◆3
「先に寝るねー」
そう言い捨てて、遊戯は布団の中に潜り込んで丸まった。部屋の電気もさっさと消した。
ああ、まずい。顔を見てしまった。
どうしよう。約束したのに。
顔を見たところで、別にそれぐらいいいだろうと思うのだけれど、「見ない」と約束したのに見てしまったせいで、妙に自罰的な気持ちになってしまう。自分がいけないことをしてしまったみたいだ。
(ばれて……る……よね……)
鏡越しに目線が合ってしまったのだ。ちょっと茶色の瞳が、形のいい眉をひそめて困ったようにこっちを見ていた。
(……っていうか、あんだけハンサムなら彼女ぐらいいるんじゃないのー?)
どこか女性的な繊細で精緻な感じの容姿を持つ獏良や、名工が彫り上げた大理石の彫像のように整った美貌の持ち主の海馬とちがって、ものすごく美形というわけではなかった。
だが、男性からも好感を持たれそうな、明るい感じの顔立ちだった。
(スタイルもいいっていうか、けっこうたくましくてモテそうだしさ)
あの容姿ならホストにだって簡単に成れそうだ。水商売は見た目だけで決まるわけではないだろうけれど、少なくともその手の働き口に困りそうにない面立ちだった。何も、見も知らない男の家に着ぐるみ着用してあがりこまなくても良さそうなものである。
(ボクなんて、ぜったい無理だもんね……)
子供扱いされて帰らされるのはまちがいない。居酒屋に飲みに行くのだって、一人だと断られるぐらいなのだ。えいくそ。チビは損だよな。
そうやって気持ちをそらしてみるものの、クマの様子が気になってしょうがない。
布団の中で、聞き耳をたてる。
風呂からは上がったようで、ドライヤーをつかっている音がした。しばらくして、ぺた、ぺたという音が近づいてくる。裸足で歩いてきているようだった。
和室のふすまが開いた。
遊戯は息を飲んだ。
ふすまをぴしゃんと閉じる音が聞こえた。ばさりと布団をめくった音がした。もぞもぞとうごめく様子がして、しばらくして静かになった。眠ったようだ。
遊戯はほっとした。小さく溜息をついた。
(よかった……。怒ってないみたいだ……)
気にしていないといいんだけれど。それで、明日には出ていってもらおう。お金を少し包んで渡せば、向こうもイヤとは言わないだろう。いつまでも、あのクマに家に居られても困るのだ。
(そうだ、そうしよう)
丸まったまま、目をつぶる。
とにかく寝てしまおう。寝て、明日になれば、終わりにできる。
そう思っているのに。
「なあ」
突然声が聞こえてきて、遊戯は飛び上がった。心臓がバクバクと早鐘のように打っている。
「な、なに?」
なんでもないような振りをして答えてみるが、クマはさすがに騙されなかった。
「みただろ、お前」
「み、みてないよ」
「目、合っただろ」
「覚えてないもん」
「ホントに?」
「本当だよ」
嘘だけど。
「ふーん」
どこか意地悪な響きがする声だった。それはこれまでのクマにはない声色で、遊戯はすこしだけ怖じ気づいた。
(まさか、顔を見たからって、顔見ただけで、まさか……)
口封じとか。
遊戯は布団の中で震えた。ボクはバカだ。思いっきりバカだ。さっさと警察に連絡しておけばよかったんだ。じゃなければ海馬くんに相談するとか、意外と頼りになる御伽くんに交渉にたってもらうとか、ああせめて獏良くんのとこに泊まってればよかった!
万が一のときのための逃げ出すルートを考える。といっても窓の外のベランダか、玄関を出て行くしか方法がない。ああ、しまった! 玄関にチェーンかけてた!
布団をはぐ音がした。みしっと畳が鳴る。遊戯はごくりと唾を飲んだ。
ここまでくると急に度胸が座ってくる。
ボクだって男だ。反撃して、隙をみて逃げ出すのだ。こんなチビで弱そうな外見をしているから、抵抗されるとは思っていないだろう。だけどボクだって、人より修羅場はくぐってきてるつもりだ。闇のゲームとかさ。そう簡単にやられてたまるもんか。
すっと手が、遊戯の布団の中に入ってきた。首をつかまれるのだろうかとすくめると、意外なことにその指先は、遊戯の脇腹をそっと撫でた。ざわざわとした違和感がこみ上げてくる。
(なんだ?)
その手から逃げようとして、遊戯はもぞもぞと動いた。パジャマの裾から、まだ温かい指が入り込んできて、胸をするりと撫でた。ちいさな胸の突起をぎゅっと摘まれる。あまりのことに目が点になった。
(ちょ、ちょ、ちょっと待って!)
なぜに乳首?
ちょっと待ってよ。なんで、そんなところを撫でる必要があるんだ?
遊戯は硬直した。
掛け布団がはね飛ばされて、遊戯の目の前に男の顔が現れた。遊戯とおなじシャンプーとせっけんの匂いがした。暗闇に慣れていたせいか、それともカーテンを通して外のあかりがうっすらと入るせいか、男の表情がはっきりと見えた。
「乳首、固くしてやがる」
なんだよ、それ。
あまりの予想外の行為に、遊戯は動けずにただ男を見返すだけだった。
「絶対、人に言えないようにしてやるよ」
彼は、凄艶な笑みをうかべていた。
戸惑って動けないでいる遊戯をあざ笑うかのように、男は遊戯の唇をうばった。
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