◆2
それから、数日たった。
件のラブレターは海馬がゴミ箱に捨ててしまい、差出人の女子もダイレクトアタックしてくる気はないらしく、結局それっきりになっていた。
もったいない話だよね。モテたことのないボクからすると。
全方向的に恵まれている海馬と違って、遊戯は大抵の部分が平均以下だった。とくに背の低さは致命的で、クラス一長身の海馬と一緒に歩いていると、まるで地球の周りをクルクルまわる人工衛星のようだった。
当たり前だが、告白されたこともラブレターをもらったこともない。
だが、今更それでへこむような遊戯ではなかった。
恋愛に興味がないといえば嘘になるが、毎日学校にいったり、ゲームで遊んだりするのが楽しくて、女の子よりもそっちのほうが遙かに重要だった。
結局のところ、精神年齢は自分も海馬と同レベルなんだろうなぁと思う。
ただ海馬はちょっと極端なだけで、遊戯だって、べつに今すぐ女の子と付き合いたいわけじゃないのだ。
「あれぇ……?」
時計の針は、既に11時をまわっていた。そろそろ明日の用意をして寝ようかと、遊戯が鞄から教科書を取り出したときだった。
ヒラリと白い封筒が床に滑り落ちた。遊戯はパチパチと目をしばたいた。
デジャブだ。つい最近、こんな光景を見た覚えがある。たしか、海馬の家で。
って、まさか。
これって、まさか……。
遊戯は落ちた封筒を拾いあげた。
白い封筒は、すこし厚くて表面に細かいレースみたいな模様があった。よくわからないけど、すごく高価そうな感じだった。遊戯は机に向かって椅子に座りなおすと、丁寧にハサミで封を切った。
中には、封筒と揃いの白くて綺麗な便せんが入っていた。そっと取り出すと、うっすらと甘い香りが漂ってきた。遊戯は思わず息をのんだ。
『ゲームをしているときの、あなたが好きです
いつもひたむきで前向きな、あなたが好きです
優しくて芯の強いあなたが好きです
あなたほど、私の心を動かせる人はいません
あなたが、好きです』
すごく綺麗で、繊細な文字だった。
しかも、ボールペンとかそういうのじゃなくて、万年筆かなにかのインクで書かれている。
遊戯は、カーッと頭に血がのぼったような気がした。胸がドキドキして、手が震えた。
うわ―――! 本物だ! 本物だよー!!
どうしよう。本物のラブレターだよ。ボクに、ラブレター!
しかも、すごく綺麗だし。良い匂いするし。なんだろう、これ。香水とかなのかな? ……よくわかんないけど、でも、すごい。とにかくすごいよぉー!
だが、穴があくほどじっくりと手紙を眺めているうちに、遊戯は妙なことに気がついた。
差出人の名前がないのだ。宛名もない。
差出人の名前がないってことは、名乗り出る気がないってことなんだろうか? よくある「放課後、校庭で待ってます」系の呼び出しも書かれてないし。
それに、宛名がないって、どういうことだろう? 「ゲームをやっているときの」って書いてあるから、たぶん宛先はボクであってると思うんだけど……。
じつは、つい最近、遊戯はカードゲームの大会で優勝していた。
決勝は海馬との対戦で、けっこう白熱した闘いだった。他の部分では何ひとつ海馬に勝てない遊戯だったが、カードゲームでだけは負けたことがなかった。
もしかして、そのときにボクを好きになってくれたんだろうか? でも、だったらどうして宛名を書いてくれないんだろう?
……もしかして、イタズラ?
