道の真ん中にぽつんと落ちていたから、かわいそうで拾ったんだ。
 そう獏良は言った。


 
「かわいそうって、呪いのクマだから捨てたんじゃねぇのか」
 オレたちは、近くのファミリーレストランで夕飯をとっていた。お子様用のメニューも一緒に出されたのはご愛敬である。獏良は昨日のお礼に腕をふるうよ〜と言ってくれたのだが、遊戯もオレも丁重に断った。あそこでメシを食べる気になれない。
「うーん」獏良はほっそりした顎に手をあてて考え込んだ。「儀式にでもつかったのかなぁ。あの血はニワトリとかじゃないの?」
「人の血だよ」
 あの染みの量からして、ちょっと指を切って血がついたなんて程度ではないだろう。下手すりゃ警察沙汰かもしれない。
「言い切るなぁ」
 獏良はオレを興味深げにながめた。
「触ってもいなかったのに、よくわかるよね」
「鼻が利くんだよ」
 事実なのだが、ちょっとまずかったかもしれない。実はオレは人間じゃありませんなんて話をしても信じてもらったことはない。
「なんにせよ穏やかじゃないよね」と遊戯がごまかした。「あ、ピザきたよ」
 オレは、運ばれてきたピザをロールカッターで切って、遊戯に差し出した。
「熱いぞ」
「うん、ありがと」
 遊戯は笑って、ピザにぱくついた。遊戯が食べている様を見るのは好きだ。なんだか、小さい動物が餌にありついてるみたいなのだ。リスとか、ハムスターとか。いくらでも与えたくなってしまう。
 獏良はパスタをくるくるとフォークに巻き付けていた。じゅうっと音をたててやってきた分厚いステーキも手際よく切って口に放り込む。見た目とちがって大食らいだった。オレはビールを飲んだ。反対側の席ではピンクの揃いの制服をきた若い女の子たちがもりあがっていた。ずいぶん派手な色だ。遊戯と獏良は、そちらをちらりと見て「童実野高校の制服だね」「懐かしいね」と言い合っている。
「遊戯たちも、ああいう色の制服着てたのか?」
「ちがうちがう」遊戯は笑いながら手をふった。「男は学ランだったもの」
「ふーん」
 遊戯に学ランか。正直ちょっと見てみたい。
「高校かぁ」獏良は感慨深げな口調になった。「あのときのことに比べれば、今回のこともたいしたことじゃないよね。なにせ三千年前のエジプト人だもんねぇ」
「そうかもね」
 遊戯が苦笑する。
 三千年前のエジプト人? どういう意味だ?
「そういや、うちの学校の近くだったよ。あのクマを拾ったの」
 明日案内するねと、獏良に微笑まれた。
 オレとしては、ものすごく行きたくねぇ。困惑して遊戯の顔をみたが、気が付かないのか、このピザけっこうおいしいねーなんて言って笑っている。
 ほんとにお祓いとか頼んだほうがいいんじゃないだろうか。自分が人間外だといっても、そういうものが得意なわけではないのだ。正直なところ、さっさと帰りたい。力仕事ならなんでもござれだが、お化け退治なんてしたことがない。
 それとも遊戯はあるんだろうか。
 その三千年前のエジプト人とか、さ。
「だから、今日はウチに泊まってね。あの夢、いっぺんぐらい体験しとくといいよ」
 オレはなんともいえない顔で、ビールを煽った。



