◆2

 通勤ルート以外の路線に乗るのはひさしぶりだった。かたんかたんと鳴る電車の外をみつめていると、あっという間に暗くなってきた。冬の陽が落ちるのは早い。
 ターミナル駅の指定された改札口で待っていると、時間ぴったりに相手がやってきた。
「御伽くん、ひさしぶり」
 滑らかな長い黒髪に、軽そうなしゃれた赤いコートを羽織った御伽は、その場の女性の注目を集めていた。ふっと髪をかき上げながら笑った姿は、まるで芸能人かデザイナーのようだ。実際デザイナーではあるのだが。
 御伽 龍児はゲームデザイナーだった。
 あいかわらず、格好良くてモテるよなーと遊戯は感嘆のためいきをついた。高校時代から獏良とはまたちがった系統の美形で有名だったが、あの頃より身長も高くなったし、それに自分の会社を始めたせいだろうか、頼りがいのある男らしさも加わっている。
 なんでこう自分の友人どもはハンサム揃いなんだろう。
「とりあえず、食事しようよ。中華料理でいいかな?」
 遊戯はもちろんと肯いた。



 好物が中華料理というだけあって、御伽が連れていってくれた店の料理は絶品だった。
「すっごい美味しい」
 遊戯は、出てきたものを片っ端からうれしそうに頬張った。
「穴場なんだよ。おしゃれな店じゃないから、女の子は連れて来づらいけどね」
 たしかに、ぱっと見は普通のラーメン屋のようにしか見えない。店内の内装は古びていたが、清潔感があり、壁に貼り付けられているメニューには見慣れない名前がたくさん並んでいる。調理場からは広東語らしき会話が聞こえた。
「今度は、もっと大勢つれてここに来たいねー」
「大勢じゃなくて、特定の人物なんじゃないの?」
 紹興酒を飲みつつニヤニヤと御伽が笑う。
「特定の人物?」
「恋人とか」
 遊戯はフルーツ入りタピオカココナッツミルクを喉につまらせた。
「な、な、な、なに、それ!」
「顔、まっ赤だよ」
「そ、それは、咳き込んだからで……」
 御伽は遊戯の言い訳にとりあわず、バッグからA4の茶封筒を取りだした。
「はい、頼まれてたもの。城之内 克也の身上書」
 遊戯は、茶を喉に流し込んで一息ついてから、ありがとうと御伽に頭を下げた。封筒の中身をあけて、ぺらぺらとめくってみる。
「忙しいのに、大変だったでしょう? よく名前だけで、ここまで調べられたよね」
 御伽はそうでもないよと軽く返事をした。
「幸いなことに城之内っていうのは本名だったし、童実野町出身っていうキミの推理も当たってたしね。オレがしたのはツテを利用しただけで、実際の調査は専門家に任せたし。それに、恩は売れるうちに売っておく主義なんだ」
「ボクに売ってもあんまりトクにならないと思うけど。でも、ありがとう」
「どうしたしまして」
 御伽は遊戯にきれいにウィンクをした。そういう仕草が嫌味にならずによく似合う。
「でもさ、どうするの」
「どうするのって?」
「別に男同士だからって、秘密にする必要ないだろ。」
 その城之内ってひととの交際。
 そう御伽が言うと、遊戯は、またあわててばたばたと手をふって否定の仕草をした。
 ほんと読みやすいよなぁ。
 青島ビールに切り替えながら、御伽はリンゴのように頬をまっ赤にそめた遊戯を見つめた。遊戯の行動はけっこう読みやすい。隠し事のできないたちだし。
 それなのにゲームとなると、ちっとも勝てないのだ。
 御伽は若く才能のあるゲームデザイナーとして高名だったし、プレイヤーとしての腕もなかなかのものだった。プロと名前がついていたとしても、そんじょそこらのデュエリストになら負ける気はしない。それでも目の前の、ちいさな男に御伽は一度も勝ったことがないのだ。御伽だけではなく、他の誰もが。
 あの「もう一人の彼」が居なくなってから、誰も遊戯に勝利したものはいない。
 無敗の、伝説の、決闘王(デュエル・キング)。
「惜しいよな」
「何が?」
「デュエル」
 遊戯は苦笑した。
「海馬くんとは、たまにしてるし。開発部に呼ばれてやるときもあるし。楽しいよ、それで」
 いつもそういう風に言うのだ。頑固なんだよね、ほんと。
 遊戯は、デュエリストとしての栄誉と地位にまったく拘泥しないで、ごく普通の会社員に落ち着いている。KCに入ったのだって、海馬が「貴様のような奴は放っておいたら、他の会社やデュエリストどもに利用されて骨までしゃぶりつくされるわ!」と脅したせいで、大学生のときは安定した公務員がいいかなーなんてのんきなことを言っていたのだ。
 どうして、そこまでその才能に拘泥しないでいられるのだろう。
「いやだって、ボクが大会にずっと出てるのも恥ずかしいしさ」遊戯は手を擦り合わせながら答えた。「ゲームに勝ちたいわけじゃないんだ。ゲームで楽しめればいいだけで」
「でも、この男の相手はしてるんだろ」
 御伽は意地悪く聞いた。
「べ、べつに、その……」
「あんまりいい奴だとは思わないけどね」
 資料を見ただけでも、知り合いにはなりたくない。子供の頃から警察沙汰は当たり前。少年鑑別所に入らなかったのが不思議。定職についたことはない。いわゆるチンピラだ。父親に虐待されて育ったというが、不幸な生い立ちをもった子供なんていくらでもいる。自分もそうだし、海馬も、獏良もそうだ。遊戯がそんなやつに関わり合いをもつ必要はないだろう。そう思うから、そのままそれを唇にのせた。
「少なくともオレだったら、付き合うのはごめんだね」
 辛辣な言葉だと思うのに、遊戯はうれしそうにわらうのだ。
「ありがと、御伽くん」
「なんで、ありがとうなの?」
 遊戯は心の底からの微笑みをうかべる。
「だって心配してもらえるの、うれしいよ」
 これだからな。
 勝てない。



