「ここだよ」
翌日。
オレたちは、獏良がクマのぬいぐるみを拾った場所に来ていた。
薄曇りの天気の悪い日だった。
獏良が案内した場所は、からたちの生け垣がぐるりと取り囲んでいる屋敷の前だった。 遊戯の頭のてっぺんぐらいの高さに刈り込まれた垣根の向こうには、和洋折衷な屋敷が見えた。煉瓦造りの三階建ての洋風な建物があり、その奥に渡り廊下でくっついている平屋の数寄屋造りの家があった。戦前の素封家の豪邸といった風情だ。
「立派なお屋敷だな」
「お金持ちっぽいけど、和風っていうか、海馬くん家とずいぶんちがうよね」
遊戯がつま先立ちで、のぞき込んだ。よく見えないのか、ぴょんぴょんと跳ねている。あぶないって。からたちは棘があるし。
「地主さんとか、昔っからここに住んでるひとじゃないかな? 海馬君のところって、そんなに古くなさそうだし」
獏良が、あのクマのぬいぐるみを抱えながら、そう言った。
「それさぁ、この家のもんなんじゃねぇのか。金持ちがもってそうだし」
オレは、遊戯の背中をひっつかみながら、じっとぬいぐるみを睨んだ。恥ずかしいことだが、テディベアっていうんだっけ? そのクマのぬいぐるみが怖いのだ。獏良がいなかったら、遊戯と手を繋いでる。怨霊か幽霊かわかんないけど、オカルトっぽいの苦手なんだよ。しょうがないだろ。見せ物小屋だって怖くて入ったことなかったってのに。
クマはつぶらな瞳をきらきらと陽光に輝かせていた。
さっさと押しつけて帰ってしまいたい。
「そうだね、聞いてみよっか」
獏良はうなずくと、立派な木の門をさっさとくぐり抜けてしまった。
「お、おい!」
「獏良くん! 待ってよ!」
オレたちの声なんて聞こえてないといった風情で、獏良は氷絞敷きの敷石の上を、すたすたと歩いた。屋敷の玄関で、堂々とインターホンを鳴らす。
ピンポーンとそこだけは、ごく普通のチャイムの音がした。
「誰もいないのかな?」
獏良は首をかしげた。
「お前、ちょっと、いきなりすぎるって!」
「でも違ったら違ったで、謝ればいいことだしさ」
微妙に話がかみ合っていない。獏良はもう一度インターホンを鳴らしたが、だれも出てくる様子がなかった。遊戯はオレの背中を、ちょんちょんとつついた。オレは身体をかがめて、耳をよせる。
「なに?」
「中の、音、聞こえない?」
遊戯は片手を丸めて、オレに囁いた。
オレは耳をすませてみた。
扉の向こうには誰もいそうになかった。物音ひとつしない。ヒーターか何かのモーター音や、道路を通りすぎる車の音、それに学校のざわめきが聞こえるぐらいで、あとは本当に静かだった。空を飛んでいく烏の声と、それと猫のないてる声。
それから。
「なんか、臭う」
血、みたいな。
「あ、猫!」
獏良が、洋館の三階の正面を指さした。
切り立ったレンガの壁に、古びた感じの出窓がついている。
白いカーテンがゆれていた。
そのカーテンに、白い猫がじゃれついている。全身まっしろだけれど、足の先だけ赤っぽい色をしていた。子猫なんだろうか、ずいぶん小さい。赤い首輪を巻いている。ちりちりいう鈴の音がオレには聞こえた。子猫は興奮してきたのか、カーテン相手にはげしい動きをみせている。
「窓あいてるし、やっぱり人がいるんじゃないかなぁ? 三階なら、あけっぱなしで出かけるひともいるんじゃ……」
獏良が猫を見上げながら言った。
「それより、まさかと思うけど、落っこちてこないよね?」
そう遊戯が言った瞬間。
落ちた。
「あぶない!」
遊戯と獏良が叫んだ。
同時に、オレは飛んだ。
獲物に飛びかかる獣のように、ぐっとかがみ込んで、跳ねる。
肉がたわんで唸った。
