◆3

「ヒマだなー」
 エロ本も読み飽きた平日の昼間である。遊戯は会社に行っていて留守だった。
 クマはいつものように和室でごろごろと転がっていた。
 今日は天気がよくて、冬でも日向にいればほかほかと暖かかった。つい、はりきって洗濯なんてしてしまったぐらいだ。たまには家主へのポイントを稼いでおくのもいいだろう。
 遊戯はそれほど神経質なたちではなく、洗濯物がすこしたまっていたり、部屋がピカピカで清潔な状態でなくとも気にしない。城之内も、そんな繊細な神経は持ち合わせていない。それでも、ごろごろしていると畳のへりのあたりにうっすらと埃がつもっているのが気になった。
「掃除すっか」
 今日のオレってばずいぶん殊勝じゃん。そう自画自賛しながら、掃除機を取りだした。がーがーと音をたてながら和室をきれいにし、キッチンの部屋にも掃除機をかける。
 こうやってると、奥さんみたいだよなー。
 笑ってしまった。あんなチビっちょい男、ぜんぜん好みじゃねぇっつの。
 やっぱり、おっぱいでかくて、長い髪で、大人しくて、でもしっかりしてて料理上手で、昼は清楚で可憐で、夜は淫乱で淫靡な、大和撫子みたいな女がいい。そういう女がいたら速攻でプロポーズしてる。
 いないけどな。
 でも一緒にメシ食って、セックスして、生活してるんだよな。遊戯と。
 なんでなんだろう。
 城之内は疑問に思った。



 最初は本当に、行き場所がなかったからだった。
 ふくれあがった借金が返せるわけはなく、かといって踏み倒してそのままでいられるわけもなかった。女だったら速攻でソープに沈められていただろう。男でも似たりよったりだ。ギリギリのところで生かされて、死ぬまで金を搾り取られるだけだ。
 だけど、もうイヤだったのだ。
 真面目に働いて身を粉にして借金を返すのも、他人を騙して女にたかって金を巻き上げるのも。
 あれだけさっさと死んでしまえと思っていたのに、いざオヤジがいなくなると、何もかもやる気がなくなっていた。妙だった。あんな親、居ても居なくても関係ないと思っていたのに。
 自分はポジティブな人間だと思っていた。何があっても、石にかじりついても、他人を押しのけてでも生きのびてやるタイプだと思っていた。それなのに、どうでもよくなった。
 何もかも、うんざりだった。
 だから逃げ出した。最初はホームレスな暮らしを満喫しようとしたのだが、あれも縄張りがあり、その場でのルールがあった。面倒だった。おまけに情報を売られて、借金取りに追いかけられた。
 身元を隠すために、ひょんなツテで手に入れた着ぐるみを着ることにした。
 笑われようがなんだろうが、どうでもよかった。
 プライドなんてなかった。
 手元に残った端金で、ぷらぷらうろついていた。食事代にしか使わなかったのに、あっという間にその金は無くなっていった。水は公園で飲めるが、寒さには勝てなかった。
 こうやってひもじくて動けなくなって、そのあたりの道ばたで凍死すんだなーと思うと、おかしくて笑えた。クマの格好で凍死ってさ。最後にニュースぐらいにはなるかな。そう考えると、笑うしかなかった。ほんとクズだな、オレの人生。
 遊戯に気が付いたのは、そんな時だった。
 公園のまるいゾウの滑り台の下で寒さに震えてると、とことこと、公園を抜けていくガキがいた。妙に印象的な髪型をしている。
 こんな夜遅くに小学生がひとりで出歩いていていいのかよと、気になった。
 次の日も、その子供は似たような時間に通りすぎた。はーっと息を吐いて、指先をあたためながら足早に通りすぎていく。コートを羽織って革靴を履いてカバンを下げているところからして、中学生なんだろうかと考え直した。
 塾なんだろうか。
 遊びから帰ってきたようには見えなかった。夜っぴて遊ぶタイプには見えない。
 どうして、誰も迎えに来ないんだろう。こんな遅くまで勉強してんのに。心配しねぇのかよ。
 翌日も、その子が通りすぎるのを見ていた。
 ひとりぼっちで歩いていた。別にさみしそうな顔はしていなかった。疲れたような顔もしていなかった。頬を寒さでまっ赤にしながら、白くなるのが面白いのか、何度も息を吐いては、楽しそうに笑いながら歩いていた。
 ……ガキっぽいの。
 後をつけた。近くのアパートに入っていった。しばらくして灯りがついた部屋があった。
 あそこに住んでんのか。
 誰も待っていないのは明白だった。あんな子供がどうして一人暮らしをしているのだろうか。オレだって、あの年頃は一人暮らしみたいなもんだったけど。オヤジなんて、帰ってこなければいいと思っていたけれど。
 でも、ひとりではさびしいのだ。
 父親が自分を利用しかしていないのはよくわかっていた。お互い怨恨がありすぎて、愛情なんてものはもう存在していなかった。なんだって擦り切れるのだ。愛情だって同じことだ。それでも無いよりはマシなのだ。誰にも利用されないより、利用されているほうがいい。
 それなのに、あのガキは笑ってるのだ。
 イヤなガキだと城之内は思った。
 昼間に、そのガキの家に行った。表札には武藤 遊戯と書いてあった。他の名前はなかった。シリンダー錠なんて針金一本あれば開けられる。子供の頃、親にちょくちょく閉じこめられたせいで、身につけた特技だった。
 よくよく考えれば、この技能を生かせば食うには困らなかったんだよな。
 上がり込んだ和室でごろりと横になりながら、城之内はぼんやりと考えた。
 そういえば、空き巣だけはやらなかったなぁ。
 コタツの上にあった煎餅をぽりぽりと食べた。これぐらいなら盗みのウチには入らないだろう。
 喧嘩沙汰で警察のお世話になったことはあるし、女にたかって暮らしてたこともあったが、盗みだけはやらなかった。そんなところで我慢をしてどうすると思うのだが、それが城之内のポリシーだった。
 今は刑務所入ろうが、面倒みなきゃいけない相手がいるわけでもないけどな。
 これからどうしようか。
 とりあえずあのガキも、一人暮らしだし。しばらく置いてくれって言ってみようかな。
 嫌がるだろうな。
 あののんきそうなガキの困った顔は見てみたかった。ぽてぽて夜中に歩いてるから、いけないんだぜ。
 テレビをつけてみた。ニュースをみながら、そういや今日は自分の誕生日だったのだということにようやく気が付いた。