そう思い至ると、なんだか急に冷めてきた。
からかわれたのかな? そうだよね。そうだろうなぁ……。
がっかりした気持ちになった遊戯は、ため息をついて手紙をしまうと、さっさと寝てしまうことにした。
*
「帰るぞ、遊戯!」
「あ、うん。ちょっと待ってー」
ワタワタと机の中身を鞄につっこむ遊戯に、「遅い」と言い捨てて海馬が歩き出す。遊戯は慌ててその後を追った。
あれから、3日たっていた。
じつはあれ以来、遊戯は自分の机の中をくまなくチェックしている。
あのラブレターは、遊戯の鞄に入っていた。だが、勝手に他人の鞄を開けて手紙をいれるような人はいない。ということは、手紙は最初「遊戯の机の中に入っていた」はずなのだ。それを、気づかないまま鞄にしまって、家まで持ち帰ったのだろう。
だが今日も、机の中に手紙らしきものは入っていないかった。
あーあ。やっぱり、イタズラだったのかなぁ……。遊戯は肩を落とした。
べつにさ。
いいんだけどね。
大したことじゃないし。
今日は海馬くんが、KCの新しいゲームやらせてくれるって言ってたし。
そう思いながら、やっと海馬に追いついた遊戯は、下駄箱に手をのばしてパカリとフタを開けた。
そのときだった。
ヒラリ。
見覚えのある白い封筒が、ゆっくりと弧を描きながら遊戯の目の前を落ちていった。
「え」
ポカンと開けた口から、つい間抜けな声が漏れてしまう。
だって、その封筒は。
その、高価そうなレースの模様は。
「……ふぅん」
だがしかし、それは遊戯の下駄箱に入っていたのではなかった。
遊戯の下駄箱のすぐ上―――海馬の下駄箱の中から落ちてきたのだったのだ。
まばたきすらできずに遊戯がじっと見守る中、海馬の長い指が落ちた手紙を無造作につまみ上げた。遊戯の目には、まるでスローモーションのように映る。
似てる。
ていうか、ぜったい同じものだ。あの封筒。
「あ、あのさ、海馬くん!」
思わず声をかけていた。
「なんだ?」
「ラ……ラブレター、だよね? それ」
「ふぅん」
無意味に手紙を指先でクルッと一回転させながら、海馬が遊戯を見下ろした。
「中を見ないことにはわからんが……ラブレターだとすれば、この間のものより趣味が良い」
「う、うん。そうかも」
「なかなか好印象だ……」
「え」
えええええぇ―――っ!?
「こ、好印象」
海馬くんでも、そんなことを思ったりするんだ……。
遊戯はすっかり混乱していた。なんでこう、次から次へと予期しない出来事が起こるんだろう!
海馬の手の中の手紙から、目が離せない。
いったいこれは、どういうことなんだろう。
なんで、あの封筒が海馬くんの下駄箱に入っているんだろう。
だが、そんな遊戯の様子にはまったく頓着せずに、
「中を見たいか?」
となぜか嬉しそうに海馬は笑った。遊戯は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
頭がいっぱいいっぱいで、ここが放課後の下駄箱の前だということさえ、考えられなかった。周りには、下校途中の生徒が何人もいるのに。
答えられずにいる遊戯に、「そうか。そんなに見たいか」と海馬は満足げに呟くと、何の躊躇もなく手紙を開封した。そのまま中を見もせずに、遊戯の鼻先にビシッと白い便せんを突きつけてくる。
あのときと同じ甘い香りがした。
『初めて会ったときから、惹かれていました
最初は、あなたの才能に惹かれているのかと思っていました
でも、自分でも気づかないうちに、あなたは私の特別になっていました
これが恋だと、あなたに会って初めて知りました』
……どう見ても、同じ筆跡だった。
間違いなく、同じ便せんだった。
何かにギュッと胸を押しつぶされた気がした。
「ごっ、ごめん! ボクちょっと急用を思いだしたからっ! ごめん……!」
気がつくと、遊戯は走り出していた。
後ろから「遊戯ィ!」と叫ぶ海馬の怒声が聞こえたような気がしたが、とても振り返る気にはなれなかった。
