クリスマスぐらいは、オレだって知っている。ただ縁がなかった。宗教に興味もないし、赤い服を着た白いひげのじいさんにも興味がない。プレゼントをあげる相手もいなかったし、プレゼントを欲しいとも思わなかった。この行事が日本で定着した頃には、オレはもう大人になっていたからだ。いや大人というのは不正確かもしれない。言い替えよう。その頃には、とっくにオレは人間じゃなくなっていたからだ。
 デュエルモンスターっていうらしい。今時の言葉を使うと。



 12月になると町はいっせいに緑と赤のクリスマスカラーに変わる。にぎやかなクリスマスソングやディスプレイは嫌いじゃない。もともとお祭り好きなのだ。一人っきりでいるのは好きじゃない。人の多い場所で暮らしていたのもそのせいだし、仕事をしてたのもそのせいじゃないかと思う。
 そんなにぎやかな町並みを抜けて、オレは駅に向かった。童実野町に行くのだ。ここから電車で30分もしないところにある町だ。そこには遊戯の実家のゲーム屋があり、オレはたまにそこに手伝いに行っていた。今回もクリスマスシーズンで忙しいからと呼ばれている。それを頼んだ遊戯の方は、おとといから出かけたまんまだ。パーティかなんだかがあるらしい。浮き世の義理ってやつなんだそうだが、詳しいことは知らなかった。
 遊戯は、オレのマスターだ。マスターとか、主(あるじ)とか、旦那様って言われるのはイヤだよ!と言われたので単に「遊戯」と呼んでいる。遊戯もそれでいいって言うし。
 そんなことは「本当なら許されないこと」なんだそうだが。
 ぞろりとした服を着た、大人っぽい物静かな感じのえらい美人のねーちゃんにそう凄まれたことがある。雪のようにひっそりとして静かで、それなのに怖い女だった。そのねーちゃんは「けれどマスターが許していらっしゃるから」とすごく冷たい目で一瞥すると淡雪のようにさあっと消えて去っていった。
 遊戯にそう言うと、「気にしなくていいよー」と笑われた。もっとフレンドリーに友だち気分で付き合ってる精霊だっているし、呼び方なんて関係ないよって言う。それなら、それでいいんだけどさ。
 遊戯はオレみたいなやつらにモテるらしい。モテるどころじゃないらしい。稀代のカード使いとか決闘王って呼ばれてる男に人気があるのは当然のことだけど、そんな憧れや名声だけが理由じゃない。こちらの世界での富や名声は、あちらの世界では意味がない。
 彼らが望むのはただひとつ、自分の力をよりよく使ってもらいたい――それだけだ。
 カードの精霊の力は、それを扱う人間によって生かされている。能力のあるデュエリストが使えば、弱いカードだって敵を倒すことができる。
 それは、とてつもない快感なんだそうだ。
 自分を認めて、使ってもらう。そう遊戯にされたいのだ。
 オレも先日その力を知った。オレは弱い。ふつうの人間相手なら腕っ節で負ける気はしないし、面倒だったら喰っちまえばいい。けれど、あちらの世界に住んでるやつらは別だった。彼らにとっては、オレはたかだか百年程度しか生きていない竜の雛にしかすぎない。雑魚のオレが、あんな相手を倒せたのも遊戯のおかげだった。
 だからあの女が、オレを妬むのはわかるような気がする。向こうからすれば妬むにも値しないと言われそうだが。
 遊戯のそばに居られるのは幸運なことなんだと思う。だが、ありがたいという気持ちはオレにはなかった。遊戯に仕えられてうれしいとも思えなかった。
 遊戯が嫌いなわけじゃない。好きだと思う。
 離れるのがいやだ。
 ぴったりとくっついて、指も唇も肌も重ねて、ふたりっきりで居たいと思う。
 それなのに遊戯といると、無性に心が掻きむしられるような気持ちになるのだ。
 どうしてなんだろうか。
 あの女や、一緒に出てきた無口な男や、他のやつらのようにはなれなかった。彼らは遊戯に名前を呼ばれるだけで、幸せそうに微笑む。
 オレはそうじゃない。ふいに目頭が熱くなったり、胸が苦しくなったりする。息さえも出来ないと思うときがある。それなのに遊戯からは離れたくないのだ。
 遊戯の存在は、甘露か慈雨のようにオレに染み渡るのに、いつまでたっても満たされるということがない。
 最近は少し不安になる。放り出されたら、どうなるんだろうか。前と同じ生活に戻るのだろうか。それともあちらの世界に行くのだろうか。
 想像もできなかったし、したくなかった。
 考えただけで、胸が破れそうだと思った。