片手で窓枠をつかみ、反対の手で猫の首をひっつかまえる。
「じょ、城之内くん!」
猫を部屋の中にほうりこんでから、オレは下を見た。
二人がこっちを見つめている。
「…………………………」
いきなり三階まで垂直跳びで飛びついたら、ヘンだよなぁ。
どうやって言い訳しよう。
「わー! すごいすごいー!」
その悩みを吹き飛ばすかのように、獏良は楽しそうにぱちぱちと手を叩いた。
となりで遊戯がはーっとため息をついていた。
「降りておいでよ、城之内くん」
おう、と声をかけた手を離そうとしたところで気が付いた。
手に、赤い花が咲いていた。
さっきひっつかんだ時についたらしい。猫の足跡だ。
出窓にもぺたぺたと同じような跡が残っている。
オレは片手懸垂の要領で、ぐいっと身体をもちあげると、部屋の中をのぞき込んだ。
……まいったな。
道理で血の臭いなんてするわけだ。
「どうしたの、城之内くん?」
遊戯の声にオレは答えた。
「ひとが死んでる」
*
重々しい鍵を内側からあけて、遊戯たちを館内に入れた。ふたりは、おじゃましますと小さな声で言うと、興味深げにあたりを見回した。玄関はホールになっており、右手に庭の緑が眺められる客間が見えた。
正面にある木の階段を昇り、三階にあがった。手すりに凝った彫刻を施した階段は、踏みしめるたびにかすかに軋んだ音をたてた。
三階の一番広い部屋に入る。
「うわぁ……」
部屋には、たくさんの人形がずらりと並んでいた。しゃれた曲線でつくられた鋳鉄のガラスのケースの中には、舶来物らしい金髪碧眼の人形がお姫様のようなドレスを着てこちらを見つめている。
「これ、ビスクドールだよ……。すごいよ、ブリューだよ! レプリカじゃないよ!」
獏良が興奮してさわいでいる。お前には目の前のばーちゃんが見えないのか。死体だぞ。そっちのほうがすごいだろうが、普通。
他にも、たくさんの人形が飾られていた。ぬいぐるみもあれば、市松人形もあった。獏良の家のものとちがって、古びた、どこか懐かしい感じのするものばかりだった。ちょっとした美術館のようだ。
その人形に囲まれて、ひとりの老婆が死んでいた。
座り心地のよさそうな布張りの肘掛け椅子の前に、うつぶせで倒れている。後頭部が赤黒く染まっているところをみると、座っていたところを後ろから殴りつけられたんだろう。発作的な犯行っぽい。凶器も近くに放り投げてあった。重そうなブロンズの壺だった。壺を抱きかかえている半裸の女が、血で汚れていた。
暖房が切れていて、窓が開いていたのがよかったのだろう。冷たい外気のおかげで、それほど遺体に損傷はなかった。
品のよさそうな皺深い横向きの顔は、何が起こっているのかわからないような、きょとんとした表情をしていた。
遊戯は、獏良をちらりと見た。
興奮の治まった獏良は、手に持っていたぬいぐるみを、そっと老婆のとなりに座らせてやった。
「君は、これを教えたかったんだね」
その言葉がおわると同時に、クマのぬいぐるみは、ぱたりと横に倒れた。
まるで、老婆の身体に寄り添うように。
*
「童実野町人形屋敷殺人事件ねぇ」
へっぽこなドラマのサブタイトルみたいだ。
オレと遊戯は、コタツにあたりながら、テレビのニュースを見ていた。
先日の事件はちょっとした話題になっていた。
好奇心をそそる密室殺人だったからだ。
密室にしたのは、オレたちなんだが。
放っておけばいいだろというオレの主張に、遊戯は強固に反対した。どうせ、誰かが見つけるだろうし。冬だからそう簡単に死体も腐らないだろうし。
「だめだよ、そんなの!」
そんなのは失礼だというのだ。
