今日の武藤家の夕飯はおでんでした。
「冬は鍋物にかぎるなぁ」
遊戯くんのおじいさんはごきげんで、おでんをつつきながらビールを飲んでいます。暖かい部屋の中で飲む冷たいビールはたしかに最高です。遊戯くんも、ちょっとは飲んでみたいなーなんて思ってはいるのですが、お母さんがそれを許してくれそうにありません。
「ところで遊戯」
「なあに、ママ」
「あのたまご、いったいどうするつもりなの?」
遊戯くんは、はんぺんをくわえて、むーと唸りました。遊戯くんがある日拾ってきたたまごは、すくすくと育ち、育ち、育ち続け、今では遊戯くんの部屋のほとんどを占領するありさまでした。
「あれ以上大きくなって、部屋が壊れたらどうするの」
遊戯くんのお小遣いでは修理代を捻出できそうにありません。だからさっさと捨ててくればよかったのに。そうお母さんがぼやきます。でも捨ててきたとしても、ぴょんぴょんあとを跳ねて戻って来ちゃうと思うなー。遊戯くんはそう考えました。
それに、やっぱりあのたまごを捨てるなんてできなかったでしょう。口うるさいし、よく跳ねるし、お友だちに攻撃をしかけたりするたまごですが、勉強を教えてくれるし、あったかいし、それにちょっと可愛いところもあるのです。これって愛着っていうのかもしれない。遊戯くんは、たまごの弁明を努めてみました。
「でも、このところ大きくなってないんだよ。あんまりうるさくもしないし」
「そういえば、最近静かよね」
毎日ワハハハハ!と高笑いを響かせ、強靱☆無敵☆最強☆と叫び、ご近所での話題を提供していたたまごですが、ここ一週間ほどはあまりしゃべらないのです。遊戯くんが話しかけても「眠い」だの「だまっていろ」だの「気が利かないやつだ」だの、ぼそっと返事をするばかりでした。
「まさか中で腐ってしまったんじゃ……」
おじいさんがそう言いました。遊戯くんはえー!と抗議の声をあげ、お母さんは「玉子食べてるときに、変なこと言わないでください」と不機嫌そうにいいました。よく味の染みた玉子はお母さんの好物でした。食事中にそういう話題はうれしくありません。
「大丈夫だよ、まだあったかいもん。耳をつけるとトクトク言ってるし」
「でも孵ったら孵ったでたいへんよね。食事代も掛かりそうだし。ふつうの鳥の餌でいいのかしら」
ペット屋さんに行けばわかるかしらねとお母さんは言いました。中には鳥が入っていると疑っていないようです。
「あのたまごが孵ったら、動物園にあずけに行けばいいんじゃないかの」
おじいさんは、そう言いました。知り合いのツテをたどれば引き取ってもらえるかもしれません。おじいさんは、妙に顔が広いのです。
「えー! だめだぜー、それはー」
せっかくここまで育てたのに、他のひとに取られてしまうなんて。そんなのイヤすぎるよ。だって自分の腕の中でぶるぶる震えたり、軽く殻にくちびるを押しつけるだけで、ぴょんぴょん跳びはねていたたまごが、他の人にわたるところなんて考えられないのです。遊戯くんは、たまごが他の人になついたらいやだなと思いました。これって独占欲っていうのかなー。たまご相手だけどさー。
そんな話をしていると、家がどすん!と揺れました。
「なにこれぇ!」
「地震かのう?」
「2階よ! あのたまご!」
三人は階段をかけのぼり、遊戯くんの部屋の前に来ました。
中から、ずん!ずん!という妙な音が聞こえてきます。きっとあの巨大なたまごが蠢いているのでしょう。ドアの向こうから「遊戯……、ゆうぎぃ……」と低い声が聞こえてきました。ピラミッドの玄室から聞こえてくるような声です。正直、不気味です。
三人とも、部屋の中に入り込むのを躊躇しました。お互い顔を見合わせます。
「遊戯、ほら、行きなさい!」
こういうときに決断が早いのは女の人と決まっているのです。
お母さんは、はやくはやく!と遊戯くんを追い立てました。遊戯くんは、おじいさんの顔をみましたが、そっぽを向かれました。中の音はどんどん激しくなっていきます。遊戯くんはごくりとつばを飲み、覚悟を決めました。
「えいっ!」
こんな緊張感をもって自分の部屋の扉をあけるのは初めてでした。
「遊戯ぃ〜〜〜!!」
「ひやぁぁぁああああ!!」
遊戯くんは悲鳴をあげました。
巨大なたまごが、遊戯くんの部屋の中央で、小刻みに飛び跳ねていました。夕食前にはベッドの上にいたのですが、さきほどの振動で落っこちてきたようです。
がこん!と天井につっかえ、どすんと床に落ちます。部屋が震えます。廊下も震えます。
遊戯くんもゆれました。廊下で様子をうかがっているお母さんも、おじいさんも揺れました。家中が揺れています。局地的な地震が、遊戯くんたちの家に起きたかのようです。
「うぉおおおお!」といううなり声が聞こえてきました。それだけではありません。ピシッ!ピシッ!と妙な破裂音のようなものが聞こえてくるのです。
「ど、ど、ど、どうしよう……!」
遊戯くんは青ざめました。救いを求めるかのように振り向くと、お母さんが冷静な顔で、ぱたりとドアを閉めました。ひどいよ、ママ!!