 童実野町は、白と青に染まっていた。
 この町にはKCという会社がある。海外でも有名なゲーム会社だそうで、童実野町はその企業の城下町らしい。そこのイメージカラーが白と青なのだそうだ。
 だからそのKCのビルと、関連企業のビルはみんな青と白をつかってクリスマスを彩る。駅前のデパートのショウウィンドウにさえ白いクリスマスツリーに青いモールが飾られている。すこし寒々しくて、オレはあんまり好きじゃない。
 駅からはバスで行く。やってきたバスにも白と青のKCの広告がべたりと貼られていて、オレはちょっとうんざりした。綺麗なんだけどさ。
 遊戯の実家は、ちょっと洒落た感じの二階建ての家で、一階が店舗になっている。ガラス窓に緑と赤と金の飾り付けがあるのをみて、ほっとした。ドアを開けて、中に入る。
「おお、城之内くん」
「おはようございます」
 オレは遊戯の最近できた友人ということになっていた。遊戯の祖父は、まだかくしゃくとしているものの、もうかなりいい歳で、ひとりでこの店を切り盛りするのは大変そうだった。普段なら閑古鳥が鳴いているので、それほど問題はないんだろうが。
 看板を出し、掃除をし、一通り準備を終えると、開店時間だった。
 有線でクリスマスソングを流して、カウンターに立つ。
 街中にある店だから、それほど客が来るわけではない。それでも、クリスマスイヴともなると、途切れることもなく次々に客が入ってきた。
 デュエルキングの店だということは有名らしく、たいていの客はデュエル用のカードを買っていく。遠くから、わざわざやってくるものもいる。そういう相手はじーちゃんが遊戯に無理矢理かかせたサイン入りの本や、カードなんかを大切そうに買っていく。
 そんなこととはまったく知らない普通のサラリーマンが、クラッカーありませんかと聞いてくることもある。宴会にでも使うんだろうか。ついでに他のパーティグッズも売りつけた。要領を得ない子連れの客に対応したりしていると、あっと言う間に外は暗くなってきた。看板の灯りをつけに外にでると、ちらちらと白いものが降ってくる。
 雪だ。
「こりゃ、ホワイトクリスマスというやつじゃの」
 外にでてきたじーさんが、楽しそうに言った。
「ロマンチックじゃの」
「そうですか」
「城之内くんは、今晩いっしょに過ごす相手とかおらんのか? ワシの若い頃みたいに、さぞかしモテるじゃろ」
 ほれほれ、なんて、ひじで突いてこられても。
「いませんよ」
「ホントに?」
「本当に」
「プレゼントとか用意してないの?」
「してませんよ」
 寒いから中に入りましょうとうながす。じーさんは、しぶしぶ顔で店内に戻った。
 実際、本当にいなかったのだ。遊戯と出会う前に、人と暮らしたことはある。女のところでやっかいになったこともある。ただ情がうつった相手は喰いづらかったし、かといって一向に老けないオレが一所に留まるわけにもいかなかった。だからフラフラしてたし、クリスマスも縁がなかった。一人用のクリスマスケーキなんて売ってないしな。
 遊戯は帰ってこないんだろうな。クリスマスのパーティだとか言ってたから、明後日ぐらいだろうか。日本でやってんだったら、付いていくこともできたけど、海外じゃ無理だ。オレには戸籍がないからパスポートもとれないしな。
 会いてぇな。
 帰ってくるのがわかってるのに、そんなことを思う。本当に遊戯に会ってからオレはヘンだ。わけがわからない。
 オレはふうっと白い息を吐き出して、店に戻った。
 


 閉店後、夕飯をご馳走になった。
 オレは別に飯は食わなくてもいまのところは平気なのだが、じーさんひとりで食事をとるのも寂しいだろうし。
 前は遊戯の母親が同居してたそうだが、遊戯が独立したのを期に、旦那のところに行ってしまったそうだ。じーさんも呼ばれたそうなんだけど、住み慣れたところを離れるのはイヤだし、息子夫婦に当てられるのもごめんだということだ。こちらには友だちも居るし、毎日店でお客さんと話をするから、寂しがってるヒマもないという。
 まあ、よく近所の子供にデュエル教えてるし、友人だと称する見知らぬ人間がちょくちょくやってくるもんな。
 そのあとも帰りそびれて、酒を飲んだ。熱燗を飲みながら、つまみに遊戯のアルバムを見せてもらった。
 遊戯は小さい頃から、あんまりかわってなかった。ただ高校の頃あたりに、妙に遊戯らしくない表情をしている写真があって、それが気になった。
 威風堂々と腕を組み、眼光鋭くこちらをにらむ様は、オレの知っている遊戯とは似てもにつかなかった。心なしか、容姿もすこしちがうように見える。
 昔、すごく昔に、こういうにおいのする人間を見たことがある。おさむらいさんとか、貴族とか、支配することがあたりまえの人間がいたころの話だ。だが、この写真の中の遊戯は、それよりももっと偉い人間のように見えた。高慢ではなくて、高貴とでもいうのがふさわしいような。
「これ、遊戯の兄弟とかってんじゃないよな?」
 一緒に、獏良や御伽も写っていた。あと、快活そうな女の子や、妙なリーゼントにしてる男もいた。そいつらは遊戯の友だちなんだろう。他の写真にもたくさん写っている。
「それは、『もうひとりの遊戯』じゃよ」
「もうひとりの遊戯?」
 双子がいたなんて話は聞いたことがないが。そもそも一人っ子じゃなかったっけ。
「あのときは、いろいろ苦労させられたな。ワシもじゃが、遊戯もな。今はもう居ないんじゃがの。まあ、くわしいことはいずれ遊戯にでも聞くとよかろう」
 何かを懐かしむような表情で、じーさんはそう言った。