しかし、どうやってこの部屋に入ったとか、オレの正体とか、説明するのも面倒だ。
そこで、獏良が折衷案をだした。
指紋を拭き取って、三人で窓から出ようと。
「それで元通りでしょ? あとで外から警察に通報すればいいよ。うん」
なぜか自信たっぷりに言われ、オレたちは結局そうした。後から考えると、それで良かったのかどうかかなり疑問なんだが、その時は他にいい案が思いつかなかったのだ。
猫用の水とエサをたっぷり用意し、指紋を消したあと、獏良と遊戯を順番に抱きかかえて下ろした。
それから公衆電話を探し、警察に通報したのだ。
話題になったおかげで、事件の内容はテレビをみてるだけで十分に知ることができた。
クマのぬいぐるみが置かれていたのは、ダイイングメッセージだろうとか。
あの家には、一人で住んでたとか。
週に二度ほど、ハウスキーパーが来てたとか。
(ちょうど翌日に来る予定だったそうだ)
旦那が漁色家で、庶子を何人も育てさせられたとか。
人形のコレクターで有名だったとか。
夫が死んだあと、人形を買い集めすぎたせいで、あの屋敷と土地が抵当に入ってたとか。
親戚はみんな、それを知らなかったらしい。今では、資産になりそうな人形をめぐって骨肉の争い中だそうだ。
金がないことがわかると、犯人は自首してきた。親戚の男だった。
孫だそうだ。
子どもの頃、遊んでもらったこともあって、よく来ていたそうだ。「まさか、あのひとが」といわれるような、人のいい、気の弱い男だったらしい。そこをつけ込まれたのか、女に騙されて、借金で首が回らなくなった。人間不信に陥ったせいで酒浸りになり、暴れて騒動を起こし、友人や家族からも見放された。
せめて借金さえ返せればと、一縷の望みをかけてやってきたところ、人形の自慢ばかりをされ、お前に貸す金はないと言われ、ついカッとなって殺した。
ありがちといえばありがちな話だ。
一緒にテレビをみていた遊戯は、なんだか哀しいよねと言った。
遊戯はやさしいよな。
「でも、そういうことって、良くあるもんだぜ」
オレはよく知っている。そういう人間をちょくちょく喰っていたからだ。
不幸なんていくらでも押し寄せてくる。それを乗り越えられてるうちはいいのだ。だが立ちあがる気力が無くなってしまった人間には、流されるぐらいしか、残っていない。運が悪い人間がいるというより、疲れてしまった人間がいるだけじゃないかとオレは思う。
疲れたのはどっちだろう。借金で殺した孫なのか、苦しんでる孫を見捨てようとした祖母なのか。
「そうかもしんないけどさ」
遊戯は、ふうっとため息をついた。気にしないでほしい。そんなこと考えてるなら、オレをかまってほしい。オレのことを考えてほしい。
「どっちにしろ関係ねーだろ」
「そういうのよくないし」
遊戯はむっと口を尖らせた。かわいい。
見てるだけで、どこかがとろけそうになる。
抱きしめて頬にかるくキスをした。そのまま床に押し倒す。こめかみに唇を落としながらオレは言った。
「なんで? オレ、遊戯以外の人間はどうなったっていいけど」
本当にそうだ。そう思ってる。他の人間なんてみんな居なくなって、世界でふたりっきりになってもかまわない。嫌いってわけじゃない。誰かを憎んでるわけでもない。ただ興味がないのだ。だれがどうなろうと、世界がどうなろうと、オレにとって遊戯以外は必要ないのだ。
遊戯は、でっかい目でじっとオレを見つめた。
「ボクは両親とじーちゃんに育ててもらったし、友だちにいろんなこと教えてもらったし、みんなのこと好きだし」
「うん」
「いま見てるテレビだって、住んでるここのマンションだって、みんながちゃんと働いてがんばってるから、こうやって使えてるわけでしょ」
