◆1
「たまには、外に出かけねぇ?」
5月のさわやかな風に誘われたのか、クマがそんなことを言った。
遊戯はもちろん賛成だった。天気はいいし、ゴールデンウィークで休みだし。
「じゃあドライブでもしない?」
ちょっと混むかもしれないけど、行き先を決めないで出かけるのも楽しそうだ。道路沿いの適当な店でお弁当でも買って、景色のいい公園か、海か、山か、そんなところをぶらぶらと歩いて、ピクニック気分でご飯を食べたりするのも悪くない。
「お前、車もってたの?」
「持ってるよ。アパートの前の駐車場に置いてあるじゃん」
遊戯は物干し台になっているベランダから見える、赤いちいさな車を指さした。後部座席にクリボーのぬいぐるみが転がっている。たまには運転しているのだ。実家に帰るときとか、ちょっと遠目のショッピングセンターに行くときとか。
「なんだよ、車あったんだったら早く言えよ」
クマはうれしそうに、さっさと出かけようぜ!と玄関先で手を振った。
*
「……ねえ」
「うん」
「その格好、止める気ないの?」
「うん」
遊戯は隣で、ハンドルを握っている男をあきれて見つめていた。あいもかわらずクマの着ぐるみ姿だ。おかげで、対向車がびっくりして目を剥いていたり、後続のファミリーでおでかけの車がわあわあ騒いでいたりする。歩道の通行人まで指さしていた。
もっとも遊戯は、もっとド派手な行動をとる人間と友人だったりするので、注目を浴びるのには慣れていた。クマとももう5ヶ月目だ。気にはなるが、それなりに無視はできる。
それでも気になるんだよな……。
遊戯は、もう一度ちらりとクマをみて小さくためいきをついた。
自分から誘ってきたんだから、脱いでくると思ったのに。
ちょっとは気を許してくれてるんじゃないかな――なんて考えた自分がバカだった。
遊戯の方は、いつものチョーカーを首に巻き、黒いタンクトップの上に白いパーカーを羽織っていた。暑くなりそうなので、下はジーンズを短めにぶったぎったものを穿いていた。
「普通の服、着ればいいのに」
「いや、なんとなくさ」クマは、カーステレオから流れる歌にあわせて、軽快にハンドルを叩いた。「それに、顔見られたくないし」
「ボク、もう知ってるじゃん」
「覚えてるまでいかないだろ。それに家の中ならともかく、外はなー」
どこまで本気なのかわからない口調だった。
いつもそうだ。
適当で、いつもごろごろしていて。
知ってることといえば、誕生日が1月25日だってこと。カレーライスが好物なこと。名前は「城之内 克也」。これだって本当の名前なのかどうかわからない。
なにも知らないのだ。
顔を隠してる理由だってわからない。
ものすごい要人で、命を狙われているとか。
芸能人だとか。
いや、それだけはありえないな。
遊戯は頭を振った。
借金取りに追われているとか、ヤクザの女に手を出したとか、そんなことの方があり得そうだ。女がらみっぽいような気もする。女性慣れしてるみたいだし。
ボクに話してくれないのかな。
クマは、妙なところで義理堅いのだ。平気で、ひとの家にごろごろと居候しているわりに、遊戯の金を使うのは悪いからといって、自分でバイトで稼いだ金しか使わない。食費や光熱費などは遊戯もちだが、それ以外には金がかからないのだ。面倒ごとも持ち込んでこない。結局はたかってるくせに、そういうところだけきっちりしていて、ずるい。
頼ってくれてもいいのに。
ばか。
「なんだよ、具合わるいのか?」
顔をのぞき込んで、酔ったか? クスリ屋あったら車止めようか? なんて聞いてくる。こういう風に不意に優しいから困るのだ。ほだされてんのかな、ボクは。
「だいじょうぶだよ」
「ホントか?」
「うん」
信号が青になった。クマはアクセルを踏み込んだ。クマの運転はあぶなげがなく上手だった。マニュアルの方が好きなんだよなーなんて言ってるところからして、車が好きだったのか、それともそういう仕事をしていたのかもしれない。
しばらくして高速に入った。海行こうぜ、海!とクマは、はしゃいでいる。まだ泳ぐのには早いし、そもそも着ぐるみでは泳げないだろうと遊戯は思った。
「でもさ、免許もってたなんて思わなかったな」
うちに来たときは、お金も、着替えも、本当にまったく何も持っていなかったようなので、免許やそのたぐいの代物も持っていないと思っていたのだ。
「ねぇよ」
「え?」
「免許なんて、とったことねぇよ」
なんですと!