遊戯くんは立ちすくんだまま、たまごを見つめました。たまごの動きはますます激しくなっていきます。がこん、どしん、ピシッ。がこん、どしん、ピシッ。机の上の本が落ち、ベッドの上の時計が落ちました。
その動きがより一層激しくなったかと思うと、たまごのてっぺんの方から、白いかけらが爆発するように落ちてきました。たまごの殻が割れたのです。
「たまごの殻を粉砕!」
その声とともに、たまごのてっぺんに穴が開きました。ピシッ!バシッ!ピシッ!という音が響き、たまご全体に蜘蛛の巣のようなひびが入りました。
「粉砕☆玉砕☆大喝采――!」
パンッ!パパパパンッ!と爆発音がしました。遊戯くんは「きゃ!」と小さく悲鳴をあげ、自分をかばうように手で頭を覆いました。部屋中に、花火のように青白いたまごのかけらが飛び散りました。
「ワハハハハハハハハハハハハハ!!!」
大きな高笑いが部屋に響きます。それはたまごから聞こえていたものとそっくりな声でした。ただし、これまでには聞いたこともないぐらい大きな声でした。
「遊戯ィ! 貴様が遊戯だな!」
薄目をあけて声のする方を見てみると、たまごの殻の散らばる中に、ひとりの男の人が立っていました。長身で細身の男のひとです。尊大に顎をそらせ、腕を組み、遊戯くんをにらんでいます。
遊戯くんは部屋をきょろきょろ見回しました。
「何をきょろきょろしている遊戯ィ!」
そう言われても。
「あ、あの……、君が……」
遊戯くんはおそるおそる尋ねました。目の前の青年(にみえるなにか)は、「ふぅん」と大きく鼻を鳴らすと、
「そうだ、このオレが貴様の孵した、たまごのヒナだ!」
と言い切りました。
なんなんでしょう、これ。
人間っぽいです。たぶん人間でしょう。一応、人間に見えます。
でも人間はたまごから孵りません。
頭が真っ白状態の遊戯くんを置いて、ヒナだと名乗った青年(?)は、くんくんとあたりの匂いを嗅ぎました。
「この異臭はなんだ!」
異臭って。
遊戯くんも嗅いでみました。夕飯のおでんのいいにおいぐらいしかしません。そういえばまだご飯の途中だったのです。
「おでん、じゃないかな。夕飯だったんだ」
「おでん!」
ヒナは大きな声で、まるで罪状を読み上げる裁判官のように重々しくいいました。
「う、うん」遊戯くんはうなずきました。
部屋の外で、とたとたとたと階段を上り下りする音がしたあと、トントンとドアを叩く音がしました。遊戯くんがドアをそっとあけると、遊戯くんのお母さんとおじいさんがいました。お母さんは、たべかけだった遊戯くんのご飯と、客用のご飯茶碗、小鍋にうつしたおでんをのせたお盆を持っています。
「遊戯、これ」
お母さんは、はいっと元気よくお盆を突き出します。
「ママ……」
遊戯くんは脱力しながらそれを受け取りました。お母さんはにこにこと笑って手をふると、ぱたんとドアを閉めました。なんでここで、おでんを持ってくるんでしょうか。でもまあ腹は空いているのです。夕食の途中でしたからね。
遊戯くんはためいきをついたあと、ヒナの方をみて、気を取り直すように笑いかけてみました。
「君も食べる? お腹、すいてる……よね?」
「クッ!」ヒナはいやそうに顔をそむけました。
「えっと、もしかして、おでんは嫌い?」
遊戯くんがたずねると、
「ふざけるなぁ、貴様――ッ!」
ヒナはそう大きく叫びました。
遊戯くんはあやうくお盆を落としそうになりましたが、なんとか持ちこたえ、たまごの振動でごちゃごちゃになっている机の上にそれを置きました。
「そのような不気味な食べ物は、一刻も早く投げ捨てるがいい!」
「そんなの、だめだぜー」遊戯くんはいいました。「たべものは大切にしなきゃ」
「オレより大切だと言うのか!」ヒナは激しい身振りをつけながら、そう言いました。まるで宝塚劇場で演技している男役のようです。
遊戯くんは、そういう意味じゃないよーと抗議しました。しかしヒナはメロドラマの主人公のように聞く耳をもっていませんでした。
「言っておくが、孵化するということは人生に一度しかない大事な瞬間なのだ」
それはそうでしょう。というか、人生て。
「それだというのに貴様はそのような混濁した液につかったぶよぶよした物体に気を取られ、オレが苦しんでお前の名前を呼んでいるのにも気が付かず、この狭い部屋に、ひとりっきりで放置した!」
なんだかすごい悪いことをしたみたいな言い方だなぁ。
遊戯くんは黙ってヒナを見上げました。
「あまつさえ、その鍋に入った物体をオレに喰わせようとする!」
ヒナは興奮状態にあるようでした。目尻に涙が浮かんでいます。
「貴様は、そのおでんという物体と、このオレと、どちらが大切なのだ!」
やっぱりヒナだなぁ。そう遊戯くんは思いました。だってあんまりにも理不尽です。おでんとヒナは比べようがありません。生まれたてのヒナだから一般常識とかないんだ。
きっと。
たぶん。
でも、ひとりっきりでさみしかったのは本当なのでしょう。自分の誕生をじっと楽しみに待っていてほしかったのでしょう。その気持ちはわからなくもありません。っていうか、かわいいかもしれない。中身はたまごのときと変わらないみたいだし。
遊戯くんは、ヒナに近寄りました。
「な、なにをするつもりだ、貴様ッ!」
「ええっと」
遊戯くんは、ヒナの手をそっと取り、指先をきゅっと握りました。細くて白くてきれいな指でした。
ヒナは、じっと遊戯くんを見ていました。心臓は早鐘のようにどきどきと高鳴っていました。
「誕生日おめでとう!」
そう言うと遊戯くんは、ヒナの指先にちゅっとキスをしてあげました。
ヒナはまっ赤な顔をして、何事か大声で騒いでいましたが、遊戯くんの手をふりほどくことはしませんでした。