◆5
「ねえ、泣いてるの? かいばくん」
「馬鹿なことを言うな! 泣いてなどいないっ……!」
「うん……そっかぁ」
海馬の目が、潤んでキラキラしている。
最初はギラギラ光って怖いと思ったが、よく見ると、綺麗なブルーだった。
「あ、そうだ。じゃあね、これあげる」
遊戯は、昨日じいちゃんからもらったばかりのレアカードを海馬に差し出した。
「!」
「だから、元気だして」
「き、貴様ぁ……こんなものを貰って、オレが喜ぶとでも思うのか!」
「え? うん」
なんで? うれしくないの? これすごいカードだよ。
心底不思議そうに遊戯が海馬をのぞき込む。こぼれ落ちてしまいそうな、大きくてまっすぐな瞳だった。
デュエルに負けた自分が、どうしてコイツからカードをもらわねばならないのか。
コイツは、オレを哀れんでいるのか。
海馬には、遊戯が理解できなかった。
だが、なぜか逆らえなかった。
きっと、初めてデュエルに負けたせいだ。
「フン……」
海馬は遊戯の手から、カードをひったくった。
正直たいしたカードじゃない。こんなカード、あと36枚持っている。
だが、遊戯は嬉しそうに笑った。
「ねえ。それ使って、もういっかいデュエルしようよ」
キミとデュエルするの、すっごく楽しかったから。
「だからボク、キミと、ともだちになりたい」
その澄んだ目の輝きに、海馬の胸の奥がじんわりと熱くなった。
まるで体の中に、ぽっと小さな火が灯ったようだった。
理解しがたい、初めての感情だった。
*
その夜、遊戯が海馬の家を訪ねると、あっさりと部屋に通された。
拒否されたらどうしようと思っていたので、遊戯はすこしほっとした。
部屋のドアを開けると、海馬は真っ正面のソファに鎮座して、堂々と遊戯を待ちかまえていた。足と腕を組んで、顎を上げて、重苦しいオーラをかもし出している。
遊戯は、その海馬の前にちょこんと立った。まるで、校長室に呼び出しを食らった生徒のような案配だ。
「海馬くん、これ……」
遊戯は、鞄から手紙を取り出した。
一通ではない。今までのもの、全部だ。
「ふぅん」
それを見ても、海馬は動じなかった。きっと予想していたんだろう。
「海馬くんだったんだね、これ」
遊戯は、慎重に言った。
「だったら、どうだというんだ?」
「……ぜんぜん気づかなかった。いつもの海馬くんの字じゃなかったし。海馬くんの下駄箱に入ってたことあったし、それに」
「そんなもの」
わざとに決まっている。それが、タクティクスだ。
遊戯の言葉を遮って、海馬は続けた。
「貴様、いつ気づいた?」
「……今日、下駄箱の前で。海馬くんに手紙をもらって」
ふぅん、と海馬はそっけなくうなずいた。そうだろうな、と。
それから突然、「見損なったぞ、遊戯!」と怒鳴った。
「海馬くん」
「オレは、お前はとっくに気づいているものだと思っていた!」
そう叫んだ海馬の語気は荒かったが、昼間ほど激してはいなかった。
それよりも、投げやりで暗かった。
遊戯を睨む目も、どんよりとして、いつもほどの覇気がない。
「知っていたからこそ、手紙のことをオレに言わなかったのかと思っていた。だからこそ、オレにあんなことを言い出したのかと思っていた。それを、貴様は……!」
体を震わせて、海馬は悔しそうに言った。
「オレとあんなことをしておきながら、貴様は何事もなかったかのように、オレに隠れてラブレターなどにうつつを抜かしている!」
これが、オレに対する裏切りでなかったら、何だというのか!
組んでいた腕を大きく広げて、海馬が訴えかけるように遊戯を見る。
そうだ。
海馬の言う通り、ひどい裏切りだった。
好奇心と嫉妬から、海馬とキスをした。
軽はずみなことだった。
恋人同士のようなキスをして、抱き合って眠ったのに、海馬の気持ちを疑った。
手紙のことだって、隠していた。
とても大切なことだったのに。
ごめん。
いい加減で不純だったのは、どう考えても海馬くんじゃなくてボクだ。
ボクは、海馬くんの信頼を踏みにじった。
「でも」
だが、遊戯は怯まずに、海馬の目を見つめ返して言った。
「でも、ボクが好きなのは、キミだ」
海馬が、ギュッと眉をよせた。
「戯れ言を……」
「海馬くん。ボクは、キミが大好きなんだ」
遊戯は繰り返した。
「たぶん、嫉妬してた」
「なに?」
「あの手紙……キミ宛てなのかと思ってたんだ」
「…………」
海馬は黙ったまま、大きく目を見開いた。
おずおずと遊戯は海馬に近づいた。海馬がソファに座っているせいで、二人の目線は普段よりずっと近い。
遊戯は手を伸ばして、そっと海馬の頬に触れた。弾かれたように、海馬の肩がビクッと揺れる。
だが、目が合った瞬間、海馬は大声で笑い出していた。
「か、海馬くん!?」
ワハハハハハハ!と、部屋中に海馬の哄笑が響き渡る。
遊戯は呆然と目を丸くした。目を細めて、大きく口を開けて、上体を反らせて、海馬が高笑いしている。
しばらくの間ポカンとそれを見つめた後、やがて遊戯もプッと吹き出した。
「もう、笑わないでよ〜、海馬くん!」
「貴様が、あまりにも愚かだからだ!」
「愚かって」
「聞いたぞ遊戯。オレを好きだと言ったな!」
笑いながら、勝ち誇ったように海馬が言うので、
「だって、海馬くんが言えって言ったんじゃないか」
手紙で。
と答えると、海馬の腕がニュッと伸びてきて、遊戯の襟首をグイッと掴んだ。
「うわ!」
そのままバランスを崩して、遊戯は海馬の胸に倒れ込んでしまう。
乱暴に引き寄せられて、抱きすくめられた。容赦のない力だった。
「か、海馬くん……苦しい!」
「うるさい。黙れ」
「ほ、ほんとに痛いんだけど」
「ムードを知らないヤツだ……」
ムードって!