 ――あれから、もうじき一年経つんだよな。
 なんで、オレ、まだここに居るんだろう。
 城之内は不思議だった。
 追い出されないからというのが、一番の理由だった。それは間違いがない。家賃も払わずに住まわせてくれているのだ。感謝するしかない。
 それでも別に、あの子供みたいな男と一緒に暮らす必要はないはずだった。
 ぽつぽつバイトをしていたら、金もそこそこ貯まった。借金が返せるわけはないが、ここを出てどこか知らない土地に行くぐらいの額はある。
 誰も知らないところで暮らしたっていいはずだ。
 それなのに、何でここに居るんだろう。
 居心地がいいからなんだろうか。
 たしかにそうだ。遊戯は、うるさいことを聞いてこないし、城之内に何かを押しつけることもない。昔付き合っていた女のように、愛してる?って訊いてきたりもしない。男にそんなこと言われたらキモイけどな。
 でも、何で寝てんだろ。
 わからないと城之内は思った。
 別に、イヤじゃないんだけど。


 
 掃除に気合いが入ってしまって、ゴミ箱が一杯になった。
 ゴミ袋をさがして、キッチンを漁っていたら、吊り戸棚に妙なものを見つけた。書類が入っているような大きな茶封筒だった。手に取ってみるとかなりの厚みがあり、ずっしりと重かった。
「んだよ、あいつ。これ仕事で使うんじゃねぇのか」
 それとも、こんなところに置き忘れたのだから、パンフレットかなにかのゴミなのかもしれない。ハトメのヒモをくるくるとはずして、中身を確認する。
 ものすごく見覚えのある写真が出てきた。
「……なんだ、こりゃ」
 自分の顔だった。
 城之内は、キッチンの床にどっかりと座り込んで、その書類を読み始めた。