 寝室にあった大量の人形どもは適当に袋につめて、となりの作業部屋に置いた。
 クマのぬいぐるみは厳重に鍵のかかる棚に突っ込んだ。
 風呂に交代で入ったあと、寝ることにした。
 寝室の扉をしっかりと閉めて、床に敷いた客用布団にもぐりこむ。となりの布団には、すでに遊戯がもぐりこんでいた。
「電気消すよー」
 ベッドの上から、獏良が声をかける。
「いいよー」
「おう」
 リモコンの音がした。部屋が暗くなった。しばらくして目が慣れる。
「修学旅行みたいでたのしいよね。なにか話でもしようか」
 うきうきした声で獏良が言った。この状態でそんなことを言える神経が凄い。
 獏良と遊戯は、なつかしそうに思い出話を語り合っていた。時折、話題にくわわれないオレにもわかるように説明をいれてくれる。杏子はボクの幼なじみだったんだよとか、御伽くんという友人がアメリカに居るとか。本田くんにコンパ誘われたけど、女の子と付き合うのって面倒ねだよとか。海馬くんはあいかわらずだとか。
 ふたりの話を聞きながら、ふっと夢想する。
 オレも遊戯たちと一緒に学校生活というものを送っていたらどうだろうか。
 楽しかっただろうか。
 獏良のように友人になっただろうか。
 わからない。
 ふっと考えに沈んでいると、獏良と遊戯のすやすやという寝息が聞こえてきた。ふたりとも眠ってしまったらしい。ふたりとも結構な度胸の持ち主だよな。
 オレは、寝っ転がったまま部屋の様子をうかがった。今のところ、とくに問題はなさそうだ。
 目を閉じて、眠ろうとしたところ、耳慣れない音が聞こえた。
 となりの家の音でもない。
 上の部屋の音でもない。