「ちょ、ちょ、ちょっと止めてよ!」
「うわ、あぶねぇって! 高速だぞ、ここ。高速!」
「無免許で運転するなー!」
*
路側帯で一時停止して、運転を交代した。一度もつかまったことないのに……と、ぶつぶつ言うクマはほっぽっておいて、高速を降り、カーナビの指示に従いながら進むと、急に目の前に海が現れた。
「うおー! 海だ、海ッ!」
クマが興奮している。窓をあけて、ひゃっほー!と歓声をあげながら身を乗り出した。子供っぽいところあるよなと思いながら、遊戯は頬をゆるませた。そういうところは嫌いじゃないのだ。
「好きなの?」
「やっぱ海じゃん!」
ほら青いぜ! 見てみろよ!と、うれしそうである。青くなかったら時化てるよなーと思いながらも、遊戯だって実のところ海は嫌いではない。泳ぎは得意ではないが、眺めるのは好きだ。
「ボクの実家、童実野町だから海すぐだったんだぜー」
「でも、あそこ泳げねーじゃん。埠頭だし」
「そうだけど」
童実野町は知っているらしい。めずらしい。童実野町自体は、KCの城下町としてわりと知名度があるが、そこの童実野埠頭はあまり知られていない。工業港で、周りにあるのは倉庫ばかりだし、おしゃれなレストランも観光客向けの店もないから、埠頭の利用者か地元民以外は行くこともない。
もしかしたら城之内くんと地元、かぶってるのかも。
一瞬たずねてみようかなと思ったが、やっぱり止めることにした。クマの事情は知りたいけれど、知りたくないのだ。知ってしまったら、居なくなってしまうかもしれない。顔を見ただけで、あんなことをされたのだし、いまだに着ぐるみ着用中だし。
「そこの駐車場にとめて、海岸おりよーぜ!」
「了解」
駐車場に車を止めて、遊戯とクマは海に向かった。
*
クマは海岸でモテモテだった。とくに小さい子供たちに大人気だった。クマは子供好きらしく、一緒になって砂浜で転げるように遊んでいる。
「濡れないように気をつけなよー」
「おー!」
ぶんぶんとクマが手をふる。
まだ海の水は冷たそうなのに、ウェットスーツを着たサーファーたちがたくさんボードをもって、波に揺れていた。砂でお城をつくっている子供もいたし、ビーチバレーをやっているグループもいた。げんきだなーと思いながら、遊戯はぶらぶらと砂浜を歩いた。
子どもの頃からずっとインドア派で、ゲーム好きだったから、こうやってドライブに来るなんてほとんど初めてのことだった。でかけるのなんて、学校で遠足に行ったぐらいだ。
日差しがきついから、帽子をもってくればよかったかもしれない。海風に髪がばたばた揺れた。潮の匂いがする。童実野埠頭のにおいとは違ってるんだなと遊戯は思った。
そういえば海なんてひさしぶりだった。大学のときは行かなかった。遊戯の友人たちは誰も夏になったらビーチでナンパという男子大学生らしい行動様式をとらなかったのだ。会社に入ってからも特に行ったおぼえはない。飛行機の窓から見るぐらいだ。
前に行ったのって、エジプトの海か。
いや、あれは海じゃない。ナイル川だった。世界最長の河川。母なるナイル。黒土の土地。彼が治めた国。彼がいってしまった国。
まずい。
遊戯は胸のあたりをぎゅっと掴んだ。昔、ここにかけていたパズルがあったときによくやった仕草に似ていた。
いろいろなものが波のように遊戯の胸に押し寄せた。この気持ちを明確に名付けることは遊戯にはできなかった。いまだに感情の整理なんてできないのだ。
すこしずつ、すこしずつ、遠くはなる。時の流れと毎日の生活に押し流されてしまう。四六時中思い出してるわけじゃない。そんな風に過去に生きることは彼も望んでいなかっただろうし、自分でもしたくない。それなのに、こうやって「彼」のことを思い出すだけで、どうして胸が苦しくなるのだろうか。
情けないって、君だったら笑うだろうか。
元気だせよ、相棒って言うだろうか。
ボクが好きだった、とても好きだった、あの笑みをうかべて。
沖合にいるセイルをたてたウィンドサーフィンが、ナイルを行き交う白い帆のファルーカにだぶってみえる。きらきらと青空をうつした水面が光っている。まぶしげに目を細めて、海をながめていると、誰かが自分を呼ぶ声がした。
「おーい、遊戯ー!」
手を振っているのは、あのクマだった。
子どもたちを撒いてきたらしい。砂にまみれた足元あたりの色が変色している。結局、濡れてしまったみたいだった。クマはぱたぱたと遊戯に向かって走ってくる。
その格好がユーモラスで、ちょっと間が抜けていて、バカみたいで、遊戯は泣きそうになった。
なんでだろう。
クマは走り終わると同時に遊戯にぴょんと飛びついた。脇に手をいれて、子供にやるように遊戯を高くかかげてぐるぐる回したあと、ひょいと引き寄せて目線をあわせる。
「どしたんだよ、泣いてんの?」
いぶかしげに訊ねるクマに、遊戯は首をふった。
「砂が入ったんだよ」
「そっか」
クマは何も言わずに、遊戯を抱きかかえなおした。ちいさな背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。ぽんぽんと背中をたたかれる。
別に子供じゃないんだから平気なのに。そう思いながら、遊戯はあたたかいクマの胸に顔をうずめた。海のにおいがした。
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