獏良は、童実野町にあるマンションで、高校生の頃から一人暮らしをしている。
童実野町は、遊戯の実家のゲーム屋がある町でもある。オレはたまにそこにバイトに行くこともあるので、よく知っている。うちからは電車で30分程度の場所にあり、海馬コーポレーションという企業の城下町だ。交通の便も悪くないし、駅前も栄えてるし、そのわりに住宅地は閑静だし、大きな公園もある。暮らしやすそうな町だった。
駅から歩いて10分のマンションにある自室で、妙な夢をみるのだと、獏良は言った。
「夢?」
オレは、みかんを丁寧にむきながら訊ねた。白いスジもきれいにとって、遊戯にわたしてやる。ありがとうと微笑まれると、なにか一仕事やりとげたようで、くすぐったい気分になった。そんなオレたちをみて獏良は軽く肩をすくめた。なぜだ。
「どんな夢をみるの、獏良くん?」
遊戯が首をかしげながらたずねた。
「ちょっと気味悪い夢」獏良は、遊戯の方をみて、きれいに口角をあげた。ちょっと底意地のわるそうな笑みだった。オレは知らなかったが、獏良がそういう表情をつくることは滅多になかった。気を許してる人間以外にはみせない顔らしい。
「遊戯くんはあんまり好きじゃないと思うよ」
「悪趣味なやつ?」
遊戯は困ったように眉をしかめた。獏良はそれには答えなかった。
「まあ夢だけなら、問題ないんだ。ボクとしては面白いし。問題は、その後なんだよね」
目が覚めると部屋が荒らされているというのだ。
「泥棒じゃねぇんだよな?」
自分が部屋にいないときは、何も起きないと獏良は言った。
「無くなってるものもないんだ。でもなんていうのかな、ちょっとシュールな状況で」
「シュール?」と遊戯。
「見ればわかるけど、毎日あれを片付ける気にはなれなくてさ」ふかいため息をつきながら獏良はぼやいた。「いい加減イヤになって出てきたんだけど、ほっとくわけにもいかないし、かといって警察に頼んでも無理そうだし」
どういう状況なのか、オレには想像がつかなかった。引っかき回されているみたいな状態なんだろうか。
「それで、ボクのとこ来たの?」
「愚痴りにね」獏良は親しげに微笑んだ。「あとよければ、遊戯くんにも見てほしいんだ」
「もちろん」遊戯は力強くうなづいた。「ボクで力になれるんだったら、よろこんで」
*
獏良の家に行くのは、翌日になった。今晩ぐらいは、ぐっすり眠りたいと獏良が主張したせいである。ぱっと見では、よくわからなかったが、かなり疲れていたらしい。オレは遊戯以外のことはかなり無頓着だ。風呂に入ったあと、客間(オレの部屋になっていた)の布団に入るなり、くうくうと眠ってしまった。
自分の部屋を占領されたオレは、遊戯の部屋に出向いた。
キングサイズに買い換えたベッドは、オレが潜り込んでも十分な余裕がある。抱きしめてキスしようとしたら、今日はダメだとつれないことを言われた。
「どうして? 獏良なら寝てるじゃん」
「それでもダメ!」
遊戯は口を尖らせて、言い張った。その様がタコのようでかわいくて、唇をついばんでやった。ぱたぱた抵抗するのだが、何度も唇を舐めていると、とけたようにやわらかくなった。飴のようだ。歯列を割り、やわらかな口腔内の感触を味わっていると、腕がゆっくりと落ちた。バターのようにとけた身体を、そのままベッドに押し倒す。
「ほんとに、だめだってば」
あまい、微かな声で言われると、身体の芯にある炎に粗朶をくべられたような気持ちになる。情慾が燃え上がる。
「うん」
「ボク、露出趣味ないし」
「わかってる」
「じゃあ、なんでパジャマ脱がすの」
「声ださなければいいんだろ?」
「もう!」
だっていっぺんもしないなんて耐えられない。せつない気持ちでじっと遊戯を見つめると、そんな顔をするのは反則だよ!と言われてしまった。
声を出さずに笑って、それからもう一度キスをした。
体中に唇を落とし、うるみきったそこを舌先で愛撫した。
オレはあまり激しく追いつめることはせず、遊戯は声を堪えてださなかった。ただ熱い吐息だけが漏れていた。身体がとろけきったころ、声を出さないように唇を塞いだまま、ゆっくりと繋がった。
*
翌日、朝飯を食べてから、獏良の家へ向かった。オレは仲よく話をしている二人の後をついて歩いた。楽しそうに大学や、ゲームの話をする遊戯の表情は新鮮だった。遊戯の友人というのは、たまに電話がかかってくる尊大そうな男ぐらいしか知らなかったのだ。その男とはまだ一度も逢ったことがない。いつでも高圧的な口調で話すような男とは、気が合いそうにもないが。
電車に揺られて、童実野駅につく。獏良が「ここだよ」と指さした先は、家族で入るような、かなり立派なマンションだった。こんなところに高校生から一人暮らしだなんて、なにか事情があったのだろうか。
遊戯もここには来たことがあるようで、迷いもなくホールに進んだ。エレベーターで6階にあがる。獏良の部屋は、角部屋だった。
「散らかってるけど、入って入って」
おじゃましますといいながら部屋にあがる。玄関から、居間までは、とくに不審なところはなかった。男のひとりぐらしにしては、奇麗なものだ。居間を通り抜けて「こっちなんだけど」と連れていかれた部屋に入るなり、オレと遊戯は声をあげた。