 きぃ……と、扉が開く音がかすかにした。
 それは隣室の、獏良が作業室と呼んでいる部屋から聞こえた。
 全身が総毛立った。
 
 向こうには、何も、居ないはずだ。

 ちいさな音が聞こえる。
 オモチャのピアノをでたらめに叩いてるような音だ。
 ちいさな太鼓をたたいてるような音だ。
 チンと鈴を鳴らすような音だ。
 ゼンマイ仕掛けの人形が歩いているような音だ。
 なにかが、動いている。
 ちいさな声が聞こえた。
 歌だ。
 誰かが何かを口ずさんでいる。
 唄だ。
 どこかで聞いたことがあるような。
 童謡だ。
 ドアノブが、がちゃりと鳴った。
 オレは、唾を飲んだ。
 とっさにとなりで眠っているはずの、遊戯に手を伸ばした。
 温かい。
 オレは、その小さい身体に抱きついた。
「起きてくれよ、遊戯」
 遊戯は動かなかった。
 必死で遊戯にしがみつき、ゆすり起こしながら、ドアを見た。
 かすかに軋む音をたてながら、ドアがゆっくりと開いていく。
 ノブには何かがぶらさがっていた。
 クマだ。あのクマのぬいぐるみだ。
 そいつは、まるで体操選手が鉄棒をするように、細長いドアノブをくるりと回って、ぽんと床に飛び降りた。うまく着地できずに、ぺたりと尻餅をつく。痛いとでもいうように、尻を撫でさすりながら、ぴょんと立ちあがった。
 その背中がまっ赤な血で濡れていた。じくじくと中から溢れてきている。ぼたりと血が床に垂れた。その後を踏みつけながら、クマは後ろを振り向いた。号令をかけるように腕をふりあげる。
 人形がいた。
 まるでこびとたちのパレードのように、人形たちが歩いてくる。床を埋めつくすほどの数の、女の子の形をした人形や、ソフトビニールの宇宙怪獣や、ぴかぴか光るロボットや、ふかふかした布の人形たちが、えっちらおっちら、こちらに向かってやって来るのだ。
 オレは声もでなかった。
 ぽろん、ぽろんと、鉄琴をならすような、かわいらしい音が聞こえた。そのメロディにあわせて、プップーと音をたてながら、ちいさな赤いスポーツカーが部屋の中を走り回る。オレの目の前までやってきた。ヘッドライトのぎろりと光る巨大な目がこちらをにらみつけている。ボンネットを口のように大きく開いた。ぬらぬらと涎で光る牙がみえた。
 噛みつかれる……!
 そう思った瞬間、赤いスポーツカーは、クマのぬいぐるみにひっつかまれていた。クマは、そいつを怒ったように睨むと、そいつを掴みあげる。
 クマのぷっくりとふくれた丸い腹が、ぱくりと縦にさけた。
 口だ。
 スポーツカーよりもさらに凶悪そうな、サメのような口がばくりと開かれる。
 そして、クマはその車を――喰った。
 ひとくちで車は、クマの腹の中に飲み込まれた。
 ぷゅしゅ、ぷしゅとオイルのような黒い液体が、血のようにあふれた。
 濡れた舌がべろりと、それをなめまわした。
 クマの身体がぐん!と大きくなった。
 クマは頭についているほうの口を、にたりとゆがませたかと思うと、手当たり次第に、まわりの人形を掴みあげ、喰った。オルゴールのようなかわいらしい音楽の鳴り響く中、ばり、ぼり、ばりというクマが咀嚼する音がひびく。
 クマに好き嫌いはなかった。どんな種類の人形も、ロボットも、おもちゃも、選り好みせずにたべていく。
 いつの間にか、オレはクマを見上げていた。巨大になったそいつは、頭がすでに天井につきそうだった。いつの間にか、部屋には何もなくなっていた。
 残っているのはクマだけだった。
 クマは困ったように、あたりを見回した。大きなクマが動くたびに、どしん、どしんと部屋中が揺れた。
 ――遊戯。
 ――獏良。
 声が出ない。
 ふたりともぴくりとも動かない。
 にい。
 と、クマが笑った。
 悲鳴をあげたかった。しかし声はでないままだ。ずん!とクマが一歩近寄ってくる。そのたびに、びちゃりと血しぶきがしたたった。
 オレはかばうように遊戯の上に覆い被さった。びしゃびしゃと生温かい血が背中に当たる。四つんばいになり、顔をあげた。クマのなまぐさい息がオレの顔にかかった。
 遊戯。
 遊戯。
 冗談じゃねぇ。
 守らなきゃ。
 遊戯――!
 背中が割れたような激痛が走った。
 ばりばりと皮を剥ぎ、肉が裂けていくような感覚だった。
 めき、めきと音をたてて、身体が軋む。
 痛いのに、心地よかった。
 たえきれずにオレは頭を振った。
 オレはもう人の形を保ってはいなかった。
 髪はもう無かった。指先は黒く硬いウロコで覆われていた。黒鉄のような爪が、床にくい込み、傷痕をつくる。背中の裂けた肉が、ばらばらと立ち上がり、皮膜となり、翼となった。どろどろに熱した鋼を飲み込んだように、腹が熱い。体中が熱を持ち、焼けつくされるようだ。その熱を、一点に集めた。赤い灼熱の塊が脳裏に見えた。
 オレは吠えた。
 ごうと吠えた。
 赤い炎が弾となり、目の前の巨大なクマのバケモノにぶちあたる。
 クマはぎいと啼いた。
 顔が焼けただれ、目のガラスがどろりと溶けた。クマは怒りを露わにし、オレのほうにやってくる。クレーンのように太い腕が、オレをなぎ払った。
 ぶん!
 うなりを立てて、襲いかかってくる。速い。
 逃げる間もなく、オレはなぐり飛ばされた。
「がはっ!」
 壁にぶちあたる。壁はみしみしといやな音をたてて、オレを中心にがぼりとくぼんだ。一瞬の後、床に崩れ落ちた。
 激痛が襲ってくる。
 それでもオレは顔をあげた。
 クマの手が、遊戯を掴みあげようとする。
 遊戯はぴくりとも動かない。
「遊戯――ッ!」
 オレは炎を吐いた。炎の竜が襲いかかる。しかし、それはそのバケモノの茶色の毛を焦がしたに過ぎなかった。クマのバケモノは、片目でオレの方をにらみつけると、腹のさけめのなかから、ずるりと何かを引き出した。
 槍だ。
 人形の槍だ。
 人形たちがよりあつまり、細長い槍の形をとっている。
 あれに貫かれたら、オレでも生きてられるかどうかわからない。
 わかる。くやしいがわかる。アレは――あのバケモノは、オレより、強い。
 ――遊戯。
 せめて逃げてくれ。
 すこしでも気が付いてくれれば、なんとかチャンスがあるかもしれない。
 バケモノは、槍を大きくふりかぶった。
 ――来る。
 
 その瞬間だった。
 遊戯がゆらりと身体を起こした。
 平然とあくびをし、目をこしこしと擦った。
 まるで目の前の異形が目に入らないかのようだ。
 それから、なんの恐れもなく、クマのバケモノに手を差し出した。

「だめだよ。そんなやり方じゃ、話は聞いてもらえないよ」

 ね?と、まるで子供をあやすかのように微笑む。
 クマのバケモノは、大きな手を遊戯にあずけた。しゅうしゅうと音をたてながら身体が縮んでいく。気が付くと、クマのぬいぐるみがぽつんと床に転がっていた。