「うん」
「世界中のすべての出来事にたいして、共感しろなんて思わないよ。ボクの知らないことなんていっぱいあるし。でも、こうやって縁があったんだから、そのこと考えたっていいじゃない」
「そうかな」
オレは首をかしげた。遊戯は、オレの頬に右手をあてた。
「なんでも、いつか消えてしまうんだよ」
静かな声だった。
「とても大切だと思っても、どんなに願っても、いつか終わってしまう。その先のことを、ボクは知らないし、たぶん知るすべはない」
オレはぶるっと震えた。遊戯がいなくなることを考えただけで、胸の底が暗く染まった。あのクマのぬいぐるみも同じだったんだろうか。あいつは、あの死んだ老女のことが好きだったのだろうか。だから、あんなことをしたのだろうか。
「いやなこと、言うなよ」
オレはそれだけ言った。
遊戯の顔を見ていられなくて、ちいさな薄い胸に顔を埋めた。
「でも、だからこそ、ボクはこれまでに好きになったひとたちと、出逢えてよかったと思うよ。一瞬だけでも、ずっと一緒にいられなくても」
オレにはよく意味がわからなかった。
代わりに、すがりつくように、ぎゅうっと小さな身体を抱きしめた。
遊戯はオレの頭をそっとかき抱いて、子供をあやすように何度も優しく撫でていた。
*
ここで終わってれば、いい話で終わるんじゃないかと思うんだが、この話にはちょっとばかり奇妙な後日談があった。
「なんでウチ来てるんだよ、獏良!」
「いいじゃない。ちゃんと、すき焼き用のお肉買ってきたし。ひとりでしてもつまんないだもん」
週末、またもや獏良がおしかけてきたのだ。
まあ、それはいい。遊戯の友人だし、遊戯も歓迎してるし、すき焼きをひとりでたべてもあまりうまくない。その理屈はオレにもわかる。
しかしだ。
「お前だけならともかく、なんだよ、そのクマは!」
獏良は、クマのぬいぐるみを抱っこして、コタツにあたっていた。おなじくコタツに入ってる遊戯が苦笑して、オレと獏良をみつめている。
「ちゃんと染みは落としたってば」
「そういう問題じゃないっつの」
ぶつぶつ言いながら、オレはエプロンに手を通した。すき焼きだから、それほど手間はかからない。台所で、とんとんと野菜を刻んでいると、ふたりの話し声が聞こえた。
「ところで、そのテディベアはどうして獏良くんが?」
「起きたら隣に転がってたんだよね」
なんなんだそれは。オレは耳を塞ぎたくなった。あいつは、いわゆる付喪神(つくもがみ)なのか、それとも遊戯が言ってたみたいにデュエルモンスターなのか、精霊なのか。
うおー、あれとオレが同じモンだなんて考えたくねぇー!
「この子、うちで引き取るよ。これも何か縁だしね」
「そっか、よかったね」
遊戯がにこやかに答えている。
いいんだろうか、それで。
神社にでも持っていって始末してもらうのがいいんじゃないのか。
「ところでさ、今日の新聞みた?」
「新聞?」
「地方版に載ってたんだけど、この間の犯人」
「あの人形屋敷の?」
「そう。刑務所の中で亡くなったんだってって。知ってる?」
「知らなかった」
オレも知らなかった。テレビでみたところによると、かなり若そうだったんだが。持病でも患ってたのか?
「なんで? 病気だったの?」
遊戯が同じようなことを獏良に聞いた。
「悪夢を、見たんだって」
「夢?」
「ぬいぐるみに襲われる夢を、毎晩みたんだって」
それで発狂死しちゃったんだってと、獏良が笑った。
「でもさぁ、人間のほうが怖いよねぇ」
END.
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