「なんだ、これ!?」
「すごい!」
十畳ほどもある、かなり広い部屋だった。
部屋の真ん中には人が寝そべられるほど、大きな机があった。もう一つ作業台になっている机があり、そちらにはオレには用途のよくわからない雑多な道具が積み重なっていた。
部屋の壁一面をとりかこむように、ずらりと透明なアクリルの棚が取り付けられている。
それは、からっぽだった。
そこにあったはずの人形たちは、中央にある机の上にあった。
小指の先ぐらいのサイズのものから、一抱えほどもあるような大きな人形まで、種類も材質も形もちがう様々な人形があった。
だが、人形が置いてあるだけなら、ここまで驚きはしなかった。
そこには人形の山があった。
人形たちは、子供が川原で積み上げる石のように重なって集まり、天井までそびえ立つ山をつくっていたのだ。崩れ落ちないのが信じられないぐらい微妙なバランスで、人形の塔は組み上がっていた。
そして人形たちは、すべて一つの方向を指さしていた。
「寝室が、あっちにあるんだけどさ」獏良は、人形の示す方向とは反対をさした。
そこには開いたままのドアがあり、その奥にシンプルなベッドが置いてあるのが見えた。
「あっちの部屋にもいるんだよね」
オレたちはそろそろと移動した。すこしでも物音をたてると、人形の山が崩れ落ちてしまいそうだったからだ。息をひそめながら寝室に入る。
「…………」
「…………」
オレと遊戯は無言のまま、顔を見合わせた。
この部屋にもたくさんの人形があった。手前の部屋とおなじように、人形をしまっておくらしい透明な棚も並んでいた。もちろんこちらの部屋の人形たちも、棚の中にきちんとおさまっていなかった。
ベッドの周りに並んでいた。
まるで自分たちで歩き出したように、おもいおもいの格好で、ベッドをぐるりと取り囲むようにしている。立っているものもあれば、座っているものも、頬杖をついているものもある。どれひとつとして同じポーズをとっているものはなかった。
「これは……ちょっと恐怖だね……」
遊戯が静かに言った。
オレはぞっとして、おもわず遊戯の手を握ってしまった。どうにもだめなのだ。自分が人間ではないのにもかかわらず、幽霊とかたたりとか、その手の話が怖くてたまらないのだ。だって形がないじゃないか。殴り飛ばせないもんは怖い。
「実害はないんだけど、さすがにこれが3日も続くとねー」
よくこの部屋で過ごせたもんだ。一回でもこんな目にあえば、普通は家を出て行く。少なくともオレはそうする。
「原因に心当たりは?」遊戯が聞いた。
「わかるんだったら苦労しないよー」獏良がほがらかに言った。この状況ではその明るさが奇矯に響いた。「ほんとに、ちっとも思いつかなくてさ。ボク、ひとに恨まれるようなことしてないし」
なんかあっても、おかしくないなとオレは思った。
「これ、一度片付けたんだよね?」
遊戯がたずねる。
「2回やったよ」獏良は答えた。「1度目はおもしろかったんだけどね。さすがに3回目で、いいかげんうんざりしてさ」
うんざりですむのだろうか。
「そのよぉ、あのぉ、お祓いとか、そーゆーのしてもらったほうがいいんじゃねーのか?」
遊戯は微妙な顔でオレをみつめた。しょっぱい顔というのがふさわしい表情だった。いや、だって。嫌いなものは嫌いなんだよ。
「城之内くんって、こういうの苦手なの?」
獏良はやけに目をきらきら輝かせた。満面の笑みをうかべながら、オレに近づいてくる。舌なめずりしてる獣のようだ。
オレはおもわず、後ずさりした。
その途端、何かをふみつけて、転びそうになった。
「なんだ、こりゃ?」
ぽてんと、じゅうたんの上に転がっていたのは薄汚れたクマのぬいぐるみだった。赤ん坊ぐらいのサイズで、かなり古びている。遊戯はそれを拾い上げて、しげしげとながめた。なんで、このクマだけベッドの周りにいなかったのだろう。
「なかなかいいクマでしょ」獏良は自慢げに言った。「形としてはシュタイフっぽいけど、タグもないし、目録にも載ってないし、個人の手作りじゃないかと思ってるんだ。モヘアだし、ファイブジョイントだし、目もグラスアイだし、これが道で拾ったとは思えないよね」
どうりで。オレは密かに肯いた。
「遊戯。それ、触わんのよしとけよ」
「なんで?」
「血、ついてるから」
えっ?と遊戯が目を丸くして、クマを見つめる。茶色の身体の半分ぐらい――背中のほうに、タールのようにこびりついた染みがあった。
「この染みが、そうなの?」
「そだよ」
「うわー」獏良はびっくりしたように目を丸くした。「ボク、ぜんぜん気が付かなかったよー。泥かなんかだと思ってた。今度洗おうと思ってたんだけど」
「これ、いつ拾ったの?」
「最近だよ。3日前。ちょうど人形の騒動が起きた日だったかなぁ」
オレと遊戯は、ふたたび顔を見合わせた。
心当たり、あるじゃねぇか。
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