◆2

「いいカモ、ひっかけたんだって?」
 黒塗りの車が止まったと思ったら、出てきたセリフがこれだった。
 地元に帰って一番最初に会う人間がこれかよ。
 つくづくろくな人間と知り合いじゃねぇなと思いながら、城之内は舌打ちをした。知らないふりをして通りすぎることもできない。
「テメェに関係ねぇだろ、蛭谷」
 ホント、あの着ぐるみ便利だったよな。



 蛭谷は中学時代からの腐れ縁だ。
 孤立しがちだった城之内とちがって、蛭谷は金を集めるのと、人を使うのが上手かった。高校の時には、校内で薬の売買組織をつくり、近隣の学生から小遣いを巻き上げて、バカにならない利潤を上げていたほどである。その経験を生かして、いまでは本職(ヤクザ)になってしまった。趣味は悪いが高そうなスーツに代紋がまぶしい。ジーンズに安物のダウンジャケットを羽織っただけの城之内とは大違いだ。
「いいじゃねぇか。それよか腹減ってねぇ? ラーメンおごってやるぜ」
「儲けてるくせに、しけてんな」
「金は使わないから儲かるのよ」
 まあ、奢りというのに文句はない。
 蛭谷はあとで連絡を入れるというと車を行かせた。そのまま歩いて店に入る。
 昼下がりのラーメン屋には客がいなかった。あんまり流行っていない店らしい。しゅんしゅんと、隅に置いてあるストーブの上のやかんが鳴っている。
 餃子とチャーシューメン大盛り二つを頼み、とりあえずビールで乾杯した。
 つけっぱなしのテレビからは笑い声が聞こえた。バラエティ番組だった。遊戯の家で、いつも見ていたやつだ。城之内はそれをながめながらビールを飲んだ。
「なんだよ、お前そういうの好きだったっけ?」
「最近な」
 くだんねぇなぁと思いながらも、見始めるとおもしろくて、毎日のように見ていた。
 ビラまきのアルバイトは通勤通学の朝と夕方だけだったし、スーパーでの風船くばりから始まった商店街の大売り出しの応援も毎日あるわけではなかった。つまりは遊戯の家にいると、結構ヒマだったのだ。
 遊戯のマンションは単身者が多いらしく、昼間は静かだった。テレビを見終わったあと、洗濯物をとりこむために窓をあけると、近くの公園から子供がはしゃぐ声が聞こえた。適当にたたんだ後、畳の上で、よくごろりとしながら青空をながめた。
 静かで、静かだけれど、わるくなかった。
 いやじゃなかった。
 遊戯のやつ、今日は出張で直帰だから早く帰ってくるって言ってたっけ。四国の工場だから、お土産にうどん買ってくるねって言ってた。うどんに何をいれようか。キツネにしようか、月見にするか、いっそのことゴージャスに天ぷらにすっか。
 そんな風に思いながら、ごろごろしてるのは、悪くなかった。
 そういう気分なんて、生まれて初めてだった。
 誰かを待ってるなんて、初めてだった。
 待ち遠しいなんて気持ちも、初めてだった。



「お前、変わったよな」
「そっか?」
 蛭谷は、割り箸をパキンと割って、先にだされた餃子に箸をつけた。城之内も遠慮無くいただく。
「前は、もっとギラギラしてた」
 そうかもしれない。あんなだらけた生活を一年近くも送れば、そうなってもおかしくはない。だれも殴らず、だれにも殴られず、血へどを吐くこともなかった。
「それにしても、あれだけの金をぽんと一括で支払ってくれるなんてさ。よっぽどご執心だな、お前の相手」
「別に」
「いい暮らしさせてもらってたんだろ?」
「うぜぇ」
「まったく」蛭谷がにやにやと笑った。「そんな口をオレに聞いて平気なのは、お前だけなんだぜ」
「感謝しろっていうのかよ」
 学生時代から、蛭谷は城之内に執心していた。それが、自分の手駒として使い勝手がいいからだということも、城之内にはよくわかっていた。
 城之内は妙に情に厚いところがある。どんなに嫌がっていても、自分の身内だと認めたら助けずには居られない。自分を頼るものを、冷酷に切り捨てることができないのだ。
 蛭谷に所属したら、きっと一生そのままだろう。相手が自分を利用しているだけだとわかっていても、そのまま従ってしまうだろう。それがわかっていたから、蛭谷の力を借りたことはなかった。暴力沙汰は良く一緒に起こしたが。オヤジみたいな相手をわざわざ自分から作る気はしない。
 ラーメンが来た。二人で食べ始めた。意外とうまかった。
「オレが借金こさえたときには、さっさと手をひいたくせに」
「何言ってんだよ。頼ってくれれば、助けたぜ」
 城之内はケッと小さく吐き捨てた。担保も保証人もない城之内に、金を借りる相手を教えてくれたのも蛭谷だ。結果がわかっているくせに、そうさせたのだ。
「名前と住所教えてくれるだけでいいぜ」
「しらねぇよ」
「ケチだな」蛭谷は低く笑った。「お前だって、うまい汁吸ってたんだろ? どんなババアだよ、ご奉仕してた相手はさ。それとも若いねーちゃんか?」
「そんなんじゃねぇよ」
「じゃあ、何だっていうんだよ」
 何だったのだろう。遊戯は。
 何だったのだろう、あそこでの生活は。
 最初は言葉も少なかった。鬱陶しがられていた。無理矢理セックスして、恨まれるかと思ってた。それがいつの間にか、仲よくテレビなんて見るようになった。ゲームも教えてもらった。一緒に出かけたりした。馬鹿げたことをいっぱいやった。キスもした。あんなちっこい男の身体に欲情したりした。嫉妬までした。寝てるガキっぽい顔をみて、情がうつってるなと思った。
 気楽だった。
 楽しかった。
 幸せだった。
 何って、そりゃ。
「天国」
 城之内がラーメンを啜りながら仏頂面でそう言うと、蛭谷は大きな声で笑い始めた。
「そりゃいいな、オレにも行かせてくれよ」
 冗談じゃない。
「無理だな」
「なんで」
「オレ専用なんだよ」
 誰にもやらない。
 オレだけのもんだ。
 城之内は分厚く切ったチャーシューにかぶりついた。味がしみていてうまかった。今度うまいラーメン屋みつけて、食いに行くかな。あいつと。
 自分でも、わかってんじゃねぇか。

 帰るとこなんて、あそこしかない。