 遊戯は、運良く座れた帰りの電車の中で、御伽にもらった調査書をめくっていた。
 ろくな男じゃないことは良く知っている。
 勝手に人の家にあがりこんで、のうのうと一年近くも居候をやっているクマだ。
 調査書の報告もそれを裏付けていた。暴行だの、女性との問題だの、借金だの、そんな話のオンパレードだ。
 それでもさ。なんてのか、しょうがないよね。
 そう遊戯は思うのだ。どうしてなのかなんて、よくわからないけど、でも本質的に悪いひとじゃないと思うんだ。怠け者で、クマの格好でごろごろしてるだけで、図々しいけど、たまにとても優しいのだ。
 それだけでいいと思ってしまうのだから、しょうがないじゃないか。
 城之内が行方をくらませて(遊戯の家に来た)理由は、想像していたように借金だった。
 父親の医療費に大金がかかったらしい。保険にも入っておらず、銀行からは金は借りられず、それで高金利のところから用立てた。その後は利息が増えてお定まりのコースだ。父が亡くなった後、すこしずつ返していたらしいが、焼け石に水で払いきれなくなった。
 総額にして、東京近郊で土地付きの家が一軒買える程度の額である。
 しかし遊戯は、ほっと安堵のためいきをついた。
(――よかった。これなら貯金で払える。株を売ることになったら、海馬くんとペガサスさんに問いつめられること、間違いないもんなー)
 デュエルをやっていたころの賞金は、家族に旅行をプレゼントしたぐらいで、あとはほとんど手付かずで残っている。金がないわけではないのだ。住んでいる部屋も、もう少しグレードアップしても罰は当たらない。しかし、そんな贅沢に慣れるのもいやだなと思ったのだ。もともと御庶民なんだし、あぶく銭を浪費してもろくなことにならないだろう。祖父も母も遊戯の意見には反対しなかった。結婚するときまで貯めておくといいわよ!なんて言ってたのに、こんなことに使ってごめんなさい、お母さん。
 だけど、そうしてあげたいんだ。
 ――クリスマスプレゼントがこれって、ちょっと即物的かなぁ。
 でも、これで年末年始をすっきりすごせるだろうし、あの着ぐるみをずっと着てる必要もなくなるよね。
 喜んでくれるといいんだけど。
 電車が駅についた。
 明日は、有給をとって御伽くんに紹介してもらった弁護士さんのところに行こうと思いながら、遊戯は電車を降りた。