 泊まっていけと言われたが、電車がなくなる前に帰ることにした。遊戯から連絡はないし、どうせ今日は帰ってこないんだろうが、どうしてもあの部屋に戻りたかった。少しでも遊戯のにおいがあるところに居たいのだ。
 どうかしていると思う。
 この時間の電車は、飲み会の帰りらしい酔客や、カップルなんかが多くて、かなりうるさかった。電車のドアの硝子に額をおしつけながら、外を眺める。うっすらと白く雪で化粧された童実野町の町並みは、青いライトで照らされて幻想的だった。
 もっとオレが年くってて凄いやつなら、遊戯のとこに飛んでいけるんだろうなって、ぼんやり思ったりする。竜っていうのは長く生きるものらしくて、オレなんてまだまだヒヨコなんだそうだ。年食った竜は、山も、海も、時間も空間も超えるらしい。ほんとかな。
 あっちの世界に行っちまったほうがいいのかな。そうしたら遊戯が必要なときにオレを呼び出せる。でもオレは我慢できるんだろうか。あの怖い女や無口な男みたいに、呼びだされるだけで幸せだと思えるんだろうか。会えなくなっちまうより、いいけど。
 やくたいも無い考えばかりがぐるぐると回る。そんでもって結局残るのは、会いたいってそれだけだ。遊戯に会いたい。そばに居ても胸が苦しくなるのに、離れていてもどうしようもなくつらいのだ。どうすりゃいいんだろうって思う。
 遊戯の名前だけしか出てこなくなる。
 遊戯。
 遊戯。
 見捨てられた犬のように遊戯の名前ばっかり、心の中で唱えている。
 どうして、こんな風になっちまったんだろう。オレは。
 駅について、マンションへの道を歩く。こっちの方もやっぱり雪は降っていた。たいした量じゃないけれど、一面白くなるぐらいには積もっている。夜道が白く浮き上がって見えた。
 マンションの入り口につく直前に、携帯の電話がかすかに揺れた。オレはいつも携帯を鳴ってからとったことがない。鳴る前のゆれがわかるのだ。すぐに出る。オレに電話なんてかけてくるのは、じーさんと獏良と遊戯しかいない。
「遊戯?」
「うん」
 あいかわらず、電話に出るのはやいよねなんて言う。そんなこと、どうでもいいのに。
「いま、どこ? ホテル?」
「成田空港」
「成田!?」
「うん、すごく急いで帰ってきたんだぜー」
 たいへんだったんだよーと続けて笑う。
「驚いた?」
「おどろいた」
「会いたくてさ」
 オレだって。
「迎え行く」
「いいよ、もうタクシー乗ってるんだ」
 たしかに、電話の向こうで車の走行音がする。
「じゃあ待ってる」
「うん。あと1時間ぐらいで着くんじゃないかな。でも、急いだから、何も買ってこなかったんだよ。ごめんね」
「買い物って?」
「プレゼント。クリスマスの」
「別にいいよ、んなの」
「えー、だってあげたいよ」
「どうして?」
「城之内くんに喜んでほしいもん。プレゼントをあげる理由なんて、そんなもんでしょ」
「そうなんだ」
 そんなことは知らなかった。オレはずっと知らなかった。
「なにか素敵なものを買ってこようと思ってたんだけど、急いでたからさ。空港の店も寄らなかったんだ。飛行機の中でチョコとお酒は買ったけど。明日あたりに家に届くはずだから」
「うん」
 肯いてはいたが、そんなのはオレにはどうでもよかった。遊戯の声が聞こえればよかった。それだけで今のオレには十分だった。服に雪が積もり始めていたが、寒くなかった。胸の内が熱くて、じんじんと痺れるようで、他に何も感じなかった。
「ねえプレゼント、何がいい?」
 遊戯はそうたずねた。
「遊戯」
 オレは一番欲しいものの名前を言った。

END.