そんなの、海馬くんにだけは言われたくないよ。
「でも、これじゃキスできないし」
だが、そう言うと、海馬の腕の力がフッとゆるんだ。
遊戯は驚いた。
え。なに。ちょっと。まさか。
キスして欲しいの、海馬くん。
遊戯はもぞもぞと体を動かして、ソファに座った海馬をまたいで膝立ちになった。海馬は軽く遊戯に手を回したまま、じっと動かない。
その姿を、遊戯は改めて見つめた。
海馬は、顔も体もまるで精巧な人形のように整っていて、隙がない。
青年らしくすっきりした頬も、骨張った広い肩も、引き締まった腰のラインも、しなやかな長い手足も、どこもかしこも大人びていて、まるで完成された芸術品のようだった。
や、やっぱり、無理だよ。キスなんて。
急に遊戯は恥ずかしくなってきた。
だって、明るいし。海馬くん、こっち見て身構えてるし。
そっちこそ、ちょっとくらいムード出してよ〜!
無性に気まずくなって、遊戯は「ん」とひとつ咳払いをした。
「あのさ、海馬くんは、どうしてラブレター書こうなんて思ったの?」
とそっぽを向いて尋ねると、
「お前が欲しいと言ったんだろうが」
ちょっとふて腐れたように海馬が答えた。
え。……ボク、そんなこと言ったっけ?
身に覚えがないんだけど。
「う〜ん、そうだっけ……」
呟きながら、なんとなく海馬の髪に手を入れて、襟足の毛をすくい上げる。
そこは、思いのほか温かくて気持ちが良かった。隠れていた生え際部分の毛だけが、うぶ毛のようにふわふわと柔らかい。
その発見に、遊戯の胸がトクンと熱くなった。
だって、なんだか海馬くんらしい。
完璧な海馬の体のそこだけが、まるで生まれたてのように未成熟で、頼りないのだ。
遊戯は、急にそれが愛しくなった。
海馬の長い前髪を掻き上げて、おでこにチュッと軽くキスをする。生え際の温かいふわふわが鼻にあたってくすぐったい。
それを指先で撫でながら目尻にキスすると、海馬が目を閉じたので、その瞼にも唇を押しつけた。
それから、意を決して、唇にキスをした。
背中に回された海馬の腕に、ギュッと力がこもる。遊戯も両腕で海馬の頭をかき抱いて、その茶色い髪を乱した。
初めてのときのような、激しい情動はなかった。
ただ、海馬のことが大好きだと、心から、強く思った。
*
結局、その日も遊戯は海馬の部屋に泊まった。
朝、目を覚ますと、隣に海馬の姿はなかったが、べつに驚いたりはしなかった。
かわりに、枕元に例の白い封筒があった。
遊戯は、いつもベッドサイドに置いてあるペーパーナイフで、丁寧に封を切った。
「なぁにこれ……」
中から出てきたのは、一枚の古びたモンスターカードだった。
遊戯は首をかしげた。
レアカードではあるが、正直たいしたカードじゃない。コレクターの海馬なら当然のこと、遊戯だってもっと良いカードをたくさん持っている。
不思議に思いながら、一緒に入っていた便せんを広げてみると、
『やはり、借りは返す』
と、書いてあった。
今までと違って、今度は海馬の筆跡そのままの文字だった。
……意味わかんないよ。海馬くん。
『返す』って言われても、こんなカードあげた覚えないし。
遊戯は困って、封筒にカードと手紙を戻した。大きく伸びをして、ベッドから起きあがる。
でも、もしかしたら、なにかすごく大切な意味があるのかもしれない。
だから、海馬に会ったら、すぐにこのカードのことを聞こうと遊戯は思った。
それから、一緒にごはんを食べて、学校に行って、勉強して、話をして、ゲームして。
それに、たまには、キスするのもいい。
ボクだけが知っている、海馬くんの、温かくてふわふわしたところに。
そんなふうに思って、遊戯は海馬の部屋を出た。
END.