせいか、体つきもあの歳にしちゃ引き締まっている。脳みそまでたぷんたぷんと浸かった酒の匂いにうっすらと目をつぶれば、一晩ぐらい過ごす相手には悪くないのだ。
 ほんとに一晩ぐらいにしとけばいいのに。
 台所の方だろう。ばんばんと何かがぶつかる音がする。モノでも投げつけているにちがいない。オヤジは悪かった。オレが悪かった。機嫌を直せよ、なあ――なんて意味のないからっぽな言葉を女になげつけてなだめようとしている。まだ初期段階だと見える。
 これがある一点をすぎると、途端にオヤジは暴力をふるい出すのだ。相手が女だろうが子供だろうが誰だろうが関係ない。頭に血がのぼって何も見えなくなるタイプの男がいるが、それがオヤジだ。そうなるまでは愛想もよく人付き合いもよく見えるからより一層タチが悪い。
 それにしても、このくそ狭い我が家で騒がないで欲しいのだが。壁の厚さなんて江戸時代の長屋並なんだぜ。ああ、また近所から文句を言われるだろうな。迷惑がられるだろうなぁとタメイキをついたが、もうとっくの昔にウチの家庭事情なんてものは呆れられているのだと思い直した。
 今では、うちの話題なんてトーチュウかトウスポ並のネタでしかない。ご飯のオカズだ。旦那が帰ってくるまでの間の主婦の暇つぶしの会話のネタになり。パート先での会話の娯楽になり。旦那はうんうん頷きながら聞き流す。そんなもんでしかない。
 死人でも出れば別だろうが。

 死ぬ。死ぬ。死んでやる。

 オレだって死んじまいてぇ。



 暗澹とした気持ちで家をでた。
 オヤジの声が後ろから聞こえたが無視をした。あまったるい香水の匂いがした。
 バンッと勢いよく鉄板のドアを閉めると、近所のおばちゃんたちが曖昧な笑みをうかべながらオレをみた。オレもへらりと笑ってみせる。すいませんね、いつもいつも。
 そういう笑みを浮かべると、自分がどぶの中に居るような気持ちになる。べったりと汚れきったコールタールの中にでも突っ込まれた気持ちになる。
 早々にその場所を離れた。眉間に皺がより、目付きが悪くなっているのがわかる。きっとすごく不機嫌そうなんだろうな。
 ふらふらと歩いて駅前の方に向かう。行き先なんてない。とりあえず人のいるとこに向かっただけだ。
 オレの回りを人が遠巻きに避けていく。関わり合いになりたくないんだろう。ちょっとでもぶつかれば因縁を付けそうにでも見えるんだろう。
 実際、そんな気分だ。
 こう言うときは自分の心は何かを徹底的に破壊的したいという衝動だけになってるのにもかかわらず、どこかで気持ちは冷めている。何かに冷めている。どうしようもなく冷えている。それは知っているからだ。何も得られないからだ。誰かをなぐろうが、喧嘩をしようが、何も得られないからだ。そんなことはよく知っている。
 それでもどうしようもない衝動が自分の身体の内側にひしめいている。ぎしぎしと鳴って、あふれ出そうになる。無性にわめきたくなる。叫びたくなる。
 交差点で立ち止まる。
 ああ、ちきしょう。今すぐに車が突っ込んできてくれないか。オレを殺してくれないか。そんなことを思ったりする。
 馬鹿げている。とても馬鹿げている。そんなことを思ったところで死ねやしないのに。
 オレもあの女と同じだ。家でわめき騒ぐ女とどこがちがうのだ。死ぬ。死ぬ。死んでやる。殺してやる。殺してくれ。あの程度の人間なのだ。ああ、でもどうせ死ぬのなら。
 ――遊戯。
 あいつのために死んでしまいたい。
 
 名前をつぶやいただけで、顔がほころんだ。
 死ぬとか殺すとか、そんなのが一気に消えていた。朝日にとける霜のように心の澱にべったりとついていた黒いものが、さあっとなくなっていく。
 なんてまあ。調子のいい。
 オレは笑った。
 笑うしかないだろ。
 ほんと、調子よすぎ。
 頼りすぎ。
 好きすぎ。
 お前の名前を思い出しただけで、幸せな気分になれるなんて。
 
 馬鹿みたいだ。
 
 ああ、馬鹿みたいにお前のことが好き。
 名前呼んだだけで幸せになるぐらい好き。
 世界で一番好き。
 泣きそうになるぐらい好き。
 どうにかなるぐらい好き。
 
 オレはくるりと方向転換をして、遊戯の家に向かうことにした。
 じいちゃんとママさんはいるかもしれないが、キスぐらいはねだってもいいだろう。ぎゅっと抱きしめてキスして、オレのこと好きって言って。
 そしたらオレなんて死んであげる。

 だから、お願いだからキスをして。
 
END.