巨大な落日を見た。
 砂漠に沈む太陽だった。赤い残光がまだぎりぎりと皮膚を焼いていた。暑さよりも痛さを感じた。からからに乾いた風には砂が混じっている。
 世界は、赤一色に染まっていた。
 何度か来たことのある、僕が知らない場所だった。
 僕はひとりの男の背後に立っている。男は白髪だったが、面立ちはまだ若かった。僕よりも少し年上だと思う。それでもまだ青年といっていい年頃だった。なかなかに男前だといえる顔立ちをしていたけれど、残念なことに右頬に大きな傷があった。たぶん刀傷。
 ろくに洗いもしていないごわごわとした白髪は短く、思い思いの方向に跳ねている。薄汚れた白い木綿の簡素な服の上に、血のように濁った赤い丈の長い上着を羽織っている。すりきれて毛羽立っているその服は、青年の表情とよく似合っていた。風に煽られて裾がはたはたとゆれていると、血肉を喰らう猛禽類の羽のようにも見えた。
 あかいとり。
 そんなもの、みたことないけど。
 彼の青い目は、落ちる太陽をぎっとにらみ付けていた。やさしさの欠片もないその視線は、太陽を射抜いて殺せそうなほどだった。僕は彼をじっとみつめながら、太陽を裸眼で見つめると目が悪くなりますよ――なんて、くだらないことを考えていた。
 太陽を見つめる彼の思いは複雑だった。
 ぎらぎらと光り輝くもの。金色に輝くもの。彼の故郷でおきた惨劇。父も母も友もすべてのひとたちが殺され、燃やされて、七つの宝物への供物となった。
 千年アイテム。
 そのうちのひとつ、千年リング。
 三千年の時を経て、僕の手元に届いたもの。なぜ僕のところに来たのだろう。バクラという名前に引かれたのだろうか。パズルのように同じひびきを持つ人間を求めて、眠りについていたのだろうか。それなら父でもよかったはずだ。父でもなく、誰でもなく、なぜ僕だったのだろう。ファラオと呼ばれている少年と対峙するためなら、僕ではなく、もっと彼に身近な、城之内くんや本田くん、真崎さんでもよかったはずだ。
 それでも彼は僕を選んだ。
 理由はわからない。
 彼は僕を利用する。
 僕の身体を使い、千年アイテムとよばれる七つの宝物をあつめ、ファラオを滅すること。それが彼の望み――らしい。彼の記憶がすべて僕に残るわけではないから。彼自身は、すべて隠しおおせているつもりでいるらしいけれど、夢の残滓のように彼の想いが僕の身体にうっすらと残っているのだ。
 だから、僕はこうやって夢を見るのだろう。
 そうだ。千年リングと呼ばれるものの力によって、僕はここに来て、そして彼を見ている。それだけは確かだった。
 僕と彼とは話すことはない。彼は三千年も前に過ぎ去った残像にしかすぎない。僕の目の前で、彼は動き、話し、悩み、笑い、殺し、盗む。目の前の彼は、映画や、海馬くんの会社でつくりだしたソリッドビジョンよりも生々しかった。
 彼からはいつも血の臭いがする。
 憎しみで塗りつぶせ。血で塗りつぶせ。闇に犯せ。
 彼が願うのは、そればかりだ。
 きっと太陽でさえ黒一色に塗りつぶしてしまいたいのに違いない。
 僕と彼とは、あまりにも違いすぎると思う。僕はこれほどまでに何かを憎んだことはないし、きっと憎まないだろう。三千年もつづく怒りと憎しみ。それほどまでに大切なものは僕にはないと思う。いや、最初から存在していないのかもしれない。それなのに、どうして僕はここに居るのだろうか。
 彼は目を閉じた。意外と睫毛がびっしりと濃くて長いんだなと思った。くるんとカールしていて、ラクダのマツゲみたいだった。こんな砂の多い土地で暮らしていれば当然なのかもしれない。そういえば、僕はまだ「ここ」でラクダを見たことがない。砂漠といえばラクダだと思ってたんだけど。ロバや牛やちいさな馬ぐらい。もしかしたら、この時代はラクダはいないんだろうか。何も知らない。僕は何も知らない。
 君がいたことを、知っているだけ。
 それだけなんだ。
 そう思うと、突然、僕の心の中にじわじわと何かがあふれてきた。乾ききった砂に水をぽたぽたとこぼすように、それは僕の心を濡らした。彼を見ていると、どこかせつないのだ。悲しいわけではない。これはもう終わってしまった物語だ。僕とはすれちがいもしない人間の話だ。悔しいわけでもない。彼と王の話は僕とは関係のない物語だ。
 それなのに僕は君を見ている。
 君の記憶をみている。
 君のことを思っている。
 君に感情を揺り動かされる。
 感傷的な気分なんて、彼が一番嫌いそうだな。そう思うと笑みがこぼれた。どうせ夢だ。目覚めたら忘れてしまうだろう。何もかも。
 それでも彼は太陽を見つめるのだろう。

END.