*
家に着く頃には、遊戯はすっかり疲れ果てていた。
もともと軟弱なインドア派なのだ。学校から家まで走って帰る体力などない。途中からは、歩いて帰った。
だが、その間にいろいろ考えることができた。
ヘロヘロになりながら、自分の部屋のベッドに寝転がった遊戯は「あーあ」と小さく呟いた。
つまり、こういうことなんだろうと思う。
たぶんあの手紙は、両方とも「海馬宛て」だったのだ。
遊戯と海馬は、下駄箱もひとつ違いで上と下だったが、教室の席順も前後だった。うっかり手紙を入れ間違えたとしても、ちっとも不思議じゃない。とくに、誰にも見られたくなくて急いでたんだとしたら。
まあ……もしかして、もしかすると、あのラブレターが本当にボクにあてて書かれたものだって可能性もゼロじゃない。ボク宛ての手紙が、間違って海馬くんの下駄箱に入っていたという場合だ。
でもまあ、そんなことは99%……いや、万に一つもないだろう。
『初めて会ったときから、惹かれていました』とか。そんなの、ボクのルックスじゃあり得ないし。海馬くんと違って『才能』とか、そんなのもないし。
最初にゲームのことが書いてあったから、てっきりボク宛てだと思っちゃったけど……海馬くんなんて「カードの貴公子」って呼ばれてるほどだし。
遊戯は、ため息をついた。
妙に胸が重苦しかった。
気を抜くと、涙が滲んできてしまいそうだった。
おかしい。
なんで、ボクはこんなにショックを受けてるんだろう。
べつに、どうでもいいじゃないか。ぜんぜん落ち込む理由なんてない。
だって、どこの誰とも知らない誰かが、海馬くんを好きだってだけの話だ。そんなの、よくあることだ。ついこの間だって、あったばっかりだし。今さら、嫉妬もない。
……じゃあ、なんなんだろう。
大きな目を細めて、遊戯は唇を噛んだ。
その『誰か』が、ボクのことを好きなんだって、期待してたから……?
「そうかもしんないなぁ……」
本当のところを言うと、遊戯だって、海馬に劣等感を感じないわけではないのだ。
でも、ボクは、ボクだし。
どうがんばったって、逆立ちしたって、海馬くんにはなれないし。
それに、遊戯は海馬が好きだった。
海馬のほうも間違いなく遊戯が好きだと、ちゃんと知っていた。
もしこの先誰かと付き合うことになったとしても、海馬はきっと遊戯を優先するだろう。自分といるほうが楽しいだろう。そんな自信がある。
どんな女の子にだって、ぜんぜん負ける気がしない。
………………。
…………って、あれ?
「負ける」って、なんだよ、それ……。おかしい。なんだか今日のボクは、ちょっと海馬くんに毒されているのかもしれない。
友達と恋人のどっちが大事かなんて、比べようがないのに。
……そういえば、今ごろ海馬くん怒ってるだろうな。
ふいに、去り際に聞いた海馬の怒鳴り声を思い出して、遊戯はベッドから起きあがった。
電話して謝っておいたほうがいいかもしれない。悪いことしちゃったし。海馬くん、今ごろ心配してるかもしれないし。
携帯を探して、遊戯は鞄を引き寄せた。その拍子に、鞄の紐をベッドの端に引っかけて中身をぶちまけてしまった。
「うわ!」
慌てた遊戯の目に、その瞬間、思いがけないものが飛び込んできた。
封筒だ。
あの白い封筒が、数学の教科書のページの間からチラリとのぞいている。
心臓が、ドキンと大きく鳴った。
あんなに机をチェックしてたのに、ぜんぜん気が付かなかったなんて。
でも、まさか教科書に挟んであるなんて思わなかった。そんなの、手紙の存在に気づいて欲しいのか、そうじゃないのか、よくわからない。
遊戯はひとつ深呼吸すると、ゆっくり手紙を開けた。
『あなたとキスがしたい』
綺麗な白い便せんには、たった一言、そう書いてあった。
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