◆1
最初に海馬が『それ』に気づいたのは、新学期が始まってすぐだった。
エジプトから日本に戻って登校した、初めての朝。
「久しぶりだね、海馬くん!」
振り返ると、武藤遊戯が立っていた。
城之内や真崎といった仲良しグループを、当然のようにゾロゾロ引き連れている。海馬は「ふぅん」と目を細めた。
「元気そうでよかったぁ」
海馬くん、もう童実野高校には来ないんじゃないかって心配してたんだ。どっか別の学校とか、アメリカとかに転校しちゃうんじゃないかって。
「また一緒の学校に通えるなんて、嬉しいな〜」
そう言って笑う遊戯に、
「安心しろ」
と海馬は短く答えた。
「アメリカへ行こうが何だろうが、貴様とは必ず決着をつける」
「……決着って、デュエルのこと?」
「それ以外に、何がある?」
「う〜ん……。ボクが言いたいのは、そういう意味じゃなくて……」
困ったように笑う遊戯を、城之内が大声で遮った。
「べつにいいじゃねぇか、遊戯! こんなヤツほっといて行こうぜ」
「あ、城之内くん」
城之内に肩を掴まれて「ごめんね」と、なぜかすまなそうに遊戯が海馬にヒラヒラ手を振る。
不愉快だ。
じつに、不愉快だ。
海馬は眉をひそめた。凡骨の分際で、このオレを『こんなヤツ』呼ばわりするとは。その上、なんだその顔は。なにが「ごめんね」だ。貴様らの友情ごっこなど、オレには関係ない。勝手にやっていろ。
だが海馬が目をそらそうとした、そのとき。
「…………?」
ふと、遊戯の左手の先がキラッと光って見えた。
気になって目を凝らすと、左手の指のあたりが朝日にピカピカ反射している。
……なんだ? 指輪か?
だが、すぐにそう思い至って、海馬は関心を失った。
普段から、鎖やレザーを身につけている男だ。今さら指輪をつけ始めたとて、驚くことはない。興味もない。
海馬瀬人と武藤遊戯は、ライバルだ。
海馬がこの童実野高校に戻ってきたのは、遊戯がいたからだった。
遊戯のデュエルは、何よりエキサイティングで心高ぶる。近くにいて、動向をチェックしておきたいとも思う。
だが、奴を倒したいと思いこそすれ、馴れ合うつもりは毛頭なかった。
海馬と遊戯をつなぐものは、あくまでデュエルなのだ。
それは、奴らの好きな甘ったるい『友情ごっこ』とはかけ離れた感情だった。
*
「今日も学校きたんだね、海馬くん!」
翌日も、遊戯は朝一番に海馬に話しかけてきた。
嬉しいな〜と、うっすら頬を紅潮させている。海馬は、そんな遊戯を冷めた気持ちで見下ろした。
「……?」
が、そこで、ギョッと目を見張った。
なんだこれは……?
そこは、たしか昨日、遊戯が指輪をはめているのかと思った場所だった。
遊戯の左手の先端から手の甲あたりまでが、妙にキラキラ光っている。明らかに皮膚とは違う、メタリックな光沢だ。
海馬は目を閉じて、片手で自分のこめかみを押さえた。
幻覚かこれは? 幻なのか?
どう見ても、それはアクセサリーの類ではなかった。
何かをつけているのではなく、まるで指先から手の甲までが『金属になってしまっている』かのようなのだ。
あり得ない。非ぃ科学的、非ぃ現実的だ。
「? どうしたの、海馬くん?」
大丈夫? 気分でも悪いの? と遊戯が近づいてくる。
その心配そうな顔に、海馬は、
「遊戯、貴様その手……」
と言いかけて、やめた。
「海馬くん?」
「……いや。なんでもない」
海馬は首を振った。
考えてみれば、遊戯の手が光っていようがいまいが、どうでもいいではないか。
自分には、なんの関わりもない。考えるだけ時間の無駄というものだ。
妙なオカルトに巻き込まれるのは、もうごめんだ。
にもかかわらず、翌日、事態はさらに深刻化していた。
「おはよう、海馬くん!」
三日目。
そう元気よく話しかけてきた遊戯の左手は、前日より明らかに悪化していた。
昨日は手の甲までだったのが、今日は学ランの袖からのぞくすべての部分が金属に変わっている。
それも、ただメタリックなだけではない。
遊戯の左手は、人間の手の形すら保っていなかった。
ほの青く輝く硬質な金属には、人間らしい5本の指はなく、かわりに大きなかぎ爪が三つ付いている。
海馬は、この色形に見覚えがあった。
そうだ。一目でピンときた。
「……ブルーアイズ」
間違いない。これは、オレの最強のカード、ブルーアイズだ。
オレの忠実なる僕、青眼白龍だ。
なぜだか、はっきりそうわかった。
「え? ブルーアイズ?」
「遊戯、貴様ぁ……これはいったい何の真似だ!?」
頭に血が上った海馬は、『関わり合いになどならない』と決心したばかりなのも忘れ、遊戯の首根っこを掴んで怒鳴りつけていた。
「か、海馬くんっ……!?」
「どういうつもりかと聞いている!」
「ど、どういうって……」
「とぼけるな遊戯! この手はなんだ!」
「は? 手……?」
海馬の剣幕に、遊戯が大きな目をきょろきょろ動かす。わけがわからない、といった不安そうな表情だ。
そのときだった。
「おい! 遊戯に何しやがる、海馬!」
突然、目の前にニュッと男の腕が現れた。
その腕は、乱暴に海馬の手をなぎ払い、華奢な遊戯の体をグイッと抱き寄せていく。
「! 城之内っ……!!」
思わず、海馬は大声で叫んでいた。
目の前で城之内が、遊戯の『ブルーアイズの部分』をギュッと掴んだからだ。
「な、なんだよ?」
「海馬くん……?」
ただならない海馬の様子に、遊戯も城之内もキョトンと目を丸くする。
どういうことだ?
こいつら二人で、オレを謀っているのか?
「…………」
我に返った海馬は、目の前の光景を訝しく睨みつけた。
城之内の手は、遊戯の金属の部分にピッタリと重ねられている。だが、二人ともそんなことは何も気にとめていないような素振りだ。
気がつくと、教室中の生徒がこっちを見ていた。
誰も彼も、キョトンした顔をしている。どうやら遊戯の手の異変には気づいていないらしい。
おかしい。
いったいなんの茶番だ、これは。
「……んだよ。なにガンくれてんだよ。ムカつく奴!」
やがて城之内が、痺れを切らしたように言った。
「あ、ケンカはダメだよ〜! え、えーと……海馬くん、いったいどうしたの? なに怒ってるの? ボクが何かした?」
「………………」
「おい、なんとか言えよ海馬! ケンカならオレが買う……」
「くだらん」
城之内の言葉が終わる前に、海馬はクルリと踵を返した。
「はぁ!? いい加減にしろよな、お前……!」
声を荒げた城之内を、まあまあと宥める遊戯の声が背後から聞こえる。
大股で立ち去りながら、海馬はフン……と溜息をついた。
どういうわけだか知らんが、遊戯の左手がブルーアイズになっている。
だが、誰もそれに気づいていないらしい。
これは幻なのか、そうでないのか。
まやかしだとしても、なぜオレにだけそう見えるのか……。
海馬はイライラと自分の席についた。
正直、この不可解な現象が気にならないといえば嘘になる。
だがこれ以上、くだらないオカルトに関わるなど、まっぴらだった。
どちらにせよ、右手が無事ならカードは扱えるだろう。デュエルさえできれば、それでいい。充分だ。
暇つぶしに持ってきた本を取り出すと、海馬はなるべく遊戯を見ないように乱暴